新年一発目の小品です。ぬっこ氏との時間の曲。
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以前はねこを飼っていたのですが、あの休日の午後の陽だまりの世界にはふしぎな怖さを感じたものです。
ねこは別に何をするわけでもなく、とても穏やかで、なんの悩みも感じてなさそう、と実感した瞬間。
生きる目的って実は無かったんじゃないか、みたいな気持ちに襲われるのが休日の午後の陽だまりの時間のイメージです。
穏やかなんだけど、本当はすごく怖い、平和なひととき。
この曲の作り方はこの間動画で公開した通りです。
あわせてこの曲ではトップノートの動きに調性的な動きを感じると思います。
これはマザーメロディから展開するという手法です。
トップノートに対して自在にヴォイシングをつけていきます。
クオリアフル稼働。
今回もちょっと長調の匂いを残しています。
でも翳りというか、忍び寄る何物かを表現しています。
1:08ごろの
これは、右手はそっくりそのままコピペです。
貼って変えるつもりがいい感じになったのでそのまま使いました。
この辺はまだまだ実験をたくさんしていますね。
私の思考の癖なんですが、例えばこういうところで「中心軸システムっぽく短三度で貼っちゃおっかなー」とか一瞬でも思ってしまうと、その瞬間に創作脳から醒めてしまって、急に理屈で音楽を考えるようになります。
これが嫌いで、創作脳を覚まさないまま曲を作り続けられ、かつ、自分の中での不都合(方法論として誤った事をしていないか、という疑問)を回避できるような方法論を作る必要があり、私はその手段として不定調性論的な思考を確立したと思っています。
「ここは何々方法論、次は何々技法、次はヴォイシングを、次はオルタードを」ということで無駄に悩まないで、考えないで作ることができるようにしたかったわけです。技法がバレたら負け、考えたのがバレたら負け、みたいな(笑)。
慣れてくれば考えなくてもボイシングなど作れます。そこまでの足掛かりとして「考えないで作るトレーニング」が必要と思います。
現代のアイドルの作品が、バッハの作品より芸術性が高いとは、誰も思っていないように、作品の価値が高くなるには、古い順から順々に長い年月が必要です(現代の作品もいつかは古典になり大きな価値を生む、と思って作るのは、現代人の楽しみ)。作者の人生では足りません。だから、私達が今自分の作品に作品の価値意味手法云々理屈云々を考えても、先々の人達の思考まで制御することはできません。
ただただ作り続けて、そのやり方を主張し続けていくしかない、と気がついてしまうことは少しジレンマです。
これは多分自分が「作品にしないと満足できない」からですね。
誰も聞かないからといって、適当に作るのは、負けなんじゃないかとか(笑)普通に作ってこういう風になっちゃったら、これやり続けるしかないでしょ(≧▽≦)
まだまだこれから精進です。
引き続きよろしくお願いします!
不定調性教材にも出てくる在りし日のナナ。
よろしくnya!永遠に教材の中で生きてます。