音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

制作メモ;(読者さん交流)雫の戯れ〜写真を楽譜に見立てる即興的ピアノ曲

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ブログの読者さんからご連絡を頂き、写真に音楽を乗せます、と申し上げました。

上記動画内の左の写真です。

 

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以前この動画の最後でもちらっと述べました。絵画を楽譜に見立てて演奏できる(?)不定調性論は、音楽的なクオリアが音符に優先させることもできる、という理屈です。

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絵画から音楽を演奏する〜不定調性論全編解説18(動画解説・補足)

「視覚的刺激」である映像、写真、を見るだけでフレーズが浮かんでくるので、読譜する音楽とはまた違う音楽的創造を行うこともできます(それを楽しみにする人にとって)。手法はずっと以前からありました。

映画『死刑台のエレベーター』(1958)でマイルスが映像を見ながらトランペットを吹いた、みたいな。それを作曲の道具としてルーティン化している訳です。

 

例えばですが、今回の写真でしたら、下記の番号順にイメージを捉えたり。

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そんなこと言ったってただの写真じゃないか?

とおっしゃるかもしれません。そんなこと言ったら楽譜だってただの黒いシミではないですか。

まあそれは屁理屈ですが、音楽やる人は、全部「音化」できる種族でありたい、そのようにして生きるしかない種族なので、その本能に従った方法論の拡張がされているべきだ、と感じるわけです。

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自分が思うままに音楽を作ると、こうなってしまいます。

自分に正直に作品作って感じたことは、ああ、自分の作品、こうなっちゃうんだあ笑、でした。で

もうガッカリですよ。

ヒット曲作れる人が良かったなぁ!!って笑

 

これはもう死ぬ間際に、この人生でよかったのか、間違っていたのか判断するしかなさそうな長期戦だ・・と覚悟しました。

 

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曲は3つのセクションに分かれました(作りながら結果的に)。
写真は誰もがいつも見る風景だ、と感じました。
 
I.誰もいない雫の戯れ
繰り返す雫の音、人がいない時は雫は人間から解放され、堂々と歌っているのではないか。
まだ家族が眠っている時間、家に誰もいない時間に、家ってどうなっているんだろう、と子供のころ不思議な気持ちになりました。
家に誰もいない時は、家では"何が成り立っているんだろう"と。
今回それが最初に思い浮かびました。
家具は普段家族の情念にさらされています。家が静かになると、家具に染み込んだ感情の名残が聴こえてきそうです。それを聞き取ったような気持ちになりました。
 
 
II.憂鬱の余韻と雫の戯れ
同じ音形を印象が毎回違うように微妙に変えていく不定調性和音の連鎖ですね。
それぞれ何て言ってるかわかります?
いえ、雫の言語だから、人にはわからないでしょう。
「かさむようにまえばよいだろう」例えばですが。
人の言葉に聞こえるけども、人が理解できるレベルではない想いを、自然は自然に歌ってる。
家具をぼーっと見ていると感情がふわっと吸い取られていくようです。
考えてもどうにもならないことを家では(一人の時は)考えてしまうものです。
そういう時は台所に一定のリズムで流れ落ちるような雫をじっと見ていると抜け落ちてゆきます。どっちが現実なんですかね。
重力に従って落ちる雫と、上辺だけの人間関係は。

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一つだけ。

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こういうのって、全く意味がないんですが、昔は意味がないと思ったのでやっていませんでしたが、最近はふと思ったら、それを捉えて表現するようにしています。まだ修行中の身ゆえ。

ここにドミナントモーションがあるんです。Bb7のヴェロシティが強調されてるんです。こんなの全く脈絡がないのに。最近は関係なくなってきました。

まだ青い。

和音進行があるんじゃなくて、具現化したい思いがある、というだけです。

しかしながら、!不定調性って機能感を使えるから便利なんだなぁ・・。

 


III.そしていつしか幸福は...
家族の最期はどうなるんでしょう。家の最期はどうなるんでしょう。
ガラスのコップの最期はどうなるんでしょう。
わかりません。でも素晴らしい最期を迎えたいと誰でも思っています。
いつしか幸福は...やってくる、と言いたいところですが、と言って不安がなくなることはありません。
幸福であるかどうかは最後まで分かりません。
分からないので、所々短3度と長三度が隣あって鳴ったりしています。
そして最後は、だから最期は、美しい和音を自分で鳴らして頂きたく、この曲の最期の和音は聴き手の頭のなかで鳴らしてもらう、という曲になっています。
  
最後の最期は願うしかありません。
 
 
まだ自分が何をしたいのか分かってなさそうなやつが書く文章ですね。笑
始まったばかりです。
 
どうぞよろしく!

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