音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

(不定調性論2019)下方倍音列の実用性とは?~渦と次元とずれと矛盾(part3)

前回記事です。

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さらに音の数理を見てみましょう。

全ての可能性をみても結局は不定調性論の場合、「十二音連関表」に辿り着くだけですので、今回はそれらの可能性から、一つの例として表の中から円周上に音をとっていきながら、その音集合の具合を見てみます。

 

なお、基音1音の可能性については、数理親和音モデルがすでに確立されていますので、それをご覧ください。

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では一層目。

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出現音=Cのみです。

 

すかさず二層目。

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出現音=C,D,F,G,Bbとなります。このとき、数理親和音モデルと違うのは、すでにgとfが新たな基音として紛れこんでいる、という点です。VとIV、ドミナントとサブドミナント音です。この三音が現れる時点で機能和声に取り込まれようとしていますから、これらの音をここではまだ重視しません。

この辺の話は教材でも述べています。

 

また、ここで唯一機能和声と違うのは、音階集合がない、ということです。

 

もし機能和声であれば、c,f,gが作る調はハ長調ですから、b♭は現れてこないはずです。

しかしここには音階がないので、このc,d,f,g,b♭が基本的な集合になります。これって、Gマイナーペンタなんですよね。

ここでペンタトニックが現れる理由については、教材第六章で扱っている、四度領域が作る音楽の原初の姿で考えています。なぜ民族音階がペンタトニックなのか、ということにもつながります。民族音楽的な理屈は倍音の数理とはそこまで関係がありませんが、シンプルな数理を自然と求めて五音に落ち着く、という理由はこうした数理の出現から見ても理解頂けると思います(参考;教材第6章)。

 

つまりVIIbやIIのこうした出現からII△やVIIb△が一つの調性内で使いやすい根拠、として捉える、というのも面白いです。調性は人工的なものですから、そこに自然の数理であるVIIb,IIへの美的感覚が混ぜられて使用された、としても不思議ではありません。

機能和声論では、VIIbは同主短調の借用、IIは二次ドミナント、ダブルドミナント、ドッペルドミナントなどと言われますが、もっと数理の面からの基音への親和性に考えを膨らませておくと、これらの「よく使われる借用和音」の意味について、また違った理解ができる事でしょう。

ビートルズ的なVIIbを多用するコード進行は、数理からみても理にかなった美的バランスを保っている、と考えることもできます。

 

三、四層目はすでに出現した音の繰り返しなので省略します。 

五層目。

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出現音=C,Db,D,Eb,E,F,G,Ab,A,Bb,B

ここで11音が出現してしまいます。唯一現れていないのがIV#です。c,f,gが基音になっていますから当然です。

 

拙論でいう裏領域の基音f#です。

基音f#で考えれば、その五層目までに現れてこない音はcになるわけです。拙論はc=f#を表裏の領域、と捉えます。何かと便利だからです。

 

数理親和音モデルは基音一音だけですが、この拡張された表は、c,f,gの三音が基音になっていて、さらにそれぞれの上下の領域音が出現しているのですぐにこのように11音ほとんどが出現してしまうわけです。

  

そして七層目。

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ここでGbがでてきて12音がすべて出現します。

c,f,gの三音だけで全ての音が出現してしまいます。ゆえに拙論では基音一音だけで数理親和音モデルを作りました。

そうしないと様々な音が様々な音と数理上関連し合っているのがわかります。

その音にとってどれが基音で、どれが主音で、などと厳密に分けることはできないんです。

これを「音の多解釈性」と呼んでいます。拙論ではとても重要な気づきです。

 

例えば上記の表で五層目までを考える時、

基音を中心とした11音集合が出てきます。

つまりハ長調ではなく「ハ11音調」というわけです。

歴史の流れでは、たまたま長調と短調という概念が生まれたので、それらを混ぜる複数調の近代音楽はその後から生まれました。

 

また裏領域まで考えると、7層目までを考えて、

 

(表)基音cの11音調+f#

(裏)基音f#の11音調+c

 

という発想が生まれ、「アウトサイド=不協和なのにカッコいいフレージング」の存在を理屈で作っていくことができます。

 

