音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

パブロフの犬とドミナントモーション★★★★

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これも自分に不定調性論、という観点があるから言えること、になります。

 

V7-Iの解決は幻想である

と告げられた時、あなたはどう思うでしょうか。音楽理論では、これは解決感を導く基本的な進行で、小学生の頃から、この価値観で出来上がった音楽をずっと刷り込まれ育ちます。

 

だから勇気がある人は、V7-Iなど何の価値もない、と認めてください。音楽にも価値などなく、それは社会が、人が勝手に創造したもので、音現象そのものには意味などない、と認めましょう。

これは強力な脱洗脳です。

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では音楽の価値はどこから生まれてくるのでしょう。

鳥の声を聴いたり、川のせせらぎを聴いたり、風の音や森の虫の声を聴いたり、好きな人の声を聴いたりしたとき「心が動く」理由があるとしたら、それは他でもない、あなたという人間が、考えることのできる存在だからです。だから感じようと思えば、石ころ一つにでさえ、音楽的価値と似たような価値をそこに当てはめることができます。

そうやって価値創造が自在にできれば、世間の価値観に左右されることはありません。

芸術家、岡本太郎は、社会の価値観に従うことを「卑しい」と表現しました。そこにはある種の怒りのような、エネルギーのようなものを感じました。

 

これを切り分けて、ひたすら刷り込まれてきた機能和声論のV7-Iにも「解決感」「安定」「帰結」といった感情的に均質化された価値観だけではなく、もっとあなたにしか分からない「意味」を感じてみてはどうでしょう。それはV7-Iの一つ一つ違って、同じ曲の同じV7-Iでもあなたが今感じてる感情と相まって全く違う響き、違う意味、違うニュアンスになって毎回違って聴こえてきていることに気が付くはずです。

 

どんなに好きな音楽でも、落ちこんでいるときは聞くのが嫌になったりする、ということもあります。最高の音楽はいつも最高ではないんです。それを決めているのは理論ではなく、私たち自身であると思うのです。

 

条件反射 - Wikipedia

条件反射とは、動物が訓練や経験によって後天的に獲得する反射行動。です。

 ”梅干しを見ると、つばが出る。”

というやつと同じですね。

 

ソビエト連邦の生理学者イワン・パブロフによって発見された、"パブロフの犬の実験"が有名。

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・犬のほおに手術で管を通し、唾液の分泌量を測定

・ベルを鳴らしてからエサを与える事を繰り返した結果、ベルを鳴らしただけで唾液を出すようになった。

・さらにベルを鳴らし続けると次第に反応は消えていくが、数日後同様の実験をしても犬は唾液を分泌する。前者を『消去』と言い、後者を『自発的回復』と言う。

この条件付けは、動物だけでなくゴキブリなどにも起こることがわかったそうです。

 

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もし幼児期から聴いてきたある種の心理的作用や言語的強制の元に音楽的価値観も定まっていくのだとしたら、ますます音楽の価値観は後天的に条件づけられたものである、と言えます。

 

先のwikiさんにもありますが、

 

第一信号系

周囲の現実(色、におい、味、触感)に対して発生する条件反射の総和。

→家で流れている音楽、親が歌う音楽、保育所で聞く音楽、テレビから流れる音楽を聴いて育つことで、「そういう音楽はそこにあるべき音楽としてそこにある」という常識・意識が埋め込まれる。

 

第二信号系

人間の脳髄では、第一信号系と相互作用し、第二信号系が発生し発達する。これは言語刺激の作用のもとに形成される一時的結合の体系である。
第二信号系は、第一信号系と密接作用しながら、複数の心理活動、抽象的な人間思考の生理学的基礎をなしている。

→「みんなで歌いましょう」「これはいい曲ですね」「これを世間では素晴らしいものといっています」というような価値づけや罪のない知識の啓蒙や、それらを歌ってみんなが楽しんでいる、といった環境に親しむことで「そうあるべきなものであるから、そうあるべきにした方が自分が生存しやすいのではないか」といった生存本能への刺激が思考に繋がって、固定化され、音楽的な感覚も周囲と融和したものになる、という理解もできます。

 

こちらの出典もwikiです。中略/引用です。
・幼時には第一信号系による規定が主導する。言語系は、生後10ケ月以降徐々に形成され始める。

・低学年児童の段階になると、第二信号系の発達を、教授=学習過程が強く推進し始める。児童の得る知識の範囲は、児童を直接に取り巻く現実の範囲を越える。

家庭環境、友人関係、社会関係の中でその人ならではの価値観が養われていく(半ば強制的に固まってしまう)ことを意味します。

 

つまり、

あなたがそう感じたり、そう考えるのは、あなたの責任ではなく、そういう環境に育ったから、と解釈することもできます。

 

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そこに憧れや嫉妬、様々な志向があいまって、今の自分自身が出来上がっているだけで、それそのものにも本来固執しなくてもいいわけです。そう考えなければいけない、という理由はないんです。

「自分は内向的だから」

というレッテルの半分が後天的な物であれば、あなたに襲ってくる価値観など実は気にしないで「これはあとから植え付けられたものだ」と素通りして行け、っていう話です。

そしてこれがやたらと難しい。

そして気がつきづらいが故に、自分のやり方を他人に押し付けたりしてしまうわけです。またそれこそが「人間関係」ですね笑。

 

V7-Iもパブロフの犬の唾液と同じように、それを信じるからこそ解決している、と感じているだけだ、としてみましょう。できますか?

