音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

各種音楽理論と不定調性論は何が違うのか

2018.5.28⇨2021.2.13更新

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<不定調性論を用いて作った楽曲事例集を下記にまとめました>

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まずどう学習するか

不定調性論は、一般理論を学んだ2年目ぐらいから少しずつ触れてください。

またはドミナントモーションをあなたが信じ始めたぐらいからブログを細かく読んでいただいてもOKです。

質問は随時受け付けています。

 

思考のプラグイン

不定調性論は思考のプラグインです。又は拡張機能です。

不定調性論をインストールしても基本的なDAW(あなたの信念やワークステーション)まで変化させる必要はありません。

自由度が増すプラグインだったら、入れておきたくないですか? 

不定調性論が役に立つのは 、例えば今学んできたルールを破るべきかどうかを見定めるような感覚的判断を必要とするときです。

 

歩道の向こうから地割れが近づいてきたら歩行者は歩道を避け、車道にでも出て回避するしかありません。しかし歩行者が車道にでるのは交通ルール違反です。

しかし今はそのルールを破る時です。それを人は直感で判断します。

そうすべきだ、と確信するからです。

音楽的な判断や行動も、そういった確信によって動ければ理論的整合性に迷うことはありません。

適切なタイミングで適切な行動ができれば命が救える、というわけです。

これは訓練していないとできない、と思うのです。

そういった直感力(音楽で用いる)を鍛えるための思考集と思っていただければ幸いです。

このような思考は音楽理論そのものにはありません。個々人に任されています。

「任されている」というのは非常に曖昧です。だから個人でその直感力を鍛えないといけない、というわけです。

私にそれができているかと言われると、自信はないのですが、私のような者のアイデアでも、きっと誰かの役に立つ、そう思って日々まとめています。そう信じて生涯過ごすことが私にとっての証明になるのかもしれません。


 

和音の作り方が違う

機能和声論では三度堆積の和音形成です。

しかし現代には四度堆積、二度堆積、複層堆積、クラスター・・いろいろ和音が物理的に構成可能です。機能和声論が固まった当時はこれらの手法はメジャーではなかったため、伝統の形成が遅れています。

そこで不定調性論では、三度堆積も含め上記の近代以降の和音の作り方を数理的な組み合わせからすべて平等に生み出せるように和音作成法を再構築しました。

これは「反応領域の設定」という考え方です。

響かせる音を自分で選べる方法論です。 

最終的には何も考えず和音を作りながら作曲できるようにします。

この記事での動画での作り方です。

こうしたやり方は、機能和声的音楽を作るときにも当然役に立ちます。

音楽を作ることがより容易に、より楽しくなることでしょう。

 

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音階もありません

不定調性論では独自の音階、スケール、モードを用いません。同時に皆さんがこれまで勉強してきたものもそのまま流用できます。

 

モードがないぶん、それらを混ぜて自在な響きや展開感を作ることができます。

オーネット・コールマンをご存知ですか。彼のような即興演奏が可能です。

それらを活用した作品集が日々紀行集です。いくつかの動画後半にはDAWの画面も見れますので音階的に利用している旋律音を分析してみてください。

これも訓練しておくと、スリリングな表現が可能です。

このアイディアはアラン・ホールズワースの音楽を分析して確信を得ました。

 

調性もありません

不定調性論はその名の通り、調的枠組みがありません。枠組みの中で行う体裁を保つ音楽が「機能和声論」です。それは学習音楽と言えます。あなたの音楽ではないんです。だから音楽を勉強し始めると自分の音楽がわからなくなります。

そうならないように不定調性論的思考によって直感を鍛えておく必要がある、と考えます。

 

CM7  |DM7  |EM7   |FM7 |  

という和音進行を機能和声的にアナライズしてみて下さい。

恐らく煩雑になるでしょう。

しかしそのアナライズを理解しながらこの進行を弾いている人がどれだけいるでしょうか。

ギターなら、これは同じフォームをスライドしていけば二日酔いでも弾けます。

これが先に述べた「イメージがあれば弾ける」という考え方です。アポフェニアです。

 

この進行で何が起きているからその演奏が成り立つのか??の答えは、

「君がそれを了承して弾いているだけ」

であるとするわけです。

「そう弾きたい」と思っている感覚が、音楽が生まれる最も重要な原因です。

「そうなると機能和声論勉強する意味ないじゃん」

そうではありません。それを勉強したからこそ、自然とそういう一般表現回路も表現可能になるんです。伝統理論学習は一時期絶対に必要です。

また、ソロを取る際も和音に合っている必要はありません。ただし、それは適当に弾くのではなく、そういう感じになることがわかっていて弾く、ぐらいまでの訓練は必要です。先に出したホールズワースや、オーネット・コールマンの音楽が一つの理想でしょう。彼のハーモロディクス理論でやりたかったことを不定調性論ではまとめられた、と信じています。

