音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

制作メモ;<ピアノ曲>不定調的な即興表現★★★★

不定調性論で作るピアノ曲です。授業などで活用するために作りました。

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即興的に横の流れだけで作っています。自分が感応できる和音と装飾音になっています。

 

もともと機能和声が生まれる前の時代に、ここまでのジャズ和声的なものはなかったにせよ、理論がないだけにみんなこんな風にてんでバラバラなことをしていたのかもしれません。

そこで美意識を統一し、形式をまとめ、差別化することで、西洋音楽文化を作りました。

 

やがて今度は吹聴される美意識や形式が人を縛っていきます。そして近代音楽の諸先輩陣がそこに旗をあげ、全てを解放したわけです。

 

しかし皮肉なことに、いつの間にか音楽文化は形式の外に出づらくなってしまいました。また崩壊は破滅的な方向に向かい、戦争の時代と重なり、破滅的で厭世的、虚無的な表現と連動してしまいました。

それを救ったのは、やはりブルースとジャズだったのではないか、と思います。

 

不定調性論は、18世紀に危機管理のために作られた音楽理論の枠組みを

「理論的制約をばらして作ったとしても、西欧音楽教育を受けた人しかいない現代においては、どうしてもある程度の慣習の中に収まるから、安心してその外に出てもいいよ」

という意識の部分の解放を認知させ、さらに推し進めるために具体化した方法論です。

 

近代音楽や現代音楽はドミナントへの憎悪のようなものすらありましたが、その時代以後に生まれたポピュラーソングがあいも変わらず人を感動させることを知った現代人は、もはや理論的制約を恨んだりしていません(個人差あり)。

 

だからこの曲にもドミナントモーションは出てきますし、一部調も発生しています。

しかしローインターバルの下限とか、声部進行の不自然さ、不協和さなどが生まれてもそのまま採用します。それらの美意識は調がある折に必要な厳格化された美意識だからです。濁りは「意識の淀み」とか「不安」を表します。これは下限を破らないと生まれない場合もあります(昨日和声時は、前後の濁りに一定の範囲があるので、下限を超えた濁りすぎは単純に違和感となります-まるで映画でそのシーンだけ音が聞こえなくなって画面が真っ黒になったような-バランスが大事なのが機能和声です)。

 

大切なのは、作り手が各声部の響き、流れに"音楽的意味"を感じているなら、それを許容する、という考えかたです。作曲者自身の心の中に写されるものを優先する、というわけです。これは機能和声ではなかなか難しく、ブルースやジャズが近代音楽を模範にして拡張して来たロックな発想です。

その代わり、そうした規範破りを用いるな、と言われた仕事などにおいては用いない、という分別があれば良い、ということへ解釈が必要です。

そうしないと少なくとも音楽的業務を行うことができず音楽で生きていけない人ばかり作ることになるからです。

 

伝統的音楽教育を受けられる人は幸運です。しっかりと体に入れてください。

そのあとでどうやって個性を探すかということについてのやり方を不定調性論は心得ています。学校卒業後に何をしていいかわからず、社会に縛られる、という段階において助けになれば幸いです(機能和声にあなたの信念が疑問を持ったら並行して学習してください)。

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18世紀であれば、理屈も慣習も全く体得していないまま

どこに向かうかもわからないまま作曲をしていたかもしれません。それゆえに教会の指導が必要だったのでしょう。

しかし現代日本ではほとんどの音楽の素養を持つ人が、一般的教育を受け、メディアから一般的音楽を聴き育っていますから、真摯に学習した経験があれば、よほどのことがない限りおかしな作品を作ることはないので、音楽理論的慣習の絶対的体得がそれほど難解でも急務でもありません。

