音楽を教えている方はご自身の意見で考えてみてください。この問題に向き合って自分なりの答えを用意しておくと、誰かに音楽を教える時とても楽になれます。
考える問題はこうです。
「なぜその音を使ったか。」
です。
もし音楽を知らない人がイメージしたら、
豊かな音楽理論の知識と無図も漏らさぬ鉄壁な方法論とテクニックと経験の上にどっしり構え、直感を待ち、静かにそこに筆を置いた・・・
。。うーん、、そうなればいいんですが、実際は・・、
締め切りに追われ、必死で考えて、いくつもの方法を試して、頭の中が嵐のようになって、最後に掴んだもの に光を見た・・・
みたいなところがありますよね。そこには方法論もへったくれもありません。
例えばサメがうようよ泳ぐ嵐の太平洋のど真ん中で、船体に穴が開いてあと5分でおぼれる、となったとき、どんなセオリーを用いますか?
たいていはそういう危急の時にしか働かない脳の部位に頼ると思います。平常時に考えていた理論などまるで役に立たないことを知る、ということが大切です。
不定調性論は、その危急時に動き出すであろう脳の部位を鍛えるために「心象」が唯一の音を紡ぐ動機、とします。
つまり先の答えは、
「なぜその音を使ったか。」
→「それしかないと思ったから」
です。あらゆる答えをこの一点に集中させるわけです。
コード進行がー・・・ヴォイシングが―・・・ケーデンスが―・・・ジャズ理論がー・・・ではなく。
あらゆる動機を、あなたの意思の一点に起きます。嵐の中でがむしゃらにつかんだ最後の光 は、もうそれしか頼るものがなかったからそれを掴んだんです。全てにおいてそれを活用するわけです。
学習時にはコード進行や声部を学ぶでしょうが、実際に作るときに活用するのは不定調性論では「心象」だけです。適切にそれが用いられるかどうかは、日ごろの鍛錬と準備のみです。大量に学んだ技法やテクニックは忘れます。それではじめて経験が直感になると信じます。
「この曲ではどこかでモーダルインターチェンジを使おう」
と思った瞬間、曲は不自然になる、という意味です。
楽曲を作りながら、ある時閃きます。「ここはモーダルインターチェンジだ!」これが不定調性論的による心象の活用です。
このように適材適所に直感が降ってくるには、普段から勉強するしかないと思うのです。
あとは「どう勉強すればいいか」だけです。
作曲については「作曲をやることで勉強とする」のが一番です。
野球の上達にルールブックを読んでも仕方がありません。
水泳の上達にベッドの上で泳いでも仕方がありません。
作曲を上達するのに、理論書を学んでも意味がないんです。実は。
英語の上達がしたくて英会話スクールに行くようなものです。なぜ海外に行かないのか、なぜ外国人がいるところに行かないのか。日本人は恥を重んじるので、恥をかかずに済ませたいので「準備」をしようとします。日本ではこの準備段階がビジネスになっていますが、それはあくまでビジネスで、絶対に必要な段階ではありません。
まず作る。いきなり作る。そこからすべてが始まります。学校は作りながら補助的に行けば良いです。私みたいなタイプに答えを出させ、作業をさせて自分の道のために上手に活用ください。学校はあなたが欲しないものをこちらから与えることは出来ません。
これで全て述べました。ここから先は補講です。
音楽理論的に考えてみてください。
です。
「月光」の1小節目はなぜそうなったのか。
ピアノソナタ第14番 (ベートーヴェン) - Wikipedia
冒頭のメロディを、ソ#、ド#、ミ。
最初の質問です。
・なぜベートーヴェンはこの曲の最初を、ソ#始まりにしたのでしょうか。ここはC#mですから、5度、ルート、3度でアルペジオが続いていきます。
「最初はC#mのアルペジオです。」
と、理論的に答えることはできると思います。
ここでのポイントはこうです。C#mであることはわかるけど、なぜそこにベートーヴェンはC#mを置くに至ったのか、です。どのような選択の末の判断だったのか、です。
作曲業をしていると、一番悩むのは
「さて、どうしようか」
です。C#mという存在自体は日頃から知っています。
でも「今回の曲でそれをアルペジオにして5度から始めよう」と着想する根拠を、音楽理論は教えてくれないのです。
