不定調性論では音楽表現における排除された存在の中に潜む一縷の美を頻繁に活用します。形を変え、バランスを変え、色彩を変えて生み出される偏見から生まれる"美しくなさ"が持つ独特の静寂を表現に活用します。
それらはたった一つの観念で結ばれていると思います。
それは「恐れ」だと思います。
矛盾と表現
どんな盾でも突き破る矛
どんな矛にも突き破れない盾
は『韓非子』の一篇にある話。矛盾は日常に潜んでいますが、その見栄えが非建設的で卑しく見えるため、解決策を考えず戸を閉めてしまうことが多いです。
一級の矛の達人と、盾の達人でも個人差は必ずあるので、ちょっとタイミングがずれれば矛あるいは盾が破られます。
「矛盾」はごくごく表面上の物理常識についての曖昧なたとえです。
矛盾の中に潜む理屈がわかればその話が持つ独特の雰囲気が見えてきます。
それを表現するのが悖美法(はいびほう:Paradox-Sublime Technique)です。
命題という範疇に物事を真か偽かで判断する話があります。
日本一高い山は富士山である
これを真と捉えることで論理は成り立ちます。
ただ富士山が爆発したらわかりません。1万年後はわかりません。領土が変わったらわかりません。「真」は暫定的であることがあります。
クリエイターは映画の中で「富士山よりも高い山を作ろう」と思って脚本を書けます。「彼のプライドは富士山より高い」と表現できます。
人は皆死ぬ
これも真。ゆえに人は不死身という概念を作れます。
同じようなものに「定理」があります。
三平方の定理が非ユークリッド幾何で成り立たないのは有名ですが、私たちの頭の中もいわば、非ユークリッド空間と言えます。時間も空間もめちゃくちゃに自在です。マウリッツ・エッシャーの作風はその先に行けます。エッシャーの美は悖美法によって構成されています。
別れた彼女はきっと僕の元に戻ってくる
この偽を本気で信じることができなければ、backnumberの「はなびら」のような曲を作れません。それを心に描けるから作品が生まれます。
人に「心」がある限り、意識の中で、真を偽に、偽を真に変えることができます。現実世界でこれを実践すると反社会的行為になりますが、アーティストは、矛盾を越えていけます。
また、
昨日、僕の家の前にキリギリスがいた。僕がキリギリスに、そこで何をしているの?と聞くと、キリギリスは、じゃあ君はそこで何をしているんだい、と聞いてきた。だから僕は答えた、そんなの君には関係ない、僕が知りたいのは君がそこで何をしているかなんだ、とまた問い掛けると、キリギリスは、君と同じだよ、と答えた。
この文章に意味や込めたい意図は何もありません。
でもこれは歌になります。歌になると、世の不条理を歌っているように聞こえさせることもできます。不定調性論でいう「音楽的なクオリア」です。印象を相手に与えることで、聴き手は自分に内在する何らかの経験則から、印象を探り当て、勝手に意味を作り上げてくれます。この辺はユーミン研究で書きました。
「無理を上手に通すことが道理」です。
音楽理論を知らない人たちが、サンプリングでヒップホップを作って世界一の音楽文化を作りました。
こうした思考を「非論理学」とでも呼ぶなら、それは芸術家の学問だと思います。
完璧なんだけどつまらない
音楽制作時や表現を評価する時、何とも言えない感情や表現をしてしまう時があります。適切な表現が生まれる前の直感的な感覚を文字にしたものです。
文章の論理はある意味で破綻していますが、言いたいことがなんとなく伝わる表現。
つい気持ちがこんがらがって「矛盾する、と捉えられても仕方ない文章」を述べてしまうことがあります。
不定調性論では、矛盾を容認するので、矛盾だからとおざなりにせず、そのニュアンスを丁寧に感じながら(直感)、表現を作れます。心に発した意図、本当は何が言いたいのかを探るとっかかりにするために矛盾を容認します。
ここはめちゃくちゃ低音の不協和音にすることで恍惚の協和まで底を突き抜けたい
実際に自分が制作時に感じた矛盾です。これを受け入れトライしていくと、実際「表現」は生まれます。下記でトライしました。1:15頃。
矛盾を感じる時というのは、矛盾ではなくて、何らかのもっと他の少しややこしい技法や感覚で表現されるべき方法論が隠れているヒントと思ってみます。
仕事に行きたくないけど金は欲しい
こうした感情を認めてみてください。これには様々な感情が混じっていて、仕事に飽きた、楽して稼ぎたい、好きな仕事をしたい、人に認められる仕事をして大金を得たい、というような欲望も感じます。
または単に「認めてほしい」っていうだけかも。
不協和音も矛盾かも?