これらの音集合が下方倍音列を含めた、実用的な方法論に展開していかなければなりません。これを不定調性論で実践しているわけです。

このように12音全部が1音から様々な多解釈可能な状況で関連づけられている、ということは、

・協和と不協和にはともに色彩がある。

・前衛音楽にも古典音楽にも同じように風景がある。

・個人は全員等しく異なるが故にどれか一つの答えが正しいということは起こり得ない。

という理解に進むはずです。

としたら、一体何を勉強したらいいのでしょう???となった時、

不定調性論的な音楽の感じ方、作り方で自由にトライして作ってください。

一つの和音を作って、ジャランと弾くだけでいいです。それがスタートです。

その和音を今そうしてあなたが弾くと決めたのは理論ではなく、あなたです。

音楽をどう展開するかもあなたが決めなければなりません。誰かの真似をするのも、自分だけのやり方にするのもあなたの意思です。最後の最後はあなたが選んでいます。誰かの教えではありません。

 

だからやがて、いずれ必ず、あなたは、結局自分で決めなければなりません。

 

それを知ることが不定調性論のスタートです。

 

スタートが切れたら、次に気がつくべきは、見かけの真理と、実際の事実の違いについてです。それをドミナントモーションで考えてみましょう。

 

<ドミナントモーションの根源的現象>

基音cにおいて、最もシンプルな数理でGマイナーペンタが現れました。なぜCマイナーペンタではないのでしょう。

これは自然界の基音と音集合の関係が、人類が重視してきた音階の主音との関係と異なる、ということになります。

ラモー先生がなんでFmの基音はcなのか、と悩みましたが、ここには生命体が考える癖のようなもの、があると考えて、理解の仕方を変える必要があると思います。

つまり「続くものを作る」「流れるものが真実」と無意識的に捉えている人の感覚がある、ということです。

時間が続いていくように、螺旋が続いていくように、宇宙は渦で出来ています。かならず「連なって」います。止まっているように見えて万物は流れて常にうごいています。

 

だからFmの主音をcとすることで、c→fという変換を人々は創り出しているわけです。

Fmの基音がcであれば、Fm→Cを作ることができます。流せるんです(拙論は、ここに飛びつく前に、Fm=Cl5と捉えていきます)。

 

G7→Cもそうです。

G7は基音gの自然倍音ですから、もし純正律でG7を創ったら、それは美しく共鳴し、解決する必要性を感じさせない完全体の和音のはずです。

しかしたとえ純正律のG7でも、そのあとにCに進ませれば、西欧文化人は調的な解決感を得ます。

ここに矛盾があります。一個で完全体の和音のはずが、なぜ変化して完全な解決感を与えるのでしょう。

この「流れによってできる世界観を美とする価値観」を、「変化する流れこそが生命体の習慣として親しんでいるから」と理解してみましょう。

 

G7→C、ドミナントモーション、ケーデンスとして認知されています。解決する必要のない和音が五度下に解決することで「流れることで生まれる完全性」を生み出しています。

 

「進行させる」ことで生まれる何かを人々は作っていたわけです。

 

この考え方で言えば、G7の主音はc、ということになります。

これはFmの基音がcというよりも奇妙な人工的な秩序です。

しかしこれは"そこに留まらず流れる"という自然界の掟に追従している、と解釈も可能です。

完全無欠のX7という和音は、その四度下の主音に解決することで「一連の流れ」によって初めて完全な姿を作っている、と理解できます。

これは人の慣習の刷り込みによるものですから、実際の個人の音楽活動では、これに従うも逆らうも自由です。

 

この慣習に従う方法論が機能和声論です。

そして従うだけでは類似品しかできないので、「従わない方法論」として不定調性論があるわけです。

この二つをバランスよく用いることであなたは誰にも侵されることなく自分の方法論(自意識のペース)で音楽をTPOに合わせて作ることができます。

学習段階で機能和声的なルール(自然界の欲求に従った留まらぬものを具体化した方法論)を十分に学ぶわけですから、同時に「慣習のルールに従わないルール」で表現をすることも身に着けておけば、今どうすべきなのかを判断する事に権威に頼り過ぎずに済みます。その時こそ、直感を信じる心持ちも生まれやすくなります。相対するものを知ることはとても大切だと考えます。

