音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

起業して10年経ちました。だいぶイメージ違った。後悔しない二十何ヶ条

4月15日。よいこの日、と覚えました。

 

今日で起業10年間達成です。

とりあえずおめでとう自分。

おめでとうM-Bank。よくここまで一緒にやってくれました。

といっても当初起業を進めたのはM-Bankの現代表(前職の僕の上司)であり、当初僕はすごく安易に考えており、ただ一緒に誘われるままについてきて、いくつかある物件候補の中で「駒沢のここがいい!」と勝手を言ったり、教室のカリキュラムだとかスケジュールだとかそういうソフト面をゆるりと手伝っていただけでした。

融資をとったり、借金したり、スタジオを一から作ったり、というのは全て代表が一人でやってのけました。 

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景色だけは最高です。前職中はロードバイクで休日に今見えている山は全部登りました。富士も一周しました。

 

前職はいまの100倍は大きい音楽スクールでしたから、こんな個人教室など余裕のよっちゃんだと思っていました。しかし実際に感じる思いやぶち当たる難関というのは全く人から聞いた話とは違うものでした。単純に想像力が欠如していました。

起業の難関、10年を過ぎた今の気持ちを表現すると、

 

理想がすべて打ち砕かれ、

あらゆる信念が崩れ去った足元の泥の中に、

今ちっちゃな新たな芽が出た。

 

そんな気分です。最初は凄いスクールになって、全国展開して、10年後はのうのうと暮らしている、、みたいに勝手に酒を飲んで騒いでいました。でもそんな事、言うだけでは叶いません。

全くイメージと違った10年でしたが、結果的に今小さな小さな心の独立の芽が出てきたのを11年目にして感じます。

遅すぎるのか、間に合ったのかすらわかりません。

 

これから起業したい方に、個人経営とはどういうものかという教訓を書ければいいのですが、おそらく参考にならないでしょう。

でも今日書かないと忘れてしまうだろうし、記録もないので、自分たちの経験談としてまあ公にしてもいいかな、と思うレベルの話だけ(100個中10個程度のエピソード)をここに書いておきますので、誰かの役に立てばうれしいです。

 

時系列が間違っているかもしれません。追って調べながら追記いたします。

 

<四十路目前に貯金ゼロになる>

実はこの起業は急きょ決まったものでした。前スクールが統廃合となり、カリキュラムを残した受講生のレッスンをこなすために融資は得られたものの(今残る借金に化した)私財をはたいて代表が作ったスクールです。

だから僕自身は自分の音楽スクールをやりたい!と思っていたわけでも、いつか独立!なんて思っていたわけでもありませんでした。

とにかくスタジオが出来、前スクールで残ったレッスンをこなしていきました。

しかしながら駒沢に1フロアを借りれば家賃は毎月ウン十万です。

起業当初からいきなり稼げなくなり、持っているものをすべて家賃に費やしました。

新規募集が上手くいかなかったのです。思っていた1/20ぐらいの売り上げになってしまい、開業して数か月で営業はおろか、自分たちの生活が立ち行かなくなってしまいました。方々に借金をし、親にまで金を借りて何とか日々を過ごしていました。

起業する人は、何が起きても数年は何とかなるだけの資金を確保しましょう。

 

創業当初期に当選した某競馬場のファンファーレ制作の賞金30万円も入金後五分後には前月の家賃に消えました。

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今であればオフィスを構えるなんてバカだ、と仰ることが良く分かりました。

そんなことまったく知らなかったレベルで起業したんです。自分たちの責任です。

 

創業から三ヶ月で何もしなくても戴ける役員的報酬数万円は出なくなりました。

今年で11年目ですが、いまだに給与という形態は作れていません。

僕には最初、失業保険がありました。それが尽きてからはすべてその日いただくお客様から自分が生きていけるだけのお金を頂き、小さなアパートでひっそり生きていく生活が始まりました。

