音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

M-Bankスティービー・ワンダー楽曲(コード進行)研究レポート公開シリーズ4★★★

スティービー・ワンダーの和声構造

~非視覚的クオリアを活用した作曲技法~

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アルバム3;「The 12 Year Old Genius」〜12歳の天才〜(1962)(該当楽曲なし) 

アルバム4;「With a Song in my Heart」〜わが心に歌えば〜(1963)  
事例6;Dream (CDタイム 0:16-)

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B♭ |B♭ |A7 |A7 |B♭ |B♭ |G7 |〜
=degree= Key=B♭
I |I |VII7 |VII7 |I |I |VI7 |〜
“酒とバラの日々”、“枯葉”等の作詞で有名な作曲家・作詞家ジョニー・マーサーの作品である。アレンジでのコード解釈について述べておく。はじめにIからVII7に流れ、またIの戻るというブルース的「揺れ戻し」が効いている。コード機能でコード進行を作るのではなく、ただ二つのコードを行ったり来たりするだけでもそこに憂いのある歌詞が乗れば音楽になる。なんなら1コードでもいい、という世界。

このVII7はIIIm7に流れずに、「その機能を果たさず」主和音に回帰する。この揺れ戻しも半分機能が機能し、機能し切る前に中断される、というミス・ディレクション効果である。
一旦発進して、同じ位置に戻ってくるという発想は、ブルースのI-IV-Iの考え方にも応用ができるだろう。I→IVそのものが転調的構造の展開である、とブルース・ジャズの研究家ウインスロップ・サージェントは著書「ジャズ―熱い混血の音楽」で述べているが、単純に二つのコードを並べて出来る雰囲気が面白ければ、それを使う、という発想で皆が床屋の順番待ちをする中で演奏を楽しんだと言う音楽からの展開がブルースの源だという。

 

機能ではなく、開始時点のコードから出発し、また戻るという単純な発想で、音楽的な脈絡を作ることを知っている民族である、ということである。人種と問わずアメリカの文化混合の社会性の中ではそうした風潮が普通のように感じられる。日本での音楽教育で「今日はコード二つでグルーヴのある音楽を作ってみよう」という発想に中々ならないのは、グルーヴをそこまで神聖視していないからではないか。

スリーコードのブルースへの機能当て込みが難しいのはこうした音楽的慣習の背景がある。

不定調性論では、この「後から機能和声に参入してきたブルース」がもし、最初から同時にあったとしたら、どんな音楽理論ができるのだろう、というところを考えるわけであるから、根本から考え方を変えないと方法論にはならない。

また根本から考えなおすと、機能和声論が初期に排除してしまったような和声の流れなどもクローズアップされ五度と四度の二つの和音の根源から二つの方向性が作ることができ、五度の音楽が西洋クラシック音楽に、四度の音楽が各種の民族音楽であり、文化の交流によって生み出されたのがジャズ、近現代音楽~ポップミュージックの流れ、ということになる。

つまり現代は五度と四度の理屈によるそれそれの音楽が融合された音楽が生み出されている。これを取り扱うのに機能和声論だけでは、どうしても「除外品」が出てくるし、その除外品こそが民族の音楽である、といってもなかなかその敷居をまとめて考えることができない。

ゆえに私はその方法論化を進めた。教材第六章を参照されたい。動画シリーズでも概略を述べている(25本目以降)。

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さて、先の揺れ戻しの方法論を展開してみよう。
例)
CM7 |Dm7 |CM7 |Bm7 |
CM7 |Bm7 |F#m7 |G |

(音はこちら)

rechord.cc


というように、連続で交互に用いることによって、独自の進行感が補てんされ、新たな機能感を感じることだろう。これを機能分析しても形態分析になるだけで、どう活用したらいいか分からない。Dm7がCメジャーキーのサブドミナントIIm7だと分かっただけでは曲は作れない。この進行感に、情緒的意味を見いださなければそれを信念で使うことはできないはずである。また見いだせる人がそうしたプログラムを作っているからこそAIによる自動作曲が可能になるのであり、AIにプログラムされるべきは、この情動的反応についての一般化された何らかのデータでない限り、それによってできた音楽はクリエイターの情動を磨滅させるだけの音楽存在になってしまう。決してそれらが問題だとは思わないが、スティービーもこの揺れ戻しの方法論を、技法的引き出しとして、その後展開していくことになる。

 

事例7;Get Happy(CDタイム 0:12-)

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C |G |C |C7 |F |C |Dm7 G7 |C |
F |C F|F |F |F |C F |C7 |F |〜
=degree=
Key=C
I |V |I |I7 |IV |I |IIm7 V7 |I |
Key=F
I |V I|I |I |I |V I |V7 |I |〜


Harold Arlen、Ted Koehlerの作品、ランニングベースからの採譜であるので、コードの解釈違いの可能性もある。
この最初のA,Bセクションは、I調Cから、そっくりIV調Fに移調している。この単純さ、無仕事さは、先の揺れ戻しにも言える(ブルースのI-IVと同じ慣習・・詳しくは不定調性論の四度領域の話等参照-動画-)。1コーラスの中で、セクション転調が行われている事例である。こうした接続性の自由度は、スティービーもこれらの曲から自然に習得していったことだろう。
行って戻ってくるだけでは“子供の使い”だ、と良くいわれたものだが、音楽の場合、このやり方は「安易」で、そこには明確な音楽的根拠とか情動的説得力とかがない、と感じられがちである。

しかしそれは以後のスティービーによって極限までこの「無意味で安易な展開」が展開されていく。彼にとってもこうした和声の移動、移調構造が「体感的に意味を感じる何か」であり、どう展開していけばもっと格好の良いものになるかが追求されていく。決して「無意味で安易な展開」ではなく、進行感の一つであり、ダイアトニック進行と全く同等な進行感を感じていたからこそ、展開できた、ということになる。
なぜ、それができたのか、どうしてそんな発想に至ることができたのか、天才だからか、そのあたりに私は疑問を感じていた。完璧主義で天才ならば、こんな安易な進行感を納得して選ぶものなのだろうか。インターネットで良くいわれる彼についての「完璧主義」というのは、もっと違う意味なのではないだろうか、という疑問である。

これはもっと違った形で後半解決されていく。むしろ無邪気さの方が天才に勝ってしまったかのような不思議な魅力、素人みたいなシンプルさと前代未聞のカッコ良さの融合がスティービーの音楽が他のブラックミュージックに比べ「棘が少ない」印象を与えるのである。社会に恨みを吐く、のではなく、その無邪気さを大切に彼は愛を唱え続けるのだ。

 

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==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題== 

スティービーのハーモニカ・・。かっこええ。。

HOHNER ホーナー スーパー 64 C調 7582/64

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theharmonicacompany.com