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「魅了されたニューロン」ブーレーズの言葉;読書感想文

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今日のお題は、法政大学出版「魅了されたニューロン」の読書感想文。

魅了されたニューロン: 脳と音楽をめぐる対話 

 

本当は、鼻クソをほじっていた時ふとこのバラードのメロディができました、とは、たしなみの上で言ってはならない、と感じます。

しかしそういった上辺だけで作られた美的情報を見過ぎて、では実際どんな風に曲を創ったんだろう、ということを考えないような仮装情報社会になっている、とも言えます。

 

制作仕事はそんなに美しいものではないけど、美しく見せなければならないし、周囲も美しく見たいと思っている。

そういった見せ方が自分が好きだ、と思えるなら、自分がステージに立つべき人物か、そうでないか、早い段階で判断できるのではないでしょうか。 

 

自分を知ること。自分がしたいと思っていることを認めてあげること。

 

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この本は、現代音楽の巨匠、ブーレーズと、パストゥール研究所の名誉教授で、神経生物物理学者であるジャン=ピエール・シャンジュー、そしてライブ・エレクトロ作品などでブーレーズとも昵懇なカリフォルニア大学の名誉教授フィリップ・マヌリが三曲と音楽と演奏と脳科学について対話形式で進んでいく本です。

 

もしあなたが作曲家で、今月4冊ぐらい本を読む、というのなら、その一冊に加えていただいても良いかなと思います。

 

「音楽とは何か」

18世紀の百科全書には、音楽について

「音楽は、諸々の音が聴覚に心地よく作用できるというかぎりにおいて、諸音の学問であり、あるいは、それらの音の協和や継起、相互的に関係づけられた持続から快感が生じるように諸音を配置し、導く技法〔芸術〕である。」(ジャン=ジャック・ルソー)

と書かれいることにあなたはどう反応するか、とシャンジューが聞けば、ブーレーズは、"そんなことを言ったら~バッハは大笑いするだろう、"と返します。

最初からこんな感じです。

 

18世紀、これが世間の知の体系として音楽を定義づけていたとしたら、じゃあ現代は正しい定義になっているのだろうか。と不安になりませんか?

 

セザンヌなどの画家が認められず、現代では全く残っていないサロンの絵がもてはやされていた時代と今でも同じではないか??と思ったりしませんか?

自分はセザンヌであれるのか、それとも一時代だけで廃れていくサロン画家なのか、とかって。

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ここに現代での定義が様々書かれています。

 

今私たちが生きている現代が、ルソーが生きた18世紀と比べて何が優れており、これから24世紀の人たちから見た現代は、彼らが21世紀を振り返った時、同じように思う、ということはないでしょうか。

 

なぜ作曲できるか

作曲理論はたくさんあるけど、なぜ人は作曲ができて、それが必要だと感じ、それに喜びを感じるのか、について答えらえる人はいません。

そこをスルーしているのは、ただ避けているだけです。

自分が生涯生きても返す必要のない借金は考えない、というわけです。

 

同書では、神経生物学と、作曲家の知の体系を通じてギリギリまでこの疑問に様々な角度から迫っていきます。

あまりにも惜しいところまで迫っていくので、なんとも心地よい疲れがやってきます。

「なんで作曲できるのか」「芸術表現とはなんなのか」

絶対に答えを知っておきたいことについて巨人達が言葉を交わしています。

 

 

ブーレーズは同書の中で、

「作曲は演繹によって行われます」と言っています。行われるべきだ、とも言っています。

直感によってのみ行うことが良しと誤解される場合もある現状や、そう言った価値観を批判しているようにも取れます。

 

全く音楽経験のない人が、すぐに音楽を作るために、知識を学ぶことなく、直感だけを信じて作れれば、それは音楽的経験を超えるものを生み出せる、というのは幻想だ、と言っているんです。

 

DTMがあれば楽譜が読めなくても最高の音楽が作れる・・・

というのは幻想だと言ってくれてるんです。

楽譜が読めなくても音楽が作れるためには、それ相応の別のインプットがなければなりません。当然サンプルを並べるだけで音楽を作るとしても、音楽ではなくもっと別のたくさんのインプットから得た、その人独自の生涯を掛けた演繹が出来上がっていなければ、何かをその人なりに首尾一貫した形で発信することはできない、と思います。

 

不定調性論も、いかにも既存の理論なんて勉強しなくていいから、どんどん直感で作れ、と言っている、と勘違いする人もいますが、ちょっと違います。

不定調性論に行き着くには、一般ジャズ理論を数年学習して身につけるまでいかないと、全くどこをどう押したら動くのかわからない機械のようになっています。

またもう一つの側面は、その人が特殊な知育環境で独自の価値観、感性を磨いてきたバックグラウンドがしっかりとあるのであれば、当然その演繹から得られる結果は、他の通例の環境で育った人とは異なる結果を出すに決まっています。

それがどんなに異なる結果であっても、あなたが自分の演繹によって確かに導き出したものであるとしたら、それを信じなさい、と不定調性論で述べているんです。

あなたが信じてきた答えが、一般常識と異なるからと言って恐るな、ということです。

 

ブーレーズはそうした新たな表現の解を最初に見つけた作曲家がドビュッシーである、と述べています。その人の確固たる演繹があるから、その直感が制作物を生み出せる、のであって、直感だけで何かが出来るのではないということです。

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なぜ音楽を行うのか、の答えを人類による「無意味への抗議」というところにまで無色化して討議していきます。これもレヴィ=ストロースですか。

人は傲慢なので、自分の周囲が無意味であることを赦しません。それに対しての確固たる証拠として音楽を作っているという側面はないか、という点を話す、わけです。

これはきついよね・・笑。

よっぽどお金と時間がなかったら、そんなこと議論するより仕事したいもんね笑。

 

そう言ったことは私たちは学校では教えられていません。

むしろそうしたことよりも、利益を生み出すことに向けて努力せよ、と言われているからです。

 

そうやって研究者と一般社会人が討議できる内容が皆無となります。

 

スティーブ・ジョブスとブーレーズ

話がコンピュータに入り、NeXTに話題が及んだとき、ブーレーズはジョブスについて一言こう添えています。

「彼の興味を惹きつけていた唯一つの事柄は、何分の音楽をその機械にストックできるかということだったけれど・・・」

まだスティーブ・ジョブスがスティーブ・ジョブスになる前の話、ということでしたが、この言葉に時代の狭間を感じます。

やがてブーレーズの時代がジョブスの時代になり、今イーロン・マスクの時代になろうとしています。

地球から人が離れる時、音楽は蓄音機から流れた過去の遺物になるのか、もっと人間が生きていく上で欠かせないものとして再発見されるのかが審判されていると思います。

ジョブス一人によって音楽はmp3という「小さいデータ」というイメージに書き換えられてしまいました。

これからどんどん音楽が生活の隅に追いやられて機械化していくことのないよう、精神的な開発を続けて科学に追いついて共生できる存在としての音楽文化を育てていけるといいですね。またはそういった価値観やアイディアを生み出せる若者を育てていきたいものです。

 

ニューロンの話も出てくるのですが、音楽をやっている側からするとブーレーズの精神論があまりに角を突きすぎて、ブーレーズに魅了された、本でした(個人差あり)。