あぁあ、という感じでした。

もともとちゃんと決意をしていなかった僕にとって最初は"なんでこんなことになってしまったんだろう"としか思えませんでした。

講師陣にもちゃんと支払えない日々が続きました。誰でも支払いが滞ればその相手への不信を抱きます。たくさんの迷惑をかけ、針のむしろで生活する痛みに、もはや「自分はこうなって当然」と思い込むようになります。監禁された者がある日を境に逃げなくなるのは、逃げる事ができない、と確信してしまったときだ、と言いますが、まさにそういう精神状況になったことを認めざるを得ません。

 

<広告戦略の失敗>

当初は、新聞折込や、フリーペーパー広告などの予算をとっていました。

広告のことなどもまるで分からず、どのような広告を作ればいいか分からぬまま10万円の広告を打つ、などをしていました。

結局お客様が来ず、広告費が払えずまた借金になり、請求の電話の嵐の中仕事をしました。

自分たちに明日があるかどうかも分からない心持ちの中で、「希望についての歌」を書く痛みが分かりました。

どうやって自分の人生に希望を見出せばいいのか、分からない心境の中で夢のある音楽を作る難しさを知りました。その時分かりました。

「好きな事でないとやっていられない」

音楽は好きでした。作曲も愛していました。だから苦しくても希望は音楽の中にちゃんと表れていました。不思議だな、と感じました。自分の心の中に希望は何もないのになぜ音楽は希望を奏でてくれるのだろう、と。

お気に入りの一曲

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ヒューマンアカデミーの10−20代の子たちが歌ってくれました。今活躍してる子もいますね。これこそ人が作る奇跡だと思うんです。

希望だけは勇気でいつでも作り出せます。

作詞作曲編曲、動画と音楽編集、ミックスは僕がやりました。

"不定調性論"2019改訂に向けて、2017の話題から。

こうしたいろんな仕事を経て、初めて「意地でも何とか作品を作り上げることの意味」を掴んでいきました。

 

駒沢に来てからDTMは作曲も編曲も独学で必死で覚えたんです(音楽理論だけは専門機関で)。そんなこんなで幾多の困難を乗り越えてくれたDigital Performerにはすごく愛着を感じています。

何でもできる夢のソフトウエアでした。今では生意気にノウハウ記事とか書いてます。

他のもっといいソフトもあるのだろうけど、MOTUが頑張るというなら付き合ってやろうじゃないか、と思っています。

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全てが勉強でした。

 

 

それから広告は自分達で作り、自分達で配布する日々を選びました。それらについては下記の記事が詳しいです。

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このノウハウを生かし、一時期は仕事が終わり、東村山の知人の学習塾まで自転車を飛ばし、2000部チラシを撒いて深夜に自転車で帰宅する、みたいなこともしてました。帰りに雨に降られ、この10年間で最初の風邪を引きました。でも休めませんから、気合で一晩で直しました。風邪って気合で治るんだな、と知り、それまでの風邪は単純に休めるから風邪になっただけだ、と気がつきました。

 

<アルバイト~代表の事故>

代表は二年目から深夜に冷凍倉庫のアルバイトに出かけ、私はスタジオの通常業務をこなしながら、夜は不動産屋さんのチラシを近所のマンションに配り、家周辺でも早朝深夜チラシを配り、とにかく自分の家賃と生活費を確保し、売り上げをすべて支払いにまわす日々が始まりました。

毎日がなんのために存在するのか分からない日々です。

でもきっと今タレント運営している多くの小団体のスタッフはこれ以上の苦悩を味わって経営力を捻出していることでしょう。だからこそ彼らはステージで輝くんだと思います。それも全部含めてエンターテインメントだと今までは感じます。スタッフロールが流れ終わるまでが映画。それを気づかせまいとしているからそれは映画の最後に流れるんだと思います。

 

満身創意での日々の中、代表の軽自動車が人身事故を起こしてしまいました。自身もまさかと思うところから人が出てくる、という事故です。

電話をもらったときにはさすがに"終わった"と思いました。こちらからは状況が分かりませんからね。

幸い相手方に後遺症が残るような事故にはならなかったのが幸いでした。示談もそれなりに済んだように記憶しています。もちろん借金は増えたのですが。代表の車も廃車となり、最後の財産も失ってしまったのは運命のように感じました。

 