ではどうやって、そのモチーフを着想するか。。。です。
なぜ、
これでも
これでもなかったんでしょう。なぜ上行系の5度始まりだったのでしょう。
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現代なら、
「月光ソナタ風な感じのピアノ曲を作って欲しい」
というリファレンスがある場合が多いので、着想はこの依頼文の中に既にあります。ゴールは「月光」ですから、あとはそれこそ音楽理論的、音楽経験から作っていけるものです。
もちろ理由はベートーヴェン本人しか分かりません。
作曲の際に浮かんでくるモチーフは、最初漠然とした輪郭をイメージし、そこに音をはめ込むだけで、訓練によってそれがいくらでも出せるようにしてあります。
天才となればもう頭の中で完成形が流れているかもしれません。あとは結果論です。
ベートーベンもどういう始まりにしようかを選んだかもしれません。
なんとなくある夜、ダララダララダララダララ、、という音形だけが湧いてきたかもしれません。結果現代では分析も評価もできますが、この"着想"だけは、どうしてもその人の感覚に頼るしかありません。そういう意味では着想が生まれやすくできる音楽理論が、真の音楽理論かもしれませんね。
「月光」の2小節目はなぜあのようにつながったのか。
では、それでモチーフが決まったとして、最初の一小節ができました。
問題は次です。
二小節目です。これは、C#m-C#m/Bと還元することができます。
次の問題はこうです。
「なんで二小節目はこうなったのか」
これに答えられる人がいるでしょうか。これではないベストな進行はないのでしょうか。もし解がこれ一つしかなければ新しい音楽は生み出せません。
又は最適解がまだほかにもあるなら、どうやってその選択に行き着くかがとても大事な方法論になります。
例えば、次のように答えることができます。
1小節目は低音が最初だけ鳴り、上にぶら下がるように5度のアルペジオが乗ったので、重々しくなり、次の左手が全音下がってより深いところで支えているのだ・・
または、
Im-Im/bVIIにしよう、と経験的に安易に決めた、
とか?よくある展開ですもんね。
でも音楽家は、これを言葉にせずとも瞬時に掌握ながら作っていきます。圧倒的な経験がそれを瞬時に導くんです。クオリア。共感覚的知覚です。
若かりしベートーヴェンの圧倒的学習はいうまでもありませんね。その中から導き出された、彼だけに通じる理屈の上にその楽曲は成り立っています。
もちろんその理由は
・当時たまたまそういう曲がたくさんあった
からかもしれません。
ベースがどんどんルートから下がっていくのが流行りだからそうしたろ!d(`・ω´・+)
・・・とか。表向きにそんなことは言わないけど、実は理由はそれ。なんてことは芸術界ではよくあります。
インターネットや学習はどう活用する?
曲の流れを作る、というやり方は、人それぞれです。ストラヴィンスキーみたいに楽譜を切り貼りして脈絡など無くしても、編曲に自分なりの意思を入り込ませて、それを芸術に仕上げてしまった人も過去にはいたわけです。
何がやりたいか、誰っぽい作風から入って、先々自分を作るか、です。それを自分で決めてください。自分で決める、と覚悟してください。なぜなら
あなたが脈絡だと思うものがあなたの脈絡。だからです。
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で、先の問いは延々と続きます。
三小節目はなぜこうなったのか。四小節目は・・、
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作曲は記憶のリサイクルである、
と聞いたことがあります。だから作曲をしたい!!と考える人のための最良のアドバイスは、とにかく作る+分析するを並行して行うように勧めます。自分の記憶のクオリティをあげていくわけですね。ここにも脳のカラクリがあります。
当ブログの楽理関連記事目次はこちら
==コーヒーブレイク〜M-Bankのロビーの話題から==
アロマって家具に馴染んでさりげないのがいいだよなぁ・・
これは?USB電源!しかも加湿器!アート系の部屋に冬絶対いるやつだ。