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以前作った作品です。
歌詞もちゃんとあったのですが。
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おもひでの輝き
あの風の中へ 君は羽ばたいた
愛満ちた そのまなざしを きっと忘れない
あしたはもっと笑おう 君との時をこの胸に
とどめよ この想い この場所へ
永遠に このいまを
ただ空を仰ぎ ただ歌い 泣いて
君のため できることは 君を想うこと
あしたはもっと歌おう 君との夢をこの胸に
刻めよこの想い この場所へ
明日よ 歌となれ
君と 歌になれ
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M-Bank講師の実母の実話のストーリー。
大戦中、戦場に向かう男たちにステージで歌を歌い、見送ったそうです。
ピンときました。
音楽と戦争の結びつきなんて我々にはおぞましいですが、それが唯一の慰み、だという時代があったことがなんとも理解が及ばず、言葉になりません。
2015年にはできていた歌ですが、形にしようがありませんでした。
最近インスト、ピアノ曲に凝っていますので、ついピンときて、いまの今、ピアノ曲にしてしまいました。
不定調性論という方法論ができて、自分自身は自分自身を本当に自由にできました。
(ただ年取って自意識が劣化しただけかも)
数年前までは、真に自由な音の配置に抵抗がありました。
真に根拠もないのにそんなことをやっていいのか、疑問でした。
方法論があっても世間が良くない、というやり方をすることを避けていました。
しかしながら、別に社会の立法がそれを制限しているわけではありません。
イメージで根拠づけられることを絶対とする、という曖昧さを方法論が得てから、意識も変わり、こうしたアレンジにも自身を説得させながら進めることができました。
本当に不思議。そうしたらメロディが浮かぶようになったんです。
なんと説明して良いやら。
本来は、一人一人が自分の自由を創造しないといけないのかも。
今回は、曲想はなめらかで統一した柔らかい質感が欲しかったので調的に準じました。
テンポをとっておらず、とにかく一音一音手打ちで骨が折れました。
ヴェロシティとペダルのタイミングで混じる音を一般的不協和ギリギリまで保つ、みたいな試験的テーマもありました。
DTMでしか表現できないような音もあるかも。でもこれが現代の音楽。
こういうのとか。
これはかなり厳しい音の混じりになるところでペダルを踏むんですが、あまりに音を消し去ってしまうのが嫌いで、機能和声的協和感に問題のない音データをペダル先まで伸ばすことで、音が切れないようにしてます。物理的にはおそらく弾けません(手が間に合わない)。
100年前になかった音が今はあり、今できることをして自分の音楽を構築したいです。
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この曲もコードや展開が云々ということは考えていません。
考える前に手が動いてそれを決めてくれます。そういうことが「音楽的なクオリア」を操る、ということだと思います。
未来の日本への希望を胸に死んでいった先人と、平和すぎて絶望を胸に生きる現代人の不思議な折り合いが無常だなあ、と思います。
有り余るほどの平穏な日本をじっちゃんばっちゃんたちが作った、と思うと、この絶望も無常も無気力も"与えられた幸福"だと思います。必要なら、感謝して無気力を謳歌してもいいんじゃないかと思います。
その先に自分のやりたいことが見つかった人はやればいいし、見つからない人はずっと文句を言って生きればいい。お陰様で我々は生きてさえいれば幸福を実感できる確率と可能性は高いのですから。
死に瀕して、思い出はきっと痛みを和らげた、と信じます。
あの日のあの人との想い出。
明日もまた静かに過ごせるなら、それって最高じゃない?
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