前回
<第3章>科学から教育へ
「調性」の時代がやってきます。フランス和声を代表とする実践とデータによる和声の形式分類が学問として確立された背景などについて学習できます。
1810-11年に出版された『音楽家の歴史辞典』に「調性(tonalité)」という言葉が出てくるのだそうです。
この辺りになると音楽理論が当たり前のように学ぶべき体系に組み込まれていきます。
p81
調性は音階の諸音間に必然的にみられる継起的および同時的な関係の総体から形づくられる〔概念である〕
フェティス『和声の理論と実践総論』1844
和声の原理を音楽そのものに探すこと、その音楽そのものをフェティスは「調性」と言い換え、再び調性とは何かを問うています。
ここでフェティスは、「私にとって調性とは、音階の諸音が置かれる順序(配置)にあると言える」と述べ、和音の構成やそれを修正(変化)させる状況、和音を連続させる法則は、調性の必然的な結果であるとします。(中略)フェティスにとって調性とは音楽そのものであり、音楽とは人間(あるいは人種、民族)の表れであるという考え方が浮かび上がります。
これがフェティスが示した「調性」の定義だ、と筆者は述べています。まさに音楽の中に引き起こる現象に論理的側面があるべきである、と暗に示されているようです。以後の音楽は、いかにここから外れていくかの背徳的美と伝統的音楽理論の美のしのぎ合いの歴史となります。
フェティスのこの定義は、1830-40年代、だということです。
バッハ(1685 - 1750年)
モーツァルト(1756年 - 1791年)
ベートーヴェン(1770年 - 1827年)
シューベルト(1797年 - 1828年)
という感じですから、これらの偉大な作曲家たちは、和声論以前~出来立てほやほやの時代であり、彼らは主に対位法的に音楽を作っていたといえます。
また現代機能和声理論の体系収集は彼らがいたからこそ生まれた、とも言えます。
ラモーが和声論を出版したのが1722年。ダランベールのラモー解説が52年。バッハはその前に既にすべてを完成させていたわけです。
ワーグナーは1813年 - 1883年で、あの「トリスタンとイゾルデ」は1865年ですから、せっかくフェティスらが体系を掲げて間もなくワーグナーが危うい和音を提出したことになります。
(参考;フックスが1725年に著したGradus ad Parnassum(パルナッソス山(芸術の山)への階段)という対位法の教科書がバッハの棚にあった、ベートーヴェンもこれで学習した、という記述がありますね。教会音楽からまとめられた対位法が和声の先にあった、という意味においては、彼らの音楽-18世紀とそれ以前-を機能和声論として論じるのではなく、「19世紀の機能和声の分析方法で彼らの楽曲を新たに分析している視点」というのが正確な云い方と言えます。)
<第4,5章>機能和声の確立
フーゴー・リーマンがその土台を作りました。ポピュラーミュージックの分析法である、トニック、ドミナント、サブドミナントの分類法の元になる数学的な思想です。
I.共鳴(響き)には2種類しかない。上方共鳴と下方共鳴である。あらゆる不協和音は、上方共鳴と下方共鳴の変化として把握され、説明され、特徴づけられる。
II.和声には3種類の調的機能(調における意味)しかない。すなわち、トニック、ドミナント、サブドミナントである。転調の本質とは、これらの機能の変更する事である。
『和声論簡易版』フーゴー・リーマン1893年
リーマンが当時(19世紀後半)の数学、哲学の概念に影響受けた可能性があるという指摘が面白いです。
つまり、なぜ学問としてのポピュラー機能和声論と音楽理論の学習が作曲力そのものを向上させないのか、と言えば、この機能和声論自体が、対位法などの厳格な音楽的伝統に基づいた音楽の分析によって求められた分析学であったから、といえます。その物質が何で出来ているか観察して推測できるようになるだけで、その物質を作る工程は学べていない、ということです。
作曲はより精神的な感覚の具現化ができるかできないかが問題ですので、理論的学習だけでは「創作できるようになる」という精神性は得られません。そこに加えて、当時リーマンという個人の環境的影響(数学・哲学的な語法)の上に成り立っている一つの「独自論」的側面があることも見逃せません。
特にポピュラーミュージックにおいて、その利便性が発揮される「コード進行の学習」において、「機能和声論」は音楽理論的学習の片一方でしかない(和声論)、と考えるべきなのでしょう。
つまりもう片方の伝統技法は「旋律論」である対位法から生まれている伝統である、といえます。
更に実際には、ジャンル論やリズム論が学習されないと楽曲のノリや「ブルースっぽい」という雰囲気などをコントロールできない、ということが言えます。
これを可能にするのは、やはり多数の楽曲をコピーし実際に演奏してみる、という学習法になります。
ポピュラーミュージックの場合は、さらに「コード進行をベースにした全く別の対位法」(?)が確立されれば安定するでしょう。たとえば、
C#△→D#△
というコード移動の時、ギターコードではバレーコードで平行移動させます。
この平行移動は対位法的には美しくありませんが、ポピュラーミュージックでは当たり前のように使われます。ニルヴァーナやビートルズはこれがOKでないと学習上は「誤った音楽」になったままです。こうしたことを可能、とすることでポピュラー音楽学習時に誰もが体感するミッシングリンクを埋める手立てになるのではないでしょうか?
リーマンの上方共鳴・下方共鳴の展開
不定調性論にもっとも関わるのがリーマンの二元論的モデルです。
1893年「和声論簡易版」において、
・響きには長三和音と短三和音しかない
・機能はトニック、サブドミナント、ドミナントの三つしかない
と定義しています。そこで
上方共鳴と下方共鳴という考え方を用いており、
長三和音=c,e,gはcが主要音
短三和音=a,c,eはeが主要音
としています。これは下方振動数の原理から来ています。
またドミナントとサブドミナントのニュアンスも
「上方のドミナント」「下方のドミナント」
という意味合いでした(この発想は拙論でも引き継いでいます)。
この辺りは時代背景や当時の主流の音楽の存在があります。
現代においては、トニックマイナー、ドミナントマイナー、サブドミナントマイナーなどがあるに越したことはありません(あった方が便利)。
また様々な和音の種類がある現代において、全てを長三和音と短三和音に帰するのは無理があります。このあたりが「ネオリーマンセオリー」によって追及されるわけです。
フーゴー・リーマンは音楽の根拠として下方倍音列を用いようとしましたが、そうではなく数理の関係性として現れる存在として見ていくと、あっさり機能和声論は下方領域の存在を認めざるを得なくなります。
Neo-Riemannian theory / ネオ・リーマン・セオリーの紹介
音楽理論研究会で親交ありましたneraltさんのページが一番詳しく、かつ分かりやすいでしょう。
また不定調性論で指摘した「CG問題」と似たようなこともリーマンは転調の関係性としてとらえていました。
リーマンの場合は和音と和音の連鎖という視点からですが、
C△→G△
をハ長調で考えれば、I→Vであり、ヘ長調で考えればIV→Iです。
このように調が見かけの解釈で異なる、というわけです。
これも現代では、変ロ長調でいうとII→VIであり、モーダルにC△でCリディアン、G△でもGリディアンを用いればまた解釈が変わります。
ゆえに拙論では、機能を設定せず、「そもそも何をどうしても良い」という前提があった上で、機能和声のルールに則るか、自分なりのルールを作るか、という選択の段階があることを思い出していただきます。
続く