前回
今回はこちらの動画
ミクソリディアンが現れます。
黒人の平行ハーモニーは、上部と下部に同型のモードを生成することを得意、と仮定すると、
メロディがCミクソリディアン的である場合、例えばカラオケで淀平行ハーモニーを得意とする民族の血が流れる彼らがハーモニーを付けると、上のハーモニーはFミクソリディアンとなり、下でハモる場合はGミクソリディアンになる、ということです。
つまり
ここにブルースのI7→IV7が誕生します。
低いCミクソリディアンのメロディでC7を歌った後、F7に向かうと、Fドリアンになるのではなく、Fミクソリディアンで歌うことが彼らのハーモニー感覚に即したフレージングとなります。
機能和声的にブルースを捉えようと思うと、モーダルインターチェンジという概念を用いて分析する必要があるが、"正式な音楽教育を受けていない黒人たち"は最初から講師感覚=ひょっとすると白人よりも優れた音楽感覚、が元来あり、それらを駆使して、白人音楽に迎合するどころか=迎合したのはむしろ我々日本人か??、彼等は白人音楽のいいところだけを取り込み、独自の音楽文化を作りました。
ブラックミュージックが優れた文化性を持っていることは、今先進国を席捲している音楽がどこにルーツがあるかを考えれば一目瞭然です。
また西予音楽のように五度ではなく、より狭い音程で、より歌いやすい四度を基調にして音楽を作っていった彼らの持って生まれたスタイルは、まさに世界の商業音楽を変える可能性を持っていたことがうかがえます。
彼等が奴隷としてアメリカに来たからこそ生まれた音楽かもしれませんし、そうでなければ、彼等のポテンシャルを考えると、ブラックミュージックの方に権威があったら全く違った音楽に化けていた可能性すらあります。
ブルースをモーダルインターチェンジの音楽と考えず、平行ハーモニーの音楽と考えるなら、こうしたメジャーコードの連鎖や、7thコードの抽象的で非機能的な連鎖もルーツが黒人の平行ハーモニーの中にあるのかもしれない、と推測することもできます。
ここにおいて、機能和声とは全く異なる複層の調性を有した音楽方法論が台頭してきました。これは機能和声が誕生したころにはまだ存在しなかった選択肢でした。
現代において、ポピュラー音楽を考える時、ブルースを外すことは出来ません。
つまり西洋音楽と、黒人音楽の二つの方法論を融合した方法論がない限り、旧音楽理論は絶滅せざるを得ません。
そこで不定調性論という、独自論を私が提案する事で、ジャズと機能和声。ブルースと機能和声の蝶番を一度作り、そこから本学的な音楽理論家の系譜に30年ほど掛けて頂きその体系化を委ねたいと思います。
単純に我々の感覚でまとめれば、
和声から(コード進行から)音楽を作る→ブルース的音楽制作
旋律から音楽を作る→西欧的音楽制作
という区分けができるかと思います。
和音だけを並べてもそれが非機能である場合、平行ハーモニーが得意な黒人だったら旋律からそうした和音付のされる音楽を作ることができても、私たち日本人の血の中にはほとんどまだその文化はまだ入っていません(人種交流が少ないため)。
これから文化や人種が結合していくことで、より難しい音楽が生み出されていくことでしょう。
だからこそこの二つの方法論でしっかり音楽を作るスキルを身につけて、自分自身の音楽的なクオリアでその音楽を鑑賞できるスキルを学習時に身につけて頂きたいです。
そういう意味で、日本人は、真似て、型を破り、新しい商品を作る天才的な種族です。芸術はもちろん。産業技術革新の分野でもそれは得意です。基本的に
・型を学び
・互いに競い合い
・新しい価値観を投入
することを伝統的な思想とした、まさに進化し続けるクリエイティブな種族だと思います。もともと「守破離」こそが日本人の進化思想の源流です(、、、と思います)。
現在は既得権益を守るために、また教育ビジネスの変な肥大化のせいで、伝統に妙な商業的価値を付け、そこを守る事こそ価値、というようなしきたりがありますが、それはあくまでこれまでの価値観の人がこれまでの価値観だとやり易、というだけで無意識的に若い方を洗脳しているにすぎません。
我々はもはや若い方のサポートに回らないと、どんどん彼らの門と閉ざすだけです。
教育の在り方はもちろん。伝統とどう向き合うかはまだまだ課題です。
だからどのようにそれを破り、文字通り「型破り」な才能をどのように教育していくかを請け負う組織が必要であり、まずは我々私塾が若い人の才能と可能性に燃料を注ぎ、エンジンを付け、そうした腕伝統に立てち向かって頂くよう送り出すしかないかな、と私は考えています。
不定調性論もそのための武器です。燃料です。エンジンです。
活用いただける方に届きますように、切に祈っております。
AD