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M-Bankユーミン楽曲(コード進行・歌詞)研究レポート公開シリーズ9~ユーミンの名作詞★★★

日本人の心の情景を変えたシンガーソングライター(改訂版)

―研究レポート;ユーミン楽曲の和声分析と音楽的クオリアが紡ぐ作曲の手法―

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7歌詞の音楽的風景 その3

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アルバム『流線形'80』より

<魔法のくすり>

「男はいつも最初の恋人になりたがり 女は誰も最後の愛人でいたいの

だから所詮おんなじ気持ちで 求め合っていると思っちゃいけない」

 

<かんらん車>  

「すいた電車が住宅街ぬけて ひとしきり冬枯れをふるわす

あとに残った ひとりの足音は 川辺りの遊園地をたどる」

※「すいた電車」内から見た視点、「電車が住宅街をすり抜けていくとこ」から見た視点、「ひとりの足音」から見た視点 、その足音が「川辺りの遊園地を」たどってるところ、から見た視点 という四点の視点からこの部分は書かれている。まるで電車の中のカメラと、電車が通り過ぎるところを写すカメラ、それから電車が通り過ぎたところを後ろから写すカメラ、そして遊園地から電車をみてるカメラ、という映画的な四カメ視点で情景描写した歌詞であり、"四つの似たような寂しさを持っている空気"を関連づけている歌詞と受け取った。なぜこんなことが可能かと想像するならば、ひとつはこの部分で使われている低音方向に降りていくベースラインである。これからポップミュージックを書く人は、こうしたサウンドを聴くだけで、こうした瞬時に切り替えるような視点感覚で歌詞世界を作るというテクニックを身につけておかなければならない、という強迫観念さえ与えてくる歌詞の技巧表現である。

このベース音が同じ音で打たれていったならば、その歌はもう少し焦燥感のような感情だったかもしれない。またこのラインがもし上がっていったなら、平和で穏やかな表現になったかもしれない。

  

<12階のこいびと>  

「ゆるくしめた 蛇口の水の滴のように いつも不安だけが 重たくなってはこぼれる」

「もしあなたが目の前から消えてしまったら ここは12階 窓を開けて舗道をめがけ 紙のように舞うわ」

 

アルバム『OLIVE』より

<未来は霧の中に>  

「東京のまちはオリンピックひかえ まるで絵のように時が過ぎた」

 

<青いエアメイル>  

「選ばなかったから失うのだと 悲しい想いが胸をつらぬく」

 

<最後の春休み>

「目立たなかった私となんて 交わした言葉数えるほど

アルファベットの名前順さえ あなたはひどくはなれてた」

※これもどこか暗示的で魔術的な印象を持ったので取り上げた。別に人の相性と名前は関係ないはずであるが、それを関係させてしまうのが社会であろう。名前が近ければ、どちらかがどちらかの後ろ姿をいつも間近で見ていたかもしれない、社会というのはそうした縁でできているという偶然性と、それが心に及ぼす部分について適切にいい当てられたようで、とても印象に残った。

 

<甘い予感>

「潮がひくように 愛も消えるって 誰が最初 いいだしたの 私 信じない」

 

<冷たい雨>

「冷たい雨にうたれて 街をさまよったの もうゆるしてくれたって いい頃だと思った

部屋にもどって ドアをあけたら あなたの靴と誰かの赤い靴」

「彼女の名前 教えないでね うらむ相手はあなただけでいい」

※演歌やフォークソングに出てきそうなシチュエーションであるが、ハネたビート、ポップな曲調でむしろコミカルな雰囲気で歌われていく。これは参考文献などからも、こういう表現をするアーティストかもしれない、と思わせてくれる。そのシチュエーションはどうでも良いのだ。部屋に戻ったら、いきなりいかにもな真っ赤なハイヒールが乱れるように脱がれていたら、心が動く。それはアクシデントであれ、絶望的な話ではない。人生は続いていく、life gose onの方に視点が向く曲調となっている。これもポップスという自由な音楽性ならではの二重表現性が活かされた楽曲と言えるのではないだろうか。

   

