日本人の心の情景を変えたシンガーソングライター(改訂版)―研究レポート;ユーミン楽曲の和声分析と音楽的クオリアが紡ぐ作曲の手法―
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9.参考文献抜粋資料4
文献3;《甦れ、ユーミン!「シャングリラ」の悲劇とポップスの死》 山下邦彦 株式会社太田出版(2003)
P.11
でも、これは不思議なもので、すごいと思ったのは初めて「ひこうき雲」を聴いたときだけです。でも、そこから先は一緒に音楽を作ってきたので彼女に感化されちゃったんでしょうね。だからあれ以上の衝撃はないですよ。
(『キーボード・マガジン』2003年2月号)
※本レポート注;松任谷正隆氏へのインタビューよりの抜粋。
P.13
字面を読んでもだめなのね。それが文字と違うところで、詞は時間をデザインしていくものだから。きいた流れの中でイマジネーションをかきたてるものだから。
(『月刊カドカワ』1995年1月号)
P.13
私は詞というのは文字としてとらえて、読んでは駄目だと思う。
そこが文学と違うところで、詞は時間をデザインしてゆくものだから、聴いた流れのなかでイマジネーションをかきたてるんだと思う。だから詞も曲も歌も一体のものなの。
(『uno!』1997年3月号)
P.18
今から4年前の1999年、『シャングリラ』制作をめぐるドキュメント(フジテレビ)の中で、松任谷正隆は、ユーミンとの出会いについて、こんなことを言っていた。
ショックだったですね。最初の1曲目からショックだったんですよ。具体的にどこがって言えますよ。「ひこうき雲」っていう曲のサビのあるところでB♭m7(ビーフラットマイナーセブン)を使うところがあるんです。そんなこと、誰もやらなかった。あんなショックなコード展開はなかったんですよ。
なんて言うんだろう、ある、普通だったらこう行くところに対して、こう行くっていう角度っていうものを、いつも彼女は持ってる。だからそれが、コードっていう意味じゃなくてね、世界観。
P.18-19
(松任谷正隆さんが最初に感じたユーミンの音楽の魅力ってどんなものですか?)
「ひこうき雲」って曲が、彼女の曲の中で最初に聴いた曲だけど、ここの響き(と、用意した楽譜の中のGm7→B♭m7→A♭△7と進行するB♭m7を指さす)が感動だったんですよ。
これをね、E♭7→A♭△7と代理にとって、アレンジをした人がいたんだけど、最低!何考えてるんだろうって思ったもの。
(『キーボードスペシャル』1985年12月号)
※本レポート注;A♭△7はA♭M7と同じ意味。
P.31
ホーミーという一人二重唱の唱法の名人を訪ねて(モンゴルに)行ったんですが、青森の三内丸山の縄文遺跡から受けた衝撃と同じテイストを感じて、わたしの源流はここかなと、ルーツにたどり着いた思いがしましたね。そこでオルティンドーっていう日本の追分みたいな歌を聴いて、涙がポロポロでちゃったりして。
(松任谷由実『Hanako』1997年 2月27日号)
P.31
とくに(パット・メセニーのアルバムの)『ウィチタ・フォールズ』の感じが、まるで、アメリカがまだ、だれのものでもなかった、太古の時代の精霊が話しかけてくるみたい......。
(non no1989年5月20日号)
※本レポート注;同アルバム原題は『As Falls Wichita, so Falls Wichita Falls』Pat Metheny & Lyle Mays(1981)
P.32
音楽って、いろいいろなかたちは違うけれど、郷愁が運んでくるんじゃないかな、っていつも思います。それがたとえば、距離で言ったら、とても近い、隣の国であったとしても、帰れない人、行くことができない人、それがあの、すごい遠い国であっても、そうだし、あるいは、宇宙、何光年も離れた星だったとしても、郷愁を感じるんだろうなあ。あるいはそこにいながらにして、ここではにどこか、この今の人間としての体では体験してないはずなのに、なんかDNAからくるような郷愁をフッと感じる時があるんですよね。(ユーミン『ユーミンの遥かなる音と魂の旅』テレビ朝日 )
P.53
好きな作曲家って、たくさんいるんですけど、-こういう曲を書きたいな、とか、書いてみたいな、っていう-ボサノヴァの作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンて言う人に関しては、私、”こういう曲を書けるような人間になりたいな”っていうぐらい、敬愛しているんです。
(『月刊カドカワ』1989年1月号)
P.56
そうですね。中間色でそれが移り変わっていくような。コードってすごく色彩だから、浮遊感とか。あと、それだけだったらね。流されちゃうからどっかに毒があるっていうのかな。シュールなところが、潜んでいる感じが好きですね。
あんまり田舎の子には出来ない。
(『SWITCH』2002年12月号)
P.76
「A HAPPY NEW YEAR」っていうのがあるんだけど、あのコードもすごいね。(中略)ポイントのコードはF#m△7/Bになるんだ。これは、何かの曲を弾いてて出きたっていってたけど、元のやつとはぜんぜん違うものができるところがすごいね。
(『キーボードスペシャル』1985年12月号)
P.103
実を言うと、僕は、自分が知らないうちにできてる曲、たとえば、今度のツアーでもやってる「水の影」なんかとても好きなんです。僕の手がかかってるのはすぐ飽きちゃう。
(『キーボードスペシャル』1985年12月号)
※本レポート注;松任谷正隆氏の発言
P.103
最初聞いたときよりスルメでしょ。(中略)うちの主人が”これはお前の曲の中でもスタンダード性高いよ”って太鼓判だったから。
(『オリコン』1989年12月4日号)
※本レポート注;ユーミンの発言、「ANNIVERSARY」について。
P.142
1995年の『KATHMANDU』(アルバム27)について、ユーミンはこんなふうに語っている。
「アルバム全体の話をすると、今回のは”フォーキィ(民族音楽的な)・アンド・トリッピィ(旅をしているような)”ですよ。(中略)フォークといっても、日本の'70年代のとは全然違う世界です。世界の土着的なものに触れた時、日本のFolkyなものを発見するっていうのかね。私自身、すごくそういうことがある。
(『月刊カドカワ』1995年12月号)
P.145
歌っていうのは、作った人間がいなくなっても、名前も知らなくても、ずっと残っていく可能性があるわけで、スタンダード・ナンバーっていうことですよね。だから、生きている間に、できるだけスタンダード・ナンバーになりうるようなものを、1曲でも多く作っていきたいな、と思って。よくそのときに、例を出すけれど、「さくらさくら」みたいな歌を作るのが理想で、誰が作ったか、誰も知らないけれど、メロディも歌詞もみんなが知っている。日本人がひとりでもいる限りって感じ。
(松任谷由実『松任谷由実の軌跡』NHK)
P.156
優しさ(この言葉は、イヤな私のキライな言葉だけれど)でなく、傷つく心を持っていることが大事だと思う。
(松任谷由実『婦人公論』1978年8月号)
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