協和ではない、ということの意味があるだけですが、それが良くないもの、というイメージがあるのように感じます。
自分がどう扱うか、だけです。
生きようとする、と死に一歩近づきます。
人は元々矛盾の中にいて、普段はそれを感じないように脳が構成されています。
今日は朝から夜だった
文章としてはおかしいですが、絵にはかけます。朝日なのに空に星が輝いているイメージを浮かべることもできます。
現実には宇宙には朝も夜も混じり合い絶対的な朝も夜も決まってはいません。
この文章は正しいことを言っていますが、言い方が面白くリズムも良いです。
その言わんとするところをなんとなく自己解釈してゆくところから自分を紐解き、自分が面白いというところを見つけていかないと自分の表現は見つかりません。
音楽的な違和感、もあります。
・人ぞれぞれ感じるところ、程度が違います。
・やがて慣れます。
・「これは無理!」と思うのは主観です。
法律に違反していない限り、表現活動になり得ます。
違和感のレベルを6段階にしたとしましょう。
違和感0...普通/許せる
違和感1...稚拙さ
違和感2...すこしきつい
違和感3...明らかに変/異様
違和感4...悪質
違和感5...病的/暴力的/侮辱的
通例9セクションある曲で全てが違和感のない作品である場合を、
0-0-0-0-0-0-0-0-0
と表現したとします。
例えば、これが
0-0-0-0-1-1-1-0-0
このような感じだと無意識なミスに思えたりします。微妙な不協和、スネアのピッチがあっていない、とか。
これが
0-0-0-0-2-2-1-0-0
だと、時折カッコよく聞こえたりします。アウトサイドするソロや、変態的なポリリズムとか。
また、
0-0-0-0-3-0-0-0-0
だと「あれ?ミス?」などと感じてします。
しかし、
0-2-2-2-3-2-2-2-0
となっていると現代音楽的解釈が可能です。
「理解できないけど、まあ、頑張ってやってみたら?」と言われたり。
現在自分が使っている違和感がどの程度のものかある程度把握するために「違和感0」であることがどのようなものか、を学ぶのが学校での勉強であり、音楽であれば音楽理論の学習です。
私もこの辺の曲からなんとなく発芽しました。
私には違和感とは行動力の源です。
失敗の価値は失敗の結果初めて生まれる
音楽には「変な音」って思う音が入ることがあります。
古代ギリシャ哲学ではすでにそれを意味する用語があります。
"エポケー"を発動し、枝葉な疑問を留保し、今何をプロデュースしていくかを判断するのが現場の仕事であり、また音楽理論は実用として二次的な文語的な疑問に対する取り扱いの立ち位置を明確にできる体系になっていったらいいなと。
・自分が不快に思ったら不快
・自分が不快に思わなかったら不快ではない
でまとまる話です。
現場なら皆の意見を聞いて、最後は現場で一番偉い人が判断します。それが理論的にあっていようが、いまいが。
「自分が感じる価値は自分の中でのみ成り立つ価値」と認識できる訓練をして、そこから組織でどのように周囲の意見を展開するかを追求するのが得策です。
個人ではそれがわかっても団体だと難しいです。権利の力学が働くからです。
図を用いて説明します。

これらの音にプチ不快さを感じるかもしれません。
時代が戻りますが、「Let it Be」のミストーンをミストーンとして捉える考え方と、ミスにしない捉え方の二つがあることを教えてくれます。
お互い「あれは間違いだ」「あれはそろそろ容認すべきだ」などと言い合うことの楽しみの手段になってしまう音表現もあります。「The Shaggs」のように。
それらの音を定義する人もいると思いますが、それらは結局「そういうあなたの独自論ということですね?」となります。
拙論ですと「ハーモニックインターチェンジ」と銘打たれる部分でさまざまな変則的表現が可能になります。

例えば上記の赤色枠がハーモニックインターチェンジポイントです。
ここでは何が起きても表現だ、とあらかじめ認めておくのです。
わざとぶつかる音を置いてもいいし、トイレに行ってもいい。
その上でルールを決めます。「法に反しない範囲で」とか「1960年台までのジャズで可能な表現で」とか。
