音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

<論文を読む7>和音進行の複雑さが快感情に及ぼす影響

参考

www.terrax.site

 

和音進行の複雑さが快感情に及ぼす影響(視聴覚技術,ヒューマンインターフェース)

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あらまし

本研究では和音進行の複雑さが快感情,好悪,情動に与える影響を調べ た.長調・短調について複雑さの異なる 3種の和音進行を12回繰り返し聞かせ,11種の評定項目について評価させた.1回目の聴取後の評定では複雑さが低いものがもっとも快感情が高かった.しかし,これを繰り返し聴取すると複雑さが高い条件でも評定値が上昇し,その差がなくなった. 「悲しい」「楽しい」などの他の情動については複雑さの高低には影響されないもの,複雑さが高くなるにつれて長調においてのみ評定値が減少するものなど,情動の種別によって異なる結果を示すことが明らかになった .

 この手の研究の最先端ではどんな実験をされているんでしょうね。

 

谷口[1]によれば,Berlyne[2]は刺激の複雑さに関して最適複雑性モデル 〔optimal complexity rnodel >を提唱している.このモデルによると,人は刺激が複雑すぎも単純すぎもしない中程度の複雑さのときにもっとも快く感じる.

 これこそ商業音楽の理論の極みです。

斬新すぎて破廉恥なものは、どんなに先進性を持っていても意外と受け入れられず、全く耳に残らないセオリー通りの作品もダメ。

そしてそうやって注目された作品は「よくあるコード進行」「伝統に沿っている」とか言われて的外れに「普通だ」みたいに言われます。

問題はこの普通さを新たに創造するのがほぼ凡人では不可能なのだ、ということを何もしない人はわからないわけです。

ゆえにそういったポピュラーミュージックは価値が低く、より刺激が強く、完全にアートの振り切った作品を「アートだから」別次元だ、みたいに言い合う二つの価値観があります。どっちも微妙にずれているのがこうした論文一つ読むだけでちょっとわかった気がしたりします。。

 

榊原[4] は音楽の繰り返し聴取が快感情に及ぼす影響についての実験のなかで刺激の不確定性の知覚に寄与する要因として冗長性と典型性の2種類を挙げ,それぞれ区別して扱っている,冗長性とは特定の刺激内の前後関係から定義される,刺激に内在する不確定性である.一方,典型性は音楽の様式上の構造的ルールから逸脱する度合い,すなわち聴き手がルールについての知識を参照することによって期待される事象と実際に知覚される情報との間のずれによって定義される不確定性である .冗長性 ,典型性ともに高いほ ど不確定性は低くなる.なお不確定性という用語はまぎらわしいので ,以下,不確定性を複雑さとあらわす.

人の聴覚の身勝手さもちゃん類別されています。研究はほんと大変だなぁと感じます。

 

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果たして普段音楽を聴いている人がどれだけリラックスをしているか、までやがては考えないといけなくなりそうですね。

 

「楽しい」では,複雑さが高くなるにつれて長調の評定値は下がるが ,短調ではほぼ一 定の値となっていた,同様に「おだやかな」のグラフも同じ傾向を示していた .逆に「悲しい」では ,複雑さが高くなるにつれて短調の評定値は上がるが ,長調ではほぼ.一定の値となっていた,「楽しい」「おだやかな」という情動は特に長調との関連性が強く,短調との関連性は弱いことを示すものであると考えられる.逆に「悲しい」という情動は短調との関連性が強く,長調との関連性は弱いことを示すものであろう. 12回目において,繰り返しの主効果は 「’魔れに満ちた」においてのみ5%水準で有意な差があった.調と繰り返しの交互作用に関しては好悪においてのみ5%水準で有意な差があった.複雑さと繰り返しの交互作用に関しては「憧れに満ちた」で1%水準,快感情,好悪,楽しい」,「高揚した」,「堂々とした」では5%水準で有意な差があった.

 

この辺もあえて言われなくてもなんとくわかる、ということでしょうが、こうして実験を積み重ねることでしか 研究は証明されません。

Studio ftn Score Editorを使っている、ということですが、様々な有名ソフトのサウンド音源プラグインではきっと違うイメージを聞き手に与えたことでしょう。

 

そしてそこから先が音現象と心象の数値化によって何がなされるか、何が可能かを考えているのが今の段階です。できれば量子力学的な相似形が音楽と人との関係にあったらいいな、と考えています。つまり量子が振動で何かを作り出すのと同じように、人は音楽にその原初の振動を模した何かを感じている、と分かれば、量子の研究にも役立つ、とか、ヒントになるとか、そういうことです。その結果「楽しい」という気分に自在になることのできる人間は、ポジティブな物質を作り出し、それが体内に作用し、なんらかのパワーを発揮する、みたいなことが説明できるのではないか、と感じるからです。

 

それが音楽と関わっているかどうかは別として、なんで音楽を人が好むのか、が宇宙の根源的システムとの関わりで解決されない限り、またその道筋が見えない限り、音楽家はそれぞれが独自論を創造し、音楽表現活動を行うしかない、といういつもの結論にたどり着きます。