 

Fmの基音がcであることは、「流れることを良しとした自然界の慣習のルール」と関連付けて"そういうものだ"と理解できれば、済んだ話なのです。

fからFmが作れなければおかしい、と先人は考えたので、なんとかfという基音からF△とFmを作ることに躍起になったのです。

そうではなくそれは、ずれていることこそがバランス、と知ればよかったんです。

常に1:1で静的に成り立っているのではなく、それは「ずれて進んでいきながら成り立ってる」とするわけです。

 

これは不定調性論的なイメージであり、私に一番現状しっくりくるイメージです。これがイメージ出来ていて初めて仕事がスムーズに回ります。

「そんなわけないだろ!」そうです、あなたにはあなたのモデルがあるんです。

私とあなたの宇宙は異なる法則で存在している、って言ったら、、信じます?

私は信じます。だから電車の中でパニック発作になるし、パソコンで仕事してて内臓が機能不全になったんです。

以下は私のモデル、あなたはあなたのモデルを自信をもって作ってください。

 

<普通のイメージ>

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このような静的対応の図が描けるのではなく、

 

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このようにいびつに、しかし正確にずれている、と捉えればいいわけです。そしてこのズレは空間と時間とともに伸びたり、縮んだりしています。

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不定調性論では、流れについて、「C△-Cmライン」という構造を書きましたね。ある和音はそれだけで止まっても止まらなくてもそれは同じだ、とするわけです。

 

 

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こうではなく、

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こういう風になっているのが現実だ、と捉えていけばいいだけです。

止まっているし、動いてる。

まっすぐ進んでいるし、歪んで進んでいる、

それが両方起きているような世界を無意識は認識して生きている

と分かれば、良いわけです。

 

そうすれば物事に1:1の対応だけを探さなくてすみます。なぜなら「自分には見えない世界の秩序も存在している」という畏れを知ることで人工的な「理論」にとらわれ過ぎず済むからです。

自分たちが今知っているのは全宇宙の知識の0.000000000000001%ぐらい、とかって思えば良いのではないでしょうか。謙虚に生きる、ことに集中できます。

そしてそれが正しいかどうかも、誰も永遠にわかりません。

 

事象が分断されて姿がずれていく、と捉えるなんて現実的じゃない、と考えるのが普通ですが、自然倍音の数理や、ドミナントモーションや、基音とペンタトニックの中心の違いを見るにつけ、このようにずれているものをずれていないように見て納得できる私たちの精神性の根源は、やはり「生命体としての特質」まで遡って考えておいた方が良い、と捉えるんです。

私たちが順応している世界を作る秩序は未だ解明されていません。

それを知らずとも地球は回転し、太陽の周りを回り、銀河も回転し、その他の銀河も渦を描いています。動いている中で止まっているように感じられる世界でつくられた私たちの意識は、どう止まったように感じようとしても、私たちは動きながらそれを理解しているわけです。故に音楽だって止まっていようはずはありません。絵画だって、時空の中を動いています。そしそれを止まって理解しようとしたのが、作曲についての音楽理論です。不定調性論も止まっている状態をいくつも考えてきました。

 

あとは「そう見えないけど、イメージできるか」というだけです。

 

すべての円は、見た目通りの円ではなく、いびつな渦である、と捉えてみましょう。

f:id:terraxart:20190113142405p:plain円は美しく、こう見えるけど、ここに時間の次元を足すと、

f:id:terraxart:20190113142356p:plainこうなる、というわけです(渦を描いて太陽系の進む道筋に沿って進んでいく、というイメージとしての図です=本来は筒状?になりますね。)。

 

これが両方同じものである、という理解をするわけです。人類の視覚情報から真実であることと、それ以外の視点から真実であることがあります。

 

