音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

<論文を読む7>和音進行の複雑さが快感情に及ぼす影響

本日はこちらを読んでみましょう。

和音進行の複雑さが快感情に及ぼす影響(視聴覚技術,ヒューマンインターフェース)

ページ右の赤枠「PDFをダウンロード」で見ることができます。

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あらまし

本研究では和音進行の複雑さが快感情,好悪,情動に与える影響を調べ た.長調・短調について複雑さの異なる 3種の和音進行を12回繰り返し聞かせ,11種の評定項目について評価させた.1回目の聴取後の評定では複雑さが低いものがもっとも快感情が高かった.しかし,これを繰り返し聴取すると複雑さが高い条件でも評定値が上昇し,その差がなくなった. 「悲しい」「楽しい」などの他の情動については複雑さの高低には影響されないもの,複雑さが高くなるにつれて長調においてのみ評定値が減少するものなど,情動の種別によって異なる結果を示すことが明らかになった .

 この手の研究の最先端ではどんな実験をされているんでしょうね。

僕等素人がイメージするのは、

シェーンベルクの曲を聴かせても、モーツァルトの曲を聴かせても脳の同じ場所が反応した、ここが音楽と情動に関わりがあるに違いない、とか

すごく楽しく笑える映画を観た後に、悲しい葬送曲などを聴かせても、特に悲しみのに反応する脳の部分は反応しない、とか、逆に同じように反応しているが、本人はあまり悲しを感じてない、とか。

寝ている間にこのモーツァルトの曲を聴かせると本当にリラックスできているようだ、とか。20年の研究の成果だ、みたいなことがわかっているのかな???なんて考えてしまうのですがどうなのでしょう。

このあらまし、だけを見るとこれまで紹介してきたものと同じような研究ではないか??なんて感じます。

 

谷口[1]によれば,Berlyne[2]は刺激の複雑さに関して最適複雑性モデル 〔optimal complexity rnodel >を提唱している.このモデルによると,人は刺激が複雑すぎも単純すぎもしない中程度の複雑さのときにもっとも快く感じる.

 これこそ商業音楽の理論の極みです。

斬新すぎて破廉恥なものは、どんなに先進性を持っていても意外と受け入れられず、全く耳に残らないセオリー通りの作品もダメ。この真ん中を行くことがどれほどストレスの高いもので難解か。わかっちゃいるけどできないものですね。

そしてそうやって注目された作品は「よくあるコード進行」「伝統に沿っている」とか言われて的外れに「普通だ」みたいに言われます。

問題はこの普通さを新たに創造するのがほぼ凡人では不可能なのだ、ということを何もしない人はわからないわけです。

ゆえにそういったポピュラーミュージックは価値が低く、より刺激が強く、完全にアートの振り切った作品を「アートだから」別次元だ、みたいに言い合う二つの価値観があります。どっちも微妙にずれているのがこうした論文一つ読むだけでちょっとわかった気がしたりします。。

 

榊原[4] は音楽の繰り返し聴取が快感情に及ぼす影響についての実験のなかで刺激の不確定性の知覚に寄与する要因として冗長性と典型性の2種類を挙げ,それぞれ区別して扱っている,冗長性とは特定の刺激内の前後関係から定義される,刺激に内在する不確定性である.一方,典型性は音楽の様式上の構造的ルールから逸脱する度合い,すなわち聴き手がルールについての知識を参照することによって期待される事象と実際に知覚される情報との間のずれによって定義される不確定性である .冗長性 ,典型性ともに高いほ ど不確定性は低くなる.なお不確定性という用語はまぎらわしいので ,以下,不確定性を複雑さとあらわす.

人の聴覚の身勝手さもちゃん類別されています。。研究はほんと大変だなぁと感じるときです。そこからやらないといけないのでは、本当に100年の計で考えていかないと結論らしき何かは出そうにありません。

 

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果たして普段音楽を聴いている人がどれだけリラックスをしているか、までやがては考えないといけなくなりそうですね。

 

「楽しい」では,複雑さが高くなるにつれて長調の評定値は下がるが ,短調ではほぼ一 定の値となっていた,同様に「おだやかな」のグラフも同じ傾向を示していた .逆に「悲しい」では ,複雑さが高くなるにつれて短調の評定値は上がるが ,長調ではほぼ.一定の値となっていた,「楽しい」「おだやかな」という情動は特に長調との関連性が強く,短調との関連性は弱いことを示すものであると考えられる.逆に「悲しい」という情動は短調との関連性が強く,長調との関連性は弱いことを示すものであろう. 12回目において,繰り返しの主効果は 「’魔れに満ちた」においてのみ5%水準で有意な差があった.調と繰り返しの交互作用に関しては好悪においてのみ5%水準で有意な差があった.複雑さと繰り返しの交互作用に関しては「憧れに満ちた」で1%水準,快感情,好悪,楽しい」,「高揚した」,「堂々とした」では5%水準で有意な差があった.

 

この辺もあえて言われなくてもなんとくわかる、ということでしょうが、こうして実験した確かにその通りにしていく、ということを積み重ねることでしか 研究は進化しません。問題は結果としてどこに向かいたいか、もっと大きなビジョンを示して、それがAI技術や、社会貢献にどういった形で参与できるかをプレゼンテーションできれば、音楽関連企業も参加するかもしれませんね。Studio ftn Score Editorを使っている、ということですが、様々な有名ソフトのサウンド音源プラグインではきっと違うイメージを聞き手に与えたことでしょう。問題はこの研究の先にあるものは何か、を大きなビジョンで指し示すことであると感じます。

といって、私はこうした研究はできず、まず、機能和声と対極の方法論を作ることによって、音楽表現の自在度の可能性を方法論で明確にし、さらにそれらが一つのれんkつした数理という存在を介していれば、あとは組み合わせの方法です。そしてそこに脳の機能と、心象へのインポーズを行うことで、人と音楽との関係が、個人個人で理解できます。音楽が好きなあなたが、音楽を通して自分がどういう人間なのかを把握する、ということです。

そしてそこから先が音現象と心象の数値化によって何がなされるか、何が可能かを考えているのが今の段階です。できれば量子力学的な相似形が音楽と人との関係にあったらいいな、と考えています。つまり量子が振動で何かを作り出すのと同じように、人は音楽にその原初の行動をもした何かを感じている、と分かれば、量子の研究にも役立つ、とか、ヒントになるとか、そういうことです。その結果「楽しい」という気分に自在になることのできる人間は、ポジティブな物質を作り出し、それが体内に作用し、なんらかのパワーを発揮する、みたいなことが説明できるのではないか、と感じるからです。

 

それが音楽と関わっているかどうかは別として、なんで音楽を人が好むのか、が宇宙との関わりで解決されない限り、またその道筋が見えない限り、音楽家は音楽を自在に操る方法論を明確にしてそれぞれが音楽表現活動を行うしかない、といういつもの結論にたどり着きます。

 

 

   

==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題== 

ドライブレコーダー買っておかない??って話になりました。

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