僕も全く違う時期ですが一回自転車で事故を起こし、車のドアに線が入った、ということで11万円を方々からねん出し、払ったこともありました。とにかくお金が貯まらない生活に出ていく悲劇が重なる日々で、感情や欲望が根こそぎ奪い取られていく日々です。自分の不注意ですが、不注意とは「不注意が起きる可能性が高い時に起きる」ので避けられない部分が多いのではないでしょうか。だからこそそういう気持ちにならないように普段から気合を入れて経営せよ、ということなのでしょう。社会人7年やってもそれに気が付かず、気付いたのはすべて失った時でした。奪われて初めて得られるものがあることを実感しました。だから人生苦しくても気に病まなくていいと思います。むしろ多くを吸収していると思えるかどうかです。

 

またそういうときに僕はパソコンの全てのデータを消去し(実はこれまで二回やってます=病気か!)、代表の負担や書類・資料の再作成など、とにかく、やらなくてもいい仕事が増えていくわけです。データを消してホント皆さんごめんなさいm(  )m。精神が不安定になると、いろんなことがさらなる打撃になっていく、ということを実感しました。代表が事故を起こしたって、別に気にせず仕事に邁進すればいいじゃないか、と言えばその通りなのですが、そんな風に振舞える人が本当にいるんでしょうか。

 

自分達で夜帰宅するまえに1000件ポスティングをしてから帰る、という生活の中で、駒沢の土地勘を覚え、お客さんが来そうな家、ニーズがありそうな家を把握し少しずつ新規のお客様に来て頂けるようになりました。先のポスティングの記事に詳しいです。まだろくに黒字経験がなかったのですが、借金支払いの伸ばし方や、請求のかわし方などの悪知恵もついてきて、何とかやりくりが出来るようになりました。生き抜く術が身に付くまでのべ5年近くかかったと思います。

それでもいつ弁護士通知が来て追い出されるかびくびくしながらずっと消耗していました。借金取りが来るっていうのはこういうことか、と自ら体験しました。

 

<震災>

そして震災も経験しました。

それまでもずっとぼくらにとっては「駒沢大震災」のような日々と感じていたので、とにかく心労的疲弊がひどい中での震災でした。

自分たちも大変でしたが、しかし、家が流されている映像を見て、自分たちどころではない、と感じました。

全員無事でしたが、それ以降は、営業などできる状態ではなく、ついに借金のあてもなくなり万事休す、となりました。

しかしそれを聞きつけた前職の恩師が車で乗り付け、封筒を代表に渡すと何も言わず去っていきました。

そこには今月の家賃分に余りある現金が入っていました。前職で共に苦労をした代表への餞別だったのかもしれませんが、なんとも感情にならない感激を静かに感じました。そのお金も数日で支払いに使い、いまだにそのお金は返せていません。逆にもっと違った形で恩返しができるように、つまりずっと経営してちゃんと閉めるところまで持っていくことこそが使命だと感じています。経営の才能はなかったわけですから、続けるのは"危険"です。

 

当時は、それを戴いて絶対に辞めるわけにはいかない、と初めて感じました。人生で初めてかもしれません。必死、というのは死を覚悟することではなく、このまま死んでも良しとせよ、という覚悟であることが分かりました。このまま駒沢で借金に埋もれ死んでも後悔しない覚悟が出来ました。震災の映像を見て、全ての価値観がバージョンアップされ、問題は何とか平穏に生きようとしようとしていた自分の精神であって、それが叶わない人が膨大に出てしまった今、借金であえぐなんて可愛い話だと分かりました。あの震災でどのくらいの人が希望を失ったかしれません。でも僕のような小さな人間は、逆に真の希望のようなものを受け取りました。というか、希望しか残っていませんでした。

震災は大きなコピー機が横倒しになるような揺れでした。コピー機はそれ以降スキャンしかできなくなりました。本が買えないので図書館から本を借りてきてはおそらく数百冊スキャンして勉強したことも今印象に残っています。

そのコピー機は2019年、ようやく新調出来ました。もうレッスン用の資料を印刷しにコンビニまで走らなくてよくなりました。これは、僕にとっては「成功」です。その程度で感動してるから、2億倍エネルギーの要りそうな"経営"など上手く行きっこないのです。