最初の話に戻ると、現場で重要なポイントに注視するために、ここはハーモニックインターチェンジと捉え、あとはエポケーしよう(論理を留保し、直感的に進めよう)!とかにすればやるべきことが見えてきます。
失敗、ミストーン、事故はどうしてもおきます。それが起きた時諦めずどのように対処し、切り抜けるか、を完遂できた時、失敗は価値に近い意義となります。その意義が生まれるまで何十年もかかる失敗もあります。
何百年の音楽を振り返ると、音楽はそうした"意義"の上に成り立っているので豊かに感じますが、今戦っている自分たちは不安の間にいつもいますね。これから先に生まれる意義を感じながら音楽に向き合う、というのも普段律していかないと見極められませんね。
学習初期に起きがちな混乱〜情動性行動
直前に奥さんとか旦那さんとか家族とか上司とかにマウント文句を言われたとしましょう。その後で向き合う仕事に、その気分が反映されて、仕事で固執したり余計なことをしてしまう場合があります(情動の転移)。
切り替えて仕事に向き合える人もいます(情動性行動の掌握)。
ズボラな(情動との乖離)人もマイペースでできます。
自分の気分や感情的なバランスがわかりやすく相手に伝わるタイプ(情動性発露気質)は周囲も認めやすいです。
逆にわかりづらい(情動性隠秘気質)と何を考えているのかわかりません。
そういう側面を周囲が理解し(情動性気質の周知)、うまく回せれば組織は円滑です。
自分がむしゃくしゃしていると、
・なんかさっぱりしたいからCM7やCM7(9)
・真実をぶつけたいからCでがっつりはっきりくっきり
・憂さ晴らししたいから刺々しいCM7(#11)
逆にとてもいい気分で仕事に向かった時、
・気持ちが穏やかだからCadd9、C6
・少し興奮するからCM7(9,#11)
といった行為が前後の感情によって反映される時期があります。
その時の気分で決めたコードは果たして適切でしょうか。
ちょうどむしゃくしゃした出来事の後、AメロからBメロへの展開を考えていたとして、
つい、三度上げ転調、増四度転調、みたいなことをしていないでしょうか。
逆にすごく落ち込んで、「ここは転調しなくていいや」などと本来であればそうはしなかった、などということをしていないでしょうか。
これらの情動性行動はメロディの流れや、アレンジ、歌詞も影響受けるかもしれません。楽曲全体の完成に影響を及ぼすかもしれませんし、レコーディングのときの相手への指示にも影響を及ぼす可能性もあります。現場によってはそれ明けで信頼を失ったりも。
フィーリングだけで音楽と向き合っていると最初はこうしたミスが起きやすいです。
理論を学べばいいという問題ではなく、直感重視が引き起こすディメリットみたいなものです。それを知った上で冷静さとか実直さ、それに伴う生活の規律を整える、といった考え方に展開できます。
またこれはブーバキキ効果的な考え方ですが、ひどく落ち込んでいたり、こだわりや憧れがあると、使う技をあらかじめ決めたり、少し無理筋を狙っていることに気づけなかったりします。
より抽象的に、攻撃的な気分だからカクカクした形のモデルを使った表現に加担したり、優しい気持ちだから柔らかい名前の技法を使う、といったことが影響していない、とも限りません。
四角いモデル
丸みを帯びたモデル
立体的なモデル
建造物のようなモデル
自然生物のようなモデル
カラー豊富なモデル
数式が出てくるモデル...etc
何かを選択するとき、それらの方法論モデルの外見が創作者にどんな気分を起こさせ、それをどのように使いたいと思わせるか、を考えても良いと思います。
独自論は、いかに自分が制作しやすいような方法論としてまとめるかがテーマになります。フォルム、思考経路、ツール、全てが自分を常に解放する存在に育てていけるといいですね。
感情とフィーリングを大切にする場合も、普段のライフスタイルにおいても感情とフィーリングが豊かに保てるよう規律を整えていく必要があることもわかります。
自分から自己をデトックスする
自分の中から自分を引き剥がします。
今したいこと、今食べたいもの、頭によぎる想い、明日の予定への想い...
