音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

サブドミナントマイナーは下方倍音列?

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現実の音楽活動では「これは下方倍音だ!」って思わなくても済んでいると思います。

 

たとえば、

基音cにおける下方倍音第8倍音までを列挙すると、

c,c,f,c,a♭,f,d,c

ですが、ここからc,a♭,f,dを組み合わせてDm7(b5)を作ることができます。

 

すると、

Dm7(b5)  G7  C

というようなケーデンスにおけるDm7(b5)は、それがcの下方倍音だとこじつけることもできます。

 

しかし誰もDm7(b5)を「cの下方倍音だ」とは言いません。

通例はDm7(b5)は同主短調CmのIIm7(b5)の借用である、と考えます。

そう教えられてきたからです。

 

でもどちらの主張でもある種の事実を伝えています。

 

下方倍音という名前がそもそも誤解を招くのかもしれません。下方倍音は正確には

基音の振動数値に自然数の逆数を掛けた振動数を持つ音の集合」です。

 

逆に上方倍音は、自然に発生する自然倍音である前に、

基音の振動数値に自然数倍を掛けた振動数を持つ音の集合

どちらも数理的な音の集合の概念であるところからスタートします。

 

自然発生するかどうか?という視点だけで考えるのがそもそも偏った見方でした。しかも自然発生ではなく、「耳と脳がこの整数倍の振動数の発生を捉えやすい」性質をもつ、というだけです。人の主観で「自然倍音の優位性」が判断されています。

だから「下方倍音」は概念として存在させておけば良いと思うのです。

実音として記録媒体で記録されたら、それは下方倍音ではなく、実音です。

そうした概念の音を、音楽理論で用いる方法手段がないので、不定調性論はそこに切り込みました。概念だけの音を使うために脳の錯覚?=クオリアを活用しています。

実際には響いていない音も、耳の中で作られたら、それが心象に関わってくるからです。

 

それが分かればあとは楽ですね。下方倍音を模した音、そのコンセプトを用いた音、的に捉えれば、あとはそれぞれの方法論の言葉で用いるだけです。

 

同様にDm7(b5)はFmの構成音(c,a♭,f)を含んでいます。

C△  F△  Fm  C△

こうした進行におけるFmも「cの下方倍音だ」とは誰も言いません。

同じように、そのように考える習慣がないからです。

 

実用化された下方倍音列コンセプトの例を挙げるとするなら、これらのようなわかりやすいFmやDm7(b5)を用いれば良いでしょう。

 

だから実際には、IVm(サブドミナントマイナーコード)を用いている人は下方倍音集合を用いている、とこじつけてもいいんです。あとは個人の方法論の上での選択なので、これが正しい、とか、正当だ、みたいなことを言うつもりはありません。

 

=====

 

しかし何か違和感を覚える人もあろうかと思います。

 

私もそうでした。そもそも人はなぜサブドミナントマイナーコードをメジャーキーで用いて「音楽的だ」と感じられる脳の機能を持っているのか、そもそも「サブドミナントマイナーを気持ち良いと思うのはどのような脳のカラクリになっているのか?」みたいな話題の不思議に興味を持ちませんか?

 

もし、上手な方法論解説者が「IVmが下方倍音の概念の借用である」と宣言できる仕方を見つけたら、直ちに下方倍音列の存在がいかなるものかを知りたくなると思います。どういう位置づけで数理として確立が可能なのか。

 

しかしそこはあまり心配はいりません。

次のように考えましょう。

全ての和音は数理の組み合わせによって任意に人が作るもの。

としてください。人は空気の振動に音程を感じ取る性質を持つために、また耳の構造が大体の人類で似通っているがためにあたかもそれが存在するように一般論を設けることができた、に過ぎません。時間の概念と同様です。存在しないものを共有認識の上で存在させてしまっています。これらは未だ天動説の世界です。

 

逆に短三和音をなんとか自然発生論理で考えようとしたり、Fm→Cはなぜ使用可能なのか、音楽的に成り立つのか!を考えていると人生の多くの時間を費やすことでしょう。私はその真意を知らず、ある意味半生費やしてしまいました笑。