 

<精神を保つ日々>

震災後もひたすら耐える日々が続きました。やめるにしても現状回復費が払えないのですから、辞めた途端また膨大な借金を抱えて動けなくなることになります。別にそれでもやめたければ辞めればいいのだけど、やはり「せっかく起業した」「待っている人がいる」「助けてもらった恩がある」そんな思いを理由に、テンションの低い状態でもひたすら続けていく覚悟で仕事していました。やめても誰も文句は言わないのでしょうが。

実績等はここには載せませんが、それなりに業界方面に多彩な人たちとのつながりもでき、すでに仕事は回っています。

今考えれば単純に「辞めるのが面倒だった」のを、プライドのせいにしたり、残っている仕事のせいにしていただけです。やめなかったのが偉いのではなく、辞められるスキルがなかっただけです。

借金や支払いの工面は代表が一人で頑張っていたし、僕らは売り上げの一切を支払いに回し、レンタルスタジオやレコーディングのご依頼で頂くその日払いのお客様の収益を自分の活動費(プラグインの購入)に充てていました。多分10年間で買った食事以外の100円以上の品はプラグインだけじゃないでしょうか笑、その他の生活用品は100円ショップで何とかなりました。あ、でも服は買ったか。駒沢にはユニクロさんがあるので助かります。

年末調整でmacを買ってもらったときはうれしかったですね。今でも使っています。2012年製です。早く新しいmac買わなきゃ笑。

そう言えば、その前の年に買ってもらったウインドウズはすぐぶっ壊しました。ひどいスタッフです笑。これからは自分の仕事で使うものは自分で買おうと思いました。だからその後の年末調整は代表の借金のために使ってもらっています。

M-Bankには必要経費という概念はありません。給与の概念もありません。売り上げから必要な分を個人でしっかり管理して今月を回す、という発想です。労働は報酬には値せず、売り上げを上げる行動だけをいかに連続させるか、について考える日々です。

売上がなければお金は出ません。あたりまえです。

事務は確かに労働ですが、それは会社組織に限ります。誰かが売上を上げてくれているから給与があるんです。勘違いしないほうがいいです。賃金とは、自分のスキルでお客様からいただく現金の中から生まれます。会社の床から湧いてくるものではありません。だかこそサラリーマン組織の方が社会組織として優秀なんです。

起業が偉い、みたいなことを思わないほうが良いでしょう。

自殺は偉いと言っているようなものです。

起業は才能と資金が両方あってやるべきものです。あとは死んでもいいと思っているならやればよいと思います。

 

開校しばらくして僕もレッスンを始めましたが(初心者ギターしばらくしてDTM)、レッスン代を自分でもらったことは一度もありません。全て講師陣、家賃の支払いに当てています。それでも紹介で単発レッスンを別途始めて90分で三千円もらいはじめた時は嬉しかったなぁ。嬉しくて使えなかったなぁ。その方のレッスンは今でも続いています。

映画みたいにドラマチックなことは起きないけど、毎日毎月、希望はお客さんから舞い込みます。お客様は神様だ、と本当に感じたのはこの職場に来てからです。

経営を助けてくれる、労ってくれるお客様のことです。

 

最初の頃は、

・なんで自分が働いた分の報酬がもらえないのか

・自分がこれだけやっているのに人は何で働いてくれないのか

・自分はぎりぎりなのになんで率先して損しないといけないのか

などと考えて悩んだものです。代表も一時期モチベーションを失い、出勤できなくなるぐらいになりました。考えてもみてください。

あなたの会社の社長のやる気が無くなって文句を終始言うようになっても「社長のために何としても頑張ろう!」と言えますか?笑

仕事が回らなくなり、支払いが滞り、その支払いを社員が分担していかなければならなくなり、社長はご免の一言もない、となったとき「よし!社長のために俺たちで借金を払おう!」と言えますか?

会社が賃金未払いになり、残業をいくらしてもその成果はすべて支払いに消えていっても「なんとしてもここでがんばるんだ!」と言える仕事に今就いていますか?