アルバム『悲しいほどお天気』より

<丘の上の光>

「向かい風そっと ほほつねってみて 愛し始めた気持 まぼろしかどうか」

「すみれ色のまま夕暮れを止めて 流れる雲のように丘へ上ぼるまで

ひととき神様 息をかけないでね 素敵な光ほど移ろうのだから」

 

<悲しいほどお天気>   

「拝啓。今はどんな絵 仕上げていますか 個展の案内の葉書きがうれしかったの

臆病だった私は平凡に生きている」

「いつまでも 私の心のギャラリーにある あなたの描いた風景は 悲しいほどお天気」

※この「拝啓。」の「。」は原文に付けられたものである。この「悲しいほどお天気」という言葉だが、作者には作者の理由があるだろう。私は作者がどう考えたか、という事実とは別に、なぜか頭から離れない印象を勝手に持ち続けている。それは、この「個展の案内の葉書きがうれしかったの 臆病だった私は平凡に生きている」という文章感が持つストーリー(親しい人の華やぎを喜ぶ気持ち、自らの境遇を切なく思う気持ちが昼下がりの穏やかな静けさの中で陽炎のように待っている空気感)と、Aメロの頭のVI♭M7-V7への切ない流れ、などが、私自身の思い出とぐるぐると回っていき、目の前の現実と、穏やかな日差しに対して、用いた言葉のように感じているのだ。

この語感=悲しいほどお天気、切なく響くM7コードそのものである。この曲でいう、まさにVI♭M7そのものを言い表したものだと感じた。この和音連鎖感と昼下がりの上水通りのぽかぽかとした陽気(実際私自身の遠回り時の帰宅ルートにあるので、立ち寄ったた)は、市場経済の競争社会から取り残された唯一の場所に逃げ込んだ切なさのようでいて、また自分だけが取り残されたようにも感じる感覚がある。それが心地よくて切ないのだ。平和ゆえに切なさ、お天気であるが故の切なさ、である(反動的指向)。ゆえにそのお天気は、切ないほど完璧なM7、しかもIM7でもIVM7でもなく、VI♭M7の昼下がりなのだ。

ここで言いたいのは、この曲感と題名のリンクをどのくらい自身の感覚と照合できるか、ということでユーミンの和声感、音楽性に迫ってみてはどうだろうか。

 

<78>    

「ふるさと忘れない渡り鳥の群れは どこかに磁石を持ってる

見えない法則を人は神秘と呼び 操れるものを怪しむ」

※78のタイトルの所以は、タロットカードの枚数。

 

アルバム『時のないホテル』より 

<ためらい>

「手をつなぐほど若くないから あなたのシャツのひじのあたりを つまんで歩いていたの」

 

<よそゆき顔で>

「よそゆき顔ですれちがったら いやなやつだとおこってもいい

よそゆき顔ですれちがったら すきなだけ笑って」

※ユーミン「しかって欲しい」系のメッセージ曲。そもそもは『卒業写真』に「人ごみに流されて 変わってゆく私を あなたはときどき 遠くでしかって」というメッセージに端を発している。このエピソードは、参考文献などでも、ユーミンが述べている、恩師を街で見かけても声を掛けることができなかった、というエピソードの派生を感じる。一つの大きな感情的な題材なのではないだろうか。

   

<コンパートメント>

「あのひとが愛のかわりに 残していったのは 声たてて笑ったあとに 遠くを見つめるくせ」

「あのひとの途切れた声の ゆくえ探すように すれちがう同じコロンに ふりむいてしまうくせ」

※主人公は、列車に乗り睡眠薬を飲んで死を望んでいる。気に入ったのは一行目である。まさにこの主人公にとって死を招いた種は、この恋人のさりげないしぐさなり、癖なり、言葉なり、振る舞いだったのだろう、そしてまたそのようにしか受け取れなかった主人公の、まさに負の力が重合して、死に向かってしまう主人公の避けられぬ運命を予感していると思わせる非常に怖い一文である。人の印象は様々であり、全ては自身の解釈から始まってしまう。気にしなければいい、というかもしれないが、印象とか解釈とか生きる等意味自体「気になった」ものだけで構成されている。

