3年ぐらいは我慢しないといけないな、人生のあらゆる楽しみを...。
そんな風に感じました。
どうやってこれまでやってきたやり方ではないやり方で現状のストレスを発散するかを考えよう、と思いました。
"緊急事態宣言"が連発される中で、まだ今まで通りの楽しみ方をしようとする人がいるのか、と感じます。でもこれは啓蒙できる側の責任です。
「これまでのやり方ではこの大事変は治らない」
と感じます。だからここで小さな声を上げておきましょう。
今までの楽しみ方ではないやり方で、今まで以上の楽しみ方を発明するしかありません。そこに一年だけ注力すれば、あとはそれが世界のスタンダードになります。
緊急事態宣言をするなら、そういうことを流布しないと社会は変わりません。
音楽業界について言えば、例えば今まさにパンデミック下で営業を行なっているライブハウスや、営業組織は、アフターコロナ時代のことなど考えることもできず、ひたすら新しいあり方にもがいています。しかし、それが新しい文化を造っているのかもしれません。
また営業形態を変え、現状に即したあり方に運良く変化できた人は、アフターパンデミックにどのように音楽を普及すればいいかをいち早く考えていることでしょう。
「音楽を聴かなくなると、音楽がなくても平気だと人は思うのではないか」
これは今までの価値観へのしがみつきです。音楽など滅んでも良い、という覚悟を持って表現を作らなければいけないと思います。
全ての物事への向き合い方を変えなければ緊急事態は乗り越えられません。
スペイン風邪の時代も同じだったと思います。
あの大災害を経て、娯楽への新たな熱を帯びたジャズ、ロック、ポップ・ミュージックは誕生しました。今の音楽は全て戦争を含めた大災害の後に生まれました。
これから30年経てば、また次の誰も予想もしないような音楽ジャンルが生まれ、新たな現代的な娯楽だ、と感じるような文化が生まれると思います。
音楽が歴史から消えたことはありません。人々の生活から消えたことはありません。
そもそも音楽が失われることを心配するのは杞憂です。
私たちの世代こそがまさに”戦後の筍”となり、新たな文化形態を作らなければなりません。他の誰でもない当事者は我々です。
まずは能動的に自分ができる小さなことをやればいいと思います。
今こそ、新たな戦後を創りましょう。
国は文化への延命措置を優先にはできません。
より重要視しなければならない国家的問題があるからです。
続けざまの大震災の連続に国家すら疲弊しています。
だから緊急事態下は自分たちで自分を守らなければなりません。緊急事態を国に出させてはいけません。私たちが協力することで国家は「助けるべき国民」をはじめて見つけられます。
主権は我々にあります。責任も我々に降ってきます。
我々は血流であり、国家はそれによって動く身体です。
だから今こそ「工夫」しなければなりません。
これまで考え込んで悩んだレベルをはるかに超えたところで考えて悩まないと出てこないようなアイディアが必要です。
今こそ工夫しなければ、文化を自分たちの手で破壊することになるでしょう。
それこそ先人が守って育ててきたものを自分たちのアタフタで消してしまうとしたら、全員50年後に我々は無能扱いされます。
国が文化を奪うのではなく、自分たちの手で息を吸うのをやめ、自死してしまうだけだと思うのです。
嘆くのはもう止めましょう。無意味に遊ぶのもやめましょう。
国の意思とは関係なく、あなたの血脈の緊急事態なのです。
いつまでも遊ぼうとするから、緊急事態が無くなりません。無意味に若い命を散らした時代があったから我々があるとしたら、我々も今できることをやらないと。戦争のようにしろ、解いているのではありません、ちょっと遊ぶのを控えて、自分の身の回りから守っていこう、というだけです。国が変わるのは我々底辺の人たちの行動が変わってからです。国は我々を変えてはくれません。我々の行動が変わるから、彼らが自信を持って決断できるようになるだけです。
今、国家は入院し、集中治療を受けています。何度も心肺停止になりそうな状態です。
その血流である私たちは互いに必要なものを贈り合わなければ、その母体は滅びてしまいます。
批判することが得意な人は少し黙っていてください。また平和になったら批判を再開してください。今はがむしゃらに走る人をサポートする側に回って静かにしていてください。
「あとは自分がやるだけ」そう口に出すだけでも違います。
オリンピックも国がやる、やらないと決めるなら完全無欠の鉄壁な構えでやる、やらないと決めて行動すれば良いだけのことです。
オリンピックをやる理由を今回だけは、世界中の人々に感動ではなく、ワクチンや医療援助を届けるために実施する、というスローガンにすれば良いだけです。そのためにどう実施するかを考えるべきだったのです。
これまでを維持するためでも、娯楽としてやるのでもありません。
今回だけは特別だと思います。中途半端が一番怖い。
まずは、勇気ある人が、明朝前向きに朝食を作る、それだけで救われる人がいます。
一人一人やれることは小さくても、その意識は静かに伝播し(ウイルスよりも強力に)、優れた人材がその風を感じ、きっと全てを大きなうねりにまで広がるでしょう。
難しいのは自分が何をやるか、がそう簡単には出てこない事です。
でもシンプルだと思うのです。医療の助けにならないのなら、家にいて、できることを開発する、これに尽きると思います。不機嫌にならないで家を回す方法を考える、これだけでもそのあなたの笑顔に勇気をもらって社会で頑張れる人が増えます。笑顔だけで世界をコントロールできるかもしれません。小さな事でいいと思います。今笑顔を維持することの何と難しいことか。それを知ってそれにトライすることは1000人を救うに等しいのではないでしょうか。
やることが見つからないからといって諦めてだれかを批判するのではなく、自分ができる小さいことを発明し、開発し、集中してみませんか?
アフターコロナは今始まったばかりです。今日から始めればいいのです。