僕は就いています。何も考えず売り上げを代表にあげられます。

僕自身もバージョンアップしました。

これができないと会社はつぶれます。売り上げの低下が会社をつぶすのではなく、人がつぶすんです。

このまま借金返す人生で良いや、今回の人生はこれでやり過ごそう、と思ったら収益があげられるようになりました。これまで一度も開けずに避けていた扉を開けたら、そこが当たりだった・・みたいな。

ぬくぬくと布団の中でアファメーションするより効果的なものは、実際に危機に裸足で立つことです。でも誰もそんなこと望みませんよね。だからもし万が一危機が訪れたら「やったーーー!!」と叫んでください。最後の扉が開く音です。

 

好きなことを仕事にする強さは、全ての経済の理屈を凌駕するんですね。

 

結果として、財産はないし、社会で言われているような人生を謳歌する事も何一つ出来ていないし、毎日疲弊する生活しかないし、それが報われることもほぼありません。

しかしそれで問題はないです。そう、問題は何一つありません。他者からは問題だらけだと言われるでしょうが。好きなことをやっているんですから問題を感じようにも感じられません。病すら治るレベルです。

それが得か損かなど、死ぬとき考えます。でも今はこれで良かったと思っています。この程度の人間の割には良い感情をたくさん人から分けてもらえたと思っています。

今死ねたらそれはそれで満足かなぁと。ただそれなら今のままあと一日頑張ろうかな、と毎日思います。そうすると毎日得した気分です。頑張れないはずがありません。

 

音楽を作るのが好き、誰かをサポートするのが好き、誰かの夢をちょっと応援できるのが好き、いくつもの好きな事が出来ているんだから、それ以外の疲弊はあって当たり前だ、と感じます。それを苦労って言ったら終わりかな?

みんな苦しいんだから、相手を先に喜ばせたらよいと思う。

 

考え方が変わりました。

・自分で稼げ

・自分がもらった金はみんなのものだ、どう使うかだけが託されているだけだ

・自分から進んで損をしろ。そうすれば相手は得をする。喜んでもらえ。

となっていきました。ここに辿り着くのに8年かかりました。

相手が喜べば、問題の8割は無くなります。

相手に嫌な思いをさせるから、自分の問題が表面化するんです。

 

だからもらったお金がたとえ自分の財布に入っても、これは自分のお金ではない、と自然と思えるようになりました。

ああ、間違ってるさ。でも君のために使うならいいだろう?

自分が相手の代わりに損をすると、相手はとても得をした気分になります。そして知らず知らずに突然手助けしてくれたりします。人は誰かの代わりに得することを望んでいます。それを表立って言うことは礼を失するので言わないだけです。

 

勝ち負けでいえばずっと負けていても、痛くも痒くもない。人生は複雑。そして最後に立っているのは負け続けてもやめなかったヤツだ。

このままなんとか続けていたらどうなるだろう・・

「こんな経営してたらダメだ、やめなきゃ」って思わないで。やったらいいんだよ。今日まででも。明日まででも。経営ってそう言うもので、役員とはそれを背負える人がなるんだな、と知りました。社員には文句言いながらもそれなりに人生を楽しんでほしい。こんな苦労を"フツーの"社員が背負ったら会社暗くなる。

苦悩は、誇り高い才能のある偉い人しか背負えない!

 

<代表の前職復帰、駒沢1オペ開始>

そしてそのさなか代表は収益をそろえるべく、前職の仲間のつてで仕事を得て、僕の駒沢1オペレーションが始まりました。

すべてを一人でやる、というのはもちろん大変ですが、何より代表を拾った前職の先輩に感謝です。

一番大変なのは、払うお金がないことです。お金が現代人の健康を害することを知りました。

少しでも安定収入を外部から得て、それを支払いに充てられるのは奇跡的なことです。

だから今では支払いに関係ないお金は要らないとさえ思っています。

今1000万あったら、20年分の支払いを先に済ませて、のんびりしたいです。

個々人の必要以上の脂肪を体に蓄えて、どうするの?