 

倍音列を「数理に基づく音集合」にしてみましょう。

その上で、基音cのときの

上方倍音列のc,e,g

下方倍音列のc,a♭,f

をみてください。

第五倍音までに生成できる音を列挙しています。

 

これをいきなり何の根拠もなくC△、Fmだ、と断定してしまうから話が飛躍してしまうのです。

このコードネーム化を容認するには、調の理屈に基づいたジャズ理論の、それぞれの根拠を全て説明した上で用いる必要があります。その正否を確認せずいきなり「c,a♭,fだからFmだ」と短三和音を認めてしまっているから話がややこしくなる訳です。

 

まず。この倍音の数理の上では、メジャーコードもマイナーコードも出ていない、とするのです。

正確にはその背後には無数の音が混じって鳴っていて(人の耳に聞こえる音も聞こえない音も含め)、音色を作っている、と言うことはできても「和音ができている」とは慣習として言いません。

 

なんの前提もなく、基音cが中心ではなくなって五度に当たる(ここではf)が中心となる(なぜ五度が中心なの??が不明)短三和音をいきなり用いる理由が説明ができていないからです。

 

この五度中心問題については、拙論の場合は「上方/下方和音構築法」という考え方のワンステップを創りました。

 

不定調性論では、いきなり汎用のコード表記概念にたどり着く前に、

c,e,g=Cu5(シーユーファイブ)

c,a♭,f=Cl5(シーエルファイブ)

とこれらの集合を理解する段階を設けました(u=upper、l=lower)。

 

この集合そのものは基音cの数理から生み出したものですから、Cを基準に命名します。

この段階ではまだ機能和声論も音楽も関係ありません。

これはあくまでピックアップした音集合に名前をつけただけです。

 

そして次に上方(下方)和音構築法、という考え方で可能な限りの組み合わせを考えます。根音も中心音も人が設定するもの、としました。人の耳の機能によって「低音が心地いい、整数倍の音の和音が気持ちいい」という感覚は無視します。それは自然の法則に対して人が心地よさを感じる感覚を持つに至っている、というだけで、現実の音楽はディストーションギターの不協和を人は「カッコよい」と感じることもできます。重力に逆らってエベレストの頂上を目指す人もいます。商業的な汎用理論ではなくす場合、こういった恣意的な要素は省かねばなりません。

そのために「数理だけ」を見る方法論を存在させたわけです。

 

c,e,gが「実音になったら」どの音も中心音にできます。それは倍音ではなく、実音=基音になるからです。

比率として1になるのはcですが、e,gも響かせたら、e=1、g=1の世界もそこには共存しています。だから音楽的な根音は、

Cu5/C=C△

Cu5/E=C/E

Cu5/G=C/G

もあり得ると考えるわけです。同様に

Cl5/C=Fm/CとかCsus4(b13)omit5等

Cl5/A♭=A♭6omit5?

Cl5/f=Fm

も考慮すれば、これらの集合の中の一つとして、短三和音集合が現れるにすぎません。

 

古典音楽では不協和な和音は好まれませんでしたので、長三和音と短三和音が目立ちましたが、現代では多少の不協和音でも音楽を作れるので、逆にこのように可能性を列挙できて、組み合わせも自由になる、という方法論の方が現実的であると私は信じています。

 

もちろん通例初心者が学習するのに現行の音楽理論は便利ですから(世界中の人との共通学問的知識として)そのまま学習していただいて良いでしょう。

その時「短三和音てどこから来たの?」と言う話になった時、上記のような組み合わせの話ができれば、オカルト自然倍音論を用いなくても済むと思います。

また音の組み合わせの不思議や常識への固着が気になったら、この「耳の機能によって定められた一般論」についての話を思い出してください。

あなたはいつでもそこから離れることができます。

 

以前は認めけどもう認めない、以前は認められなかったけど結構わかるかも、と人は考えることができるんです。

最後のフロンティアはまさに"人の意識"ですね。

 

これらの思考ステップにご興味のある方は下記をご覧いただければ嬉しいです。

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参考

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