 

ジャズ理論と不定調性論

ジャズ理論は「アドリブ理論」「編曲理論」です。

それに対して不定調性論は編曲手法も含んだ、作曲についての方法論です。

頭で考えて弾く=ジャズ理論

頭で考えないで弾く=不定調性論

であり、多くのジャズプレイヤーは後者の方法論を行なっています。それがジャズ理論的でないことを上手に説明できないだけです。しかしそれこそが自分自身が訓練してきた結果、脳が作り出して強化してきた表現回路が直感によって繰り出す最高の即興演奏である、となります。

「あの時頭の中で洗濯機が回ったんだ、そうしたらあのソロが勝手に出てきた」

ということを堂々と言ってください笑。それはあなたの脳が引き起こしたあなたが最高のソロを繰り出す実際的な出来事だからです。

そしてそれは誰も真似できないし、共有もできないんです。でも「その境地」を話すことによって若者は、その「境地」を目指さねばならないことを知ります。

不定調性論的思考は、その「境地=考えずとも指からフレーズを繰り出す脳回路」の構築のために、あなた自身のクオリアを鍛え上げていきます。

これがいうほどに難しいです。

 

テンションという発想もない

和音の「基底部」という考え方がないので、テンションという考え方も不定調性論にはありません(もちろんコード論をそのまま流用することができます)。

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これは不定調性論の一つの中心音から和音を作る可能性の表ですが、機能和声論は、この中の

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この部分だけで作りあげられる音楽理論です。

このシンプルで拡大解釈が可能な状態が機能和声論の素晴らしいところとも言えます。将棋は駒の動きが制限されているから面白いんです。

しかし音楽は将棋ではありません。表現の自由、発想の自由が最終的には許容されていきます。難しいのは、どうやって自分らしく音を選択しながら作るか、です。

そのためにはあなた自身が意図を持つ必要があります。

そして意図はたくさんの選択と判断のトレーニングの結果、具体的な個性を持ってくると信じています。作曲で言えば、作曲しまくるしかない、です。

  

リディアンクロマチックコンセプトと不定調性論

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ジョージ・ラッセルは、基本となるスケールは宇宙の仕組みから見てもリディアンこそ真理だ!と限定してしまいました。

ゆえにCM7でCリディアンではなく、Cアイオニアンでも使える理由は何?とされると答えが難解にならざるを得ません。しかしこれは最初の精神的な音楽方法論です。

 

不定調性論では、CM7において、

・アイオニアンが使えるのは、あなたがそれを勉強してきて、使えると信じているから 

であり、

・リディアンが使えるのは、モードの勉強をしたり、リディクロのような存在も知っているので飛び道具的に使える、と信じているから使える

となります。そして

・CM7でCミクソリディアンやCフリジアンを使える、と信じることができるのは、不定調性論的な立体的な協和感に基づいて使える感覚を得ているから使える

となります。

 

これは本人がどの程度その効能を"知っているか" "理解したいと思っているか"です。

全ては科学ではなく、あなたがそれをイメージしているかどうか、だけです。

CM7でCフリジアンを弾くと、酸っぱい味が浮かぶ、という人がいましたが、これはまさに個人的なイメージが出来ている例です。

それが分かっていれば、使う機会も見つけられるでしょう。甘いだけの恋の歌ではきっと使いません。イメージに合わないことを知っているからです。

そしてこの人が有名になり、音楽雑誌やテレビなどで宣言したら、その手法は一躍有名になるでしょう。

そして「自分はこう思う」と決め付けること自体が矛盾してきます(それ以外を否定しかねない)。「今はこう思うが、明日はわからない」が正確ではないでしょうか。そんな理屈を許されるのは不定調性論だけでしょう。 

 

何が自由であるかも、見方によります。

息をしなければ生きられない、と言うのは"不自由"だと思いませんか?

不定調性論では「矛盾」が持つ雰囲気やニュアンスも「印象・心象」で受け入れていくように考えます。 

「彼女のことはすごく好きだけど...すごく…嫌い」という文章の"言いたいこと"は理解できると思います。全てが表現される訳ではありません。

矛盾にぶつかった時は「新しい理解を創造するタイミング」だと思います。

まあ、矛盾を難しくするのも「感情」ですが。

だからこそ、日本人にとっては、武道のような"道"の考え方への理解がこうした「矛盾」を理解するための一つの道になってきたのかな、と思っています。

私も生涯勉強しないと。

拙論は日本人向きだと思います。

 

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