むしろ適当に作ろうとしてもドミナントモーションが入ってくる、というのが普通、と考えていいでしょう。

そうなると無意識の時から聴かされてきた音楽的慣習と、個人に備わっている他者と異なる感性的部分をどのように引き出して合算していくかの方が大事になってきました。

狂気の天才であればそれが個人でできますが、多くの人は流されるだけで大切な才能を自ら打ち消して社会が長年培って来た美意識や商業的価値に飲み込まれてしまいます。

 

不定調性論はそうした「個人が押しとどめている社会との差異」を前面に出しそれを犯罪ではなく、芸術表現に昇華していくことで特異性の高い個人の人格を救おう、という目的もあります(法に触れる前に)。

 

そのためには、自分がどう個性的なのかを講師と一緒に探っていく必要があります。

そしてこれは講師の側にも難問です。もしその人が「逆立ちして作曲するとすばらしいい曲ができる」という個性の持ち主であれば、どうやってその答えにたどり着くか、大抵想像すらできないからです。ましてや犯罪を犯しているとき素晴らしいインスピレーションが浮かんでくる、なんて人をどうやって平時に助けることができるでしょうか。

それを本人が知っているなら、まだマシですが、本人が狂気の沙汰に落ちないとわからないのでは、講師も命がいくつあっても足りません笑、いえ、笑えない話です。

 

私たちは少数派の稀有な才能を無視せず、どのように作品制作と創作活動に生きがいとビジネス観を見出してもらうかという提案を仕事にしています。

もちろん普通のレッスンの方が主流ですが。

 

その方法論として不定調性論という思考のあり方が一つ存在していれば、

突飛で役に立たない才能=社会に必要ない

とせず、せめてSNSで発信できるぐらいの肯定感を持てるところぐらいまでお連れできればいいかな、と思っています。そこからどうやってニーズを見つけるかの旅の方が厳しく長いものです。本当に好きでなければ続ける事はできないでしょう。

 

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私自身が少数派であり、和音の感覚にどうもノイズが入っていて、なんとかポピュラー和声に対して理解は示せたのですが、自分が持っている感覚をどうしても追求したくて、まず方法論作りから始めました。

自分が自分を認めてあげるまでだいぶ遠回りしてしまいました。

 

自分の何が一般の方法論と違い、自分にどんな性壁があるのかを直視し、列挙することなくして、自己の作品を作ることはできないと考えたからです。そうでなければ、単純に「音楽理論のやり方を誤って用いた曲」しかできないからです。

 

「誤っているもの」が作る負の表現の先に本当に表現の可能性や心象風景はないのか、と追求していきました。そして進んでいくとそこには確かに心象風景がありました。

しかし、それは理論的真実ではなく、単純に私自身が持っていた音楽に対する個人的な風景感でした。統合化に向かった音楽理論の道とは真逆の道を進んで行ったわけです。

 

あとはそれを具現化しても良い、という体系を作るだけでした。

あのまま機能和声論しかない世界であったとしたらは私の作品は「ただのちょっと外れた残念な音楽性」で排除されるだけです。せめて自分が主張できる何らかの居場所を見つけ、それを発信しなくちゃ、と。

まかり間違えば、現代音楽やスピリチュアルにでも道を求めないと生きる隙間がなく、結果として社会を疎んじ、理解者を得られず、孤立して自己実現の意欲を失ってしまっていたでしょう。

 

不定調性論による楽曲はそうした少数派が参考にして自身のやり方に昇華できる一つの事例として秘かに存在してあれば良い、と思っています。

私はこうやって自分のやり方が見つかった事で、逆に機能和声論的音楽に憧れを感じ、自分は自分、世間は世間、と行ったり来たりする楽しみを覚えました。

初めてどちらの思考も歓迎することができました。自分が自分を認めたのです。

 

拙論があなたにも大事!とは絶対に申しません。あくまで私はこれで自分が理解でいたので、あなたのも見つけられるかも??という提案です。

あなたは私とやり方が異なるはずです。

私はこのようにやっています。あなたはどういう考え方で何を作りますか?

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