必要な時にこれらを自分の中から引き剥がす訓練をしましょう。
愛着や執着があるかもしれません。どうせまたその問題は頭に戻ってきます。
戻ってきた時に、より純粋なフィルターで濾過できるように、気持ちを脱ぎ捨てる思考を覚えておきます。
これらは制作前に行う「ストレッチ」や「道具の準備」に近い行為です。脳のメモリが一旦空になることで今考えるべき本質にアクセスしやすくなります。
そのほかに下記と組み合わせてもいいです。情動的仕事になりすぎないようにする工夫です。
1.対象者思考
効果:脳のワーキングメモリのリセット、余裕のある思考力の回復
具体例:目の前の猫の気持ちを考えてみる、テレビに映ったスポーツ選手の今の気持ちを考えてみる(入り込んでみる)、目の前の文房具/家具を作った人の気持ちになってみる
2. 歩行(ウォーキング)
効果:前頭葉の過活動を落ち着け、記憶の定着や発想の柔軟性が高まる。
根拠:「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」が活性化されることで、内省・整理・創造性が促進。
ポイント:自然の中(緑道、公園など)を15〜30分ほど歩くのが特に効果的。
3. マインドフルネス瞑想
効果:脳のワーキングメモリのリセット、情動の鎮静化、注意力の回復。
具体例:3分間呼吸に集中するだけでも効果あり(「3分間マインドフルネス」などと呼ばれる)。
参考:Google社が社内研修に採用した「Search Inside Yourself」もこの考えに基づいています。
4. ポモドーロ・テクニック(短時間集中+休憩)
効果:短期記憶に入った情報の整理や定着、頭の「キャッシュクリア」。
具体例:「25分集中→5分休憩×数回→15分休憩」で記憶と注意力のリフレッシュ。
5. ナップ(仮眠)
効果:短期記憶を長期記憶に移し、作業記憶をクリアにする。
推奨:15〜20分の軽い昼寝。深く眠らない程度が最適。
6. ジャーナリング(頭の中の書き出し)
効果:脳内の「短期的なノイズ」を視覚化して整理できる。
形式:「いま思っていること・心配していること」を箇条書きで書くだけでも効果あり。
矛盾を無視した生き方
完璧がない/終わりはない、ことは折々無視される
皆で食べるちょっと豪華な夕食、について考えてみましょう。
材料を買ってきて、調理して、食卓に並べます。いただきますの挨拶をして、談笑し、メインディッシュを皆で囲み、落ち着いたところでデザートを食べます。食器を片付け、洗い、明日の準備をして、キッチンの電源を落とします。さて、皆さんの夕食はどこで完結したでしょうか?
片付けまでちゃんとしない人は夕食を終えたと宣言する資格はありますか?明日も夕食を作らなければならない主婦主夫は、明日の準備でもう頭がいっぱい。その夕食が終わったことを実感しているでしょうか。
食べ終わったら、消化器官は消化しないといけないし、ちゃんと睡眠をとらないと体は夕食を処理できません。生命体全ての細胞に同一の権利を与えるなら、終わったのは「口で食べる」という行動だけです。
夕食が終わった、と思っているのは自分の中の誰でしょう。
これを作品制作に置き換えます。
あなたの今回の新曲は完璧であり、それはそれ以上進化させようがないですか?そんなことは思っていないと思います。
たいてい自分は今この状態は「まだまだ過渡期だ」と信じています。
一つの作業が終わったと思いたいのは脳の習性です。おそらく「脳の群化」です。
あなたが今それをしているのは、完成ではなく、これからに向けた途上の行為です。作曲家の作品は、人生で最初に作った曲から最後に作った曲までの連綿とした1曲の変奏曲である、とは著名な音楽理論家の言葉をもじったものです。
「完成!」「終わった!」と思いたい脳は、延々続いていく同じ作業から一時的に逃げます。死ぬまで終わりはないという事実を曲げて「終わり」を作ります。心地よい矛盾と、真実を偽る認知が人を心地よくしているようです。
だからこそ矛盾は人の生き様に絶対必要で、上手に矛盾を作り、それを遊び、それも全部分かった上で引き受けて愉しむ、というところでバランスよく自分の脆さとか、矛盾とかを一緒に抱いて生きていくのが、程よく楽ではないかと思います。
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