歌詞は文字数の制約の中で、できる限り表現せねばならないから、こういう私のような「勝手な解釈」によって被る“被害”も計算済みであろう。またこうした別解釈をされても大きな誤解にならないように工夫する、というのも作詞の高度な技巧の一つであろう。ストーリーの細部は、詩よりも小説よりも、自由にできるのが音楽の詞の特長である。

この彼はきっと闇を持っていて、それを伝染させるタイプだったのだろうか、本来普通にしていれば幸せになるようなはずの日々を、もっともシンプルな道すら歩くことのできなかった一見器用でいて、まったくそうでない男性と出会ってしまったことの不幸のほうが悲しい。この曲の、ちょっとしたことが人生のピースを足元から破壊し、その後は誰も止めることのできない"自ら崩れていく切なさ"を教えてくれる、という意味で大変好きな曲である。自死を招いたのが男性であることの責任は証明しようがないし、とがめられることもない。生き残った人だけで作られる世界が本当に良いものなのか、と考えるようなディストピア的な視点の魁である。

長い曲であるが、これを集中してレコーディングする、というのは心労も大きかったのではないかと推測する。ここまで死というテーマに臨んで曲を作れるものなのだろうか。それとも当時はそういう興味や性癖がわずかながら具現化したのか。

まさにユーミンの「心の光と影の表現技能」の当時の集大成のような曲ではないだろうか。

 

アルバム『SURF&SNOW』より

<灼けたアイドル>

「ああ 時はさざ波 私達を 離ればなれ 遠い島へ運ぶ」

「ああ 時にゆられて 誰もかれも いつか淋しい 大人になってゆく」

 

<ワゴンに乗ってでかけよう> 

「毎晩どなられたよ 楽器の音が大きすぎるって うるさかった大家さえ 今はなぜかなつかしい」

※拡大解釈すれば、これも「怒られる」歌かもしれない。怒られる、というのは我に返る、初心に戻る、暴走をストップさせる、運命を変える、そんな意味で用いられているように感じる。

 

<恋人と来ないで> 

「別れはいつでも お互いわるいもの だからお願いよ 気にしてはいけないわ

真夏の海岸で ばったり会いたいな 電話は覚えてて 写真はすてても

二人で最後に 話すカフェ・テリア ここには来ないで 新しい恋人と」

 

アルバム『昨晩お会いしましょう』より

<守ってあげたい> 

「You don't have to worry, worry,

守ってあげたい あなたを苦しめる全てのことから」

※これもまさに暗示、呪文のような言葉だ。言ってあげること、宣言してあげること、で何かを造り上げる。まずお金や、権力、物質の裕福があって、そのあとで人を魅了するのではなく、まず私がいて、心があって、ポジティブな言葉があれば、変われる、というような印象を受けた。新しい歌詞のフォルムを感じる。時代が苦しい時こそ、ウソでも良いから親しい人から聞きたい言葉の魔力を歌う、というある種の人間関係のリードの方法を表現しているようだ。当時の作者には、この歌詞を書くだけの意味や必要性があったであろう。

これは「おまじないの言葉」であり、歌の力が最も発揮される技巧である。「君を幸せにするよ」というような歌詞との大きな違いは、災難に対する解決力の度合いの差であろうか。何事も起きなければ人間は幸せである。問題は災難が降りかかってきたときである。そのような意味でも「君を幸せにするよ」が男性的なずぼらな感じを言い表しているのに対して、まさにこの歌詞は、女性からの具体的な人生計画であり、災難削除機能を持つ女性の信念を見せ付けられたようで、これでは男は勝ち目はない。少し下世話な見方かもしれないが、この曲の成功は、暗示的な歌詞を女性から発信する、ということが女性アーティストの武器になることを教えてくれている。出来ればポジティブで、良いメッセージを創造し、発信して頂きたいものだ(男性が、もうそれに服従するしかないような)。

 

<手のひらの東京タワー>

「本当は金色のエンピツ削りなの 手のひらに包んだ 東京タワー」

「子供じみていると 捨ててしまわないで つぎはあなたの夢 私に下さい 私のプレゼント 東京タワー」

 

<A HAPPY NEW YEAR>

「A Happy New Year! 大好きなあなたの部屋まで 凍る街路樹ぬけて急ぎましょう。

今年も最初に会う人が あなたであるように はやく はやく」

  

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