 

後はそれにどうやって気が付き、どうやってそのがんじがらめの神経回路から解放されるか、です。そしてそういった過程をも認めてあげて、ドミナントモーションをどのように使うか、が自己の音楽を創造する、ということであると思います。

 

私はその最初の一歩は、最もその人が得意なこと、夢中になれることを追求して極めて行くことでヒントが得られていくのではないか、と考えています。

私の場合は、音楽でした。不定調性論がなければ、わたしは世間の音楽に不満を言い、自分の音楽が嫌いであり続けていたでしょう。

つまり何もかも認められない状態。何もかもが不満な状態。

世間の常識こそが正しい=大人になりたい、というのを可能な限り信じようとするあまり、本来の自分らしさを嫌ってしまう症状。中二病崩れとも言います笑。

 

本来の自分らしさを認めるには、自分の日々の小さな決断を認めてあげないといけません。

実際不定調性論とかを実践していれば、当然異端なわけですから、あまり喜ばれないときもあります。

何せ自分勝手に行動せよ、といっているようなものですから、どうしてそれを社会が認めるでしょう。

オペラント条件づけ - Wikipedia

これが働きます。報酬のないものに対して避けようとする強迫観念が迫ってきます。自分を曲げて社会が賞賛するものについ向かいがちです。個性を育てるうえで一番難しいのが「それでも君は自分の好きを続けられるか」という命題です。

若年層が生きていく上で最も身につけなければならないのがこの感覚に対する対応であると思っています。反発しすぎれば排斥されるし、イエスマンになれば、社会に飽きられた後苦労するのはあなた一人です。

 

レッスンではこの感覚をどのように協力して個性を打ち出していくかについて考えます。それしか考えることなどありません。 

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そしてもう一つ大事なことは「矛盾」を上手に受け入れる、ことです。

 

もし、今あなたが信じていることが一つあるとします。

例えば、私は不定調性論を信じているわけですが、それを信じないようにする、ということです笑。

私は、自分の方法論を無視して、どんどん先に進んで行かなければなりません。もともとはそんなものは幻想だけど事実。みたいなことってどう理解すればいいんだろう。

 

矛盾がなくなるときって?死んだ後なのかなぁ。

 

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だから音楽理論は、自らを崩壊させながら、学び手がその矛盾に飽き、自我に目覚め、自分なりの方法で表現を見つけられるような体系であらねばならない、となります。

・まずは外部の方法論に疑問を持つこと。

・自分で考え始める。

・しかし自分の方法論にも矛盾がある事に気が付き認める。

・その先に進む勇気を持つ。

最後はやっぱり勉強し続ける事しか理解できないことですね、、

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「V7-I は混乱である」

こう理解してみましょう。

・家に帰ることは混乱を引き起こすことである。

・安定するということは次なる混乱に道を譲るようなものである。

・帰結とは新たなる混乱のスタートラインに立つ事である。

という文章に何か誤りを感じますか?

 

誰でも理解できると思います。

家に帰ってホッとできるのは、一人暮らしの人か、特に幸運な家族に恵まれた一部の人だけです笑。

誰だって皆いろんな思いを抱えて家に帰り家族と過ごします。なのになんでV7-Iだけは安定する、などと非現実的で表面的な事だけを述べて、それを説明した、などと勘違いしているものか。

 

平たい話にすれば、

みんなが最高って言ってるアーティストの〇〇〇〇を自分はどうしても好きになれない。 

とか。

たとえどんなにテーマが高尚でも、最後はクラスの女の子の中で誰が一番かわいいと思うか、を論じるレベルと同じになります。

地球が動いていて太陽が止まっているなど、それは信じたくない、いや!

と思って何を信じるか決めているのはあなたです。人は科学的事実ですら、自分の中で曲げることができます。

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あなたにもあるはずです。他人に言っても信じてもらえないような思い、価値観、考え方、嗜好が。

まずはそれをあなた自身が認めてあげて、それを勇気を持って表現活動に活用して、その追及のさなか、上手に世間と折り合いがつけられれば良いわけです(自分の音楽も作るけど、人の言いなりにもなるよ的な笑)。

これがまた難しいですよね。自分はどうなんだろう・・。

 

お互い頑張っていきましょう。

 

 

 

 

 


==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題== 

生き方の本なんて。怖いから読まないけど。

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