 

そんなある日、体に変調が訪れました。体調不良の到来です。 この話は、アーシング他記事で詳しく書いていますのでここでは省略します。

 

東京で消耗しているの?と言われれば、僕らはまさに東京で消耗しているめちゃくちゃオシャレでない人です。

でも多数の震災があり、消耗どころか打ち砕かれた人が日本中にいます。

そんな世間を見て、つくづく自分は典型的な日本人なんだな、と感じました。消耗しながらも誰かを助けたい、自分の夢はもう叶ったものとして、自分より相対的に大変な誰かの夢を叶えてあげたい、たいしたことはできなくてももし必要とされるなら自分が疲弊しても手助けをしたい。自分はまだまし。

 

人は借金なんて返さなくていい、といいます。

でも自分達は、相手が忘れてもちゃんと返そう、と考えるような人間です。

多分儲からないですね。

 

人はつらかったらやめればいい、といいます。

でも自分達は辞められません。プライドが邪魔してやめられません。恩を感じて辞められません。辞めずに戦い抜いてそれでちゃんと恩義が返せなければ死んで償う、という絵に描いたような日本人気質しか持っていないんです。

スマートに生きようとも思ったけれど、僕は義理を大事にすることが好きです。相手が忘れたとしても。

 

どう考えてもそういう結論に辿り着きます。つまり質素に生きる以外道のない考え方です。気がつくのが遅かったのです。起業に向かないタイプでした。もう手遅れです。戻れません。だから前に進めます。

 

こういう話だと、普通最後は「今は海沿いに別荘を構えて静かに生活しています」となるのでしょうが、僕らは今日も相変わらず同じように生きてます。必要ないからです。皆が同じように戦っているからです。完全に昭和人間ですね。

 

全く10年前に描いた将来像とは違っていました。でもぐちゃぐちゃになった足元に、ついに自分がまいた種が芽を出した、そんな印象のある開校記念日でした。

別に経営が回っているわけではないんです。未だに明日にも困りそうな日々は相変わらず変わりません。

慣れただけです。慣れて強くなっただけです。

 

最後にこの10年の自分の人生訓を書きます。人に向けて、というより自分に向けて。

自分と一緒に年々アップデートしたいです。忘れないように時々読みます。

会社で社訓掲げても読むのはそれを作った社長だけでいいと思います。体験してないことは掲げても社員は実感など湧くわけがない。

 

体感したからこそ読むたびに胸に刺さります。

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一つ、決断する、とは予測もしない未来が来ることを受け入れるという行為。

 

一つ、人と関わる、とはいつかその人に人生を奪われる可能性があることを受け入れる行為。

 

一つ、働く、とはその仕事を無償でも行えると決めた行為。

 

一つ、楽しむ、とはいずれ避けがたい苦難を後回しにする行為と自覚してしっかり楽しむ。

 

一つ、苦しむ、とはいずれ訪れる幸福を呼び込むための行為として前向きに苦しむ。

 

一つ、教える、とは最上級の教わる行為。

 

一つ、学ぶ、とは最上級に生きるという行為。

 

一つ、耐える、とは誰かに幸福を譲る行為。

 

一つ、努力、とはその場しのぎの行為。努力せず、工夫せよ。

 

一つ、結果を出した、と宣言するのは早合点。結果など死ぬまで出ない。

 

一つ、人を褒める、ことができなくなったら追い詰められている。荷をふたつ降ろせ。

 

一つ、策がない、と宣言するのは辞めるための言い訳。

 

一つ、笑う、のは人が幸福を創り出せる存在だと思い出す行為。

 

一つ、死ぬ・辞することに向かって生きているので改めて考えなくて良い。

 

一つ、ただし日々覚悟せよ。勝手に準備するようになる。

 

一つ、見る、とは他と比較する行為。見ず観察すべし。

 

一つ、見ない、とは他を無視する行為。見ないならせめて最後まで話を聞くべし。

  

一つ、行動する、とは行動出来なかった過去がないとできない。

 

一つ、後悔する、のはその時間がある余裕。

 

一つ、矛盾は理解しようとせずそのまま受け止めてみよ。

 

一つ、やることがあるなら明日のことは考えるな。やることがないなら考えず寝ろ。それができないと何もできない。

 

 

続く。日々。