このような"ずれの思想"をもってすれば、完全体であるV7がIの和音に流れようとするのは、人の命の活動が、「進もうとする」のと同じだ、「若いままでいれば完全なのに、老化して死ぬ」ということと同じ、みたいにクオリアを拡大していけばいいわけです。むしろ完全体はそこから変化するのが普通、と発想できます。

「完全」とは止まっているように見えてしまう私たちの五感や意識が生んだ「人間らしい錯覚」とも言えます。その真実の狭間に私たちは生きています。

 

そして、このいくつもの視点が不定調性論の奥義である「矛盾」に繋がります。

人の意識から見たら、

 

円は閉じていて、閉じていない。

 

が適切な表現(人の五感を通した表現として)、となります。

矛盾を見ると、真理はいくつもあるのではないか、という問いを人に与えてくれます。 

今自分に起きた事は原因だろうか?、結果だろうか?次に起こることは結果だろうか、原因だろうか、と考えてみましょう。

少し時間がたてば、まるで先に起きた事が現状の原因だったかのように見えたりします。人は時間の渦のような流れの中で、何をどのように体験しているのでしょう。

 

理論で考えられうる正攻法に限界があるとしたら、その先を捉えられるのは最も優れた器官「脳」だけです。

だから良い音楽を求めるなら、あとは音楽を作るのみなんです。作りながら自分理論を発見していくしかありません。

 

最後は

「あなたは何をし続けたいか」

に行き着きます。

そのあなたが決めた行為で自分の道を見つけていくしかありません。これは義務教育が終わるまでは効力を発揮しないように見えますが、いえ、生まれた瞬間からこれはすでにそうです。待ったなしです。

 

=====

 

ここからが不定調性論的な様々な方法論のつながっていきます。

動画やブログ、教材で述べてきている通りです。12音は多解釈可能な関連性で繋がっていますから、あとはあなたの意思で決めるしかないんです。

 

反応領域を用いて、自在に和音を作るようにすれば、機能和声体系になじんだ和音集合も不可解な集合も同じように感覚と理屈で作ることができます。

 

たとえばメジャートライアドという反応領域を設定すれば、

c,d,f,g,b♭は

C△、D△、F△、G△、Bb△

となり、ビートルコードが現れます。

これらを連鎖させて自在にコード進行を作ることができます。

当然これらの反応領域を下方のFmにできたり(Fm、Gm、Bbm、Cm、Ebm)、十二音連関表を用いて短三和音を主体にすることもできます(Cm、Dm、Fm、Gm、Bbm)。

 

なんでもOKだと気がついてしまうと、何をどうつなげたらいいか分からなくなります。

その時にある段階では機能和声論という優れた体系が役に立ちます。

生まれた時からあなたがそれらの音楽を聴いていることで、どこに行けばいいかの感覚がある程度沁みついています。

それを拡大して活用するのが不定調性論です。自分にしかない感覚に気がついた時、それを肯定してくれる発想が不定調性論的な発想です。

 

そして、自分の声を聞きながら、ピンときた得意なジャンルでひたすら掘り下げてください。

ポップミュージックならビートルズのような革命を起こしてください。難しいかもしれませんが、これからの未来にはこれからのやり方がまたあるはずです。「商業音楽はダメだ」なんて思わず。音楽は死んだ、って何百年前の人も言ってましたが、いまだ音楽は生きています。

まだ私たちはほとんど何も見えていない状態で皆とともにこの地球で今を生きています。全員同じです。だからこそ自分のやり方をそれぞれが信じて、支え合って競い合って取り組んで、納得のいく音世界を探して創っていきましょう。

 

もちろん伝統技法の勉強をできる機会がある人はぜひ興味を持って学んでおいてください。あとで必ず役に立ちます。過去は未来の結果、とも言えるからです。

 

矛盾。理解するのは難しいですね。

 

下記は拙作ですが、不定調性的音楽の実例です。これが下方倍音の数理の活用、といってもいいです。聞こえ方で判断するのではなく、聴こえ方の向こう側で私という人間を判断して頂く、というような思いで作りました。音は1音1音選んでいます。

脳が沸騰しました。今年はもっとたくさん作品を作り楽しんでいければ、と思っています。

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分からないところはご質問くださいませ。

 

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