今日のお題は、NPO法人 脳の世紀推進委員会議による「音楽と脳」
「音楽とは、いわばそれぞれの民族が咲かせた花である。花だけを摘んできても直ぐに枯れてしまう。花を咲かせ続けるには、それを支える茎や葉や根をしっかりと育てなければならない。」
小泉文夫(民族音楽学)
これ、西洋音楽理論そのものに言えます。
私たちは、自分の環境で学んだ音楽を正当と思い、我が国式にさせた音楽理論を学び、それで音楽を作って、その正当性を信じています。
しかし、音楽理論のベースはヨーロッパやアジア大陸にあり、我々はどこかそれらの感性を単に上塗りしているだけで、私たち自身の民族の音楽性を放棄、あるいは特別視して普段は用いないようにしてはいないでしょうか。
と言って、雅楽を聴いたら感動するけど、神聖すぎて自分でやろうとは思いません。
民謡や童謡もあまりに自分にリアリティがありすぎてうまく取り込めません(作品づくりの素材としてはいちばん好きかも、ですが)。
意外と日本人はリアリティを神聖視して、普段はもっとハレとケの「ケ」の方で楽しむを潔し、としているのかもしれませんね。
だってお正月、とかって普通の平日と同じですよ??
日本中特別な気分になっているところなんか、ちょっとすごい民族性であり、それがなくならない限り、多少音楽やら若者文化が行方不明になっても問題はない国民性があるのかな、とも感じます。
不定調性論では、自分がもしそう感じたら、そう感じたことをまず認めるべし、と言いました。それは恐怖なんです。でもそれを認めれば、少し楽になります。
ヒット曲競争からは落ちるかもしれませんが、あなたはあなたの道がどこかにある、という意味ですから、あなたの感じる方向に進むことが、小泉先生が仰った「花を咲かせ続けるには、それを支える茎や葉や根をしっかりと育てなければならない。」ということではないか、と感じます。
ハイパーソニックエフェクト
人の脳は耳には聞こえない高周波にも反応している、リラックスするためのアルファ波を出している、という話です。
現代の音楽文化が小さく縮こまって見えるのは、コンクリートとmp3のせいだ。
ということもできると思います。
でもこれは、人の脳が選んだことなので、おそらくこれからの進化の要素に取り込まれるかもしれません。
なぜなら人は地球を離れ、宇宙全体に拡散する文化力と、身体能力を持つ必要があるからです。地球から離れて生活できる工夫を発明しなければ、地球人は地球を離れることができず絶滅してしまいます。
私はアーシングで元気をとりもどしましたが、宇宙船に静電気解放システムを搭載してもらえれば、問題なく対応できる、わけです。
またみなさんの営みが、地球と月と太陽がなくても生活できる身体能力のために進化する必要があるとなれば、その方向に動いていくと思います。
それともこれが間違った選択で、これは滅びゆく選択なのかもしれません。
でもそんなこと終わってみなければわからない話なので、まずメリットを上手に使うことが大切であると思います。
実験の結果、
「人間の耳には聞こえない高周波成分を豊富に含む音を聞いているときには、同じ音から、高周波成分をカットした音を聞いている時と比較して、脳幹、特に中脳、視床、視床下部といった深部脳を中心として前頭前野に広がる、いわゆる快感の神経回路に相当する領域が強く活性化されることがわかりました。」
人間の耳には、骨があって、これがフィルターの役割を果たして、20キロ以上を遮断してしまうそうです。ハイレゾは耳では聞こえない、ということですな。
つまり高周波を体感するためには、スピーカーから身体に向けて音を照射し、音を吸収する衣服を着せて、音を体表面で感じる方がより効果があったそうです。
体表面のどのような仕組みが、高周波を感じるかはまだ解明されていないそうです。
また40キロ以上周辺の高周波で体感が大きくなり、80kHz以上付近でもっとも効果が出たそうです。
つまり96kHzのハイレゾを、体表面に当てるような聴き方をしないと、ハイパーソニックエフェクトは得られない、ということになります。
96kHzフォーマットでもヘッドフォンだけではダメ、ということですね。
(音がいい、悪いは別として)
もともと高周波に満ち溢れているのは熱帯雨林。その根源は昆虫だそうです。
人が生まれ育ったゆりかごですから、それに快を感じるのはなんとなくわかります。
こっちでも書きましたね。
音楽も大切ですが、それ以上に大切なのは、音楽を取り囲んでいる人間の環境なのではないか、と感じました。
音楽が悪いのではなく、音楽を感じる場の平常運転がちゃんとしているかが重要であり、自然環境の変化が、日頃の不快感を増大させ、そういった文化風潮を作り上げているのはないか、という発想です。
しかし人は何にでも対応できるものと思っています。
というか、対応する方法があると思います。探して開発すればいいだけです。
興味のある方は、ご自身で調べてみてください。反証可能性が高いので、あくまで一つの捉え方、として。
音楽家になるには。
10000時間以上練習しないといけない、というあの話は、96年ごろ、ベルリンのグループから発信された研究データでした。
「10000時間の法則」です。そこには
「一万時間だったら音大でトップになれるが、二十歳までに六千時間だったら難しい」
という報告すらあるそうです。
高度なスキルを維持するためには、
「一日3時間45分以上」の練習が必要、という研究結果があるそうです。
一日二時間でやめてしまっていて「才能がないのかな?」といっていても意味がない、ということでしょうか。というか大人になってからのトレーニングは?そういう研究結果は??色々興味が湧きますね。
世一つの考え方ですが、練習が好きな子に対しては、もし練習時間1日4時間で十分であるとしたら、朝練を辞め、4時間の効率的なメニューをできる限り考えて、最大限に実力が伸ばせるようなライフスタイルを考える。部活3時間、自宅での修練1時間とか。または部活2時間、自宅2時間とか。
そして部活は心身の向上とかも含めた上で、その子が本当に求めるものを家族で一生懸命見つけてそして部活動という時間をその「1日4時間」に活用できれば、その分野でプロになる可能性だって十分あります??
ぜひ理知的に時間を使うよう考えてはみたいですね。
追記;なおこの10000時間の話は実験の再現性が確かではない、ということですのでくれぐれも科学的根拠としてあまり深く用いない方が良さそうです。
もしあなたが練習好きで、システマチックに夢実現のために練習できるなら、一つの目安になさると良いでしょう。
英才教育の可能性
運動野の脳の発達の臨界期は7−8歳だそうです。
つまり2、3歳から楽器を弾いて練習していれば、脳はどんどん大きくなり、それ以降は変化がない、ということです。故に英才教育が良い、という脳科学のエビデンスがある、というわけですね。
ただ大きければ良い、というものではなく、
脳の奥の部分は小さい方が良い、とも書かれています。
表面は大きく、深部は小さく。
うーん、なかなか練習方法についての具体的な秘策、というのはなさそうですね。脳の大きさをコントロールできる練習方法が編み出されて、一般に普及し、幼稚園で教えられたりするのずっと先のような気もしてきました。
ただ、深部が大きいと、演奏時の指の動きにばらつきがある、などの報告がされているようです。
天才ピアニストは、その努力もさることながら、講師の教え方・教育理念、家族や育成の環境、食べ物、全てがピタッと揃った、奇跡の存在、ということが言えそうですね。