音楽教育活動奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と...旧音楽教室運営奮闘記。

「音楽理論の基礎」仲芳樹著、短三和音についての記述

参考

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リライト記事です。

 

 

「どうすれば短三和音を長三和音みたいに生み出される理屈ができるのか」

参考図書はこちら。

 

「音楽理論の基礎」仲芳樹著 音楽之友社 昭和57年 第一版

 

P36(以下引用)=====

短三和音の科学的根拠づけは、古来、理論家を悩まし続けてきた観があります。長三和音は前述のとおり、自然の法則にしたがって容易に理解できますが、短三和音は倍音列中に現れません。すくなくとも三つ続いた型では現れません。ヘルムホルツは10,12,15の倍音、すなわち「ホ」「ト」「ロ」を指摘したようでしたが、これは基音よりはるかに離れ、根音となる音は基音と同名でないので、その根拠としてはうすいものです。

(中略)

 また逆倍音列を仮定して説明することも今日はでは忘れられています。

ヒンデミットは次のようなことを言っています。「倍音列のなかには確かに長3度と短3度の標準型は見出すことができるが、他にも上方に向かって幾種かの3度がある。したがって長短の区別をする境界がない、3度の音程には変化の余地がある。すなわち一つの根音の上には長3度とみなされるいくつかが短3度とみなされるものと同数だけ存在すると判断できる。ただ人間の耳がこれを前後の関係より聞き分け、区分するにすぎない。長三和音によって表される長調に対立するものとして、独立の短調があると考えるのは適当でない。実際の和音連結においても、一つの調のなかで長短両和音は混用されている。ただ主和音のみがその和音連結の長であるか、短であるかを示すにすぎない。」

このような見解が示すところのものは、長短の二元論的和声体系が過去のものとなっていることを意味するものでしょう。

===(引用以上)

 

この辺面白いですね。この本は1982年です。

デュボワの訳は78年です。

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デュボワの本では、短三和音の萌芽、を手軽に9倍音の中から見出してさっそうと内容に入っていきます笑。

仲氏の著書ではヘルムホルツの10,12,15倍音=Emを具体的に例示しているにすぎません。

 

 

で、ヒンデミットの言葉の訳引用、これ分かる人いませんか?笑

(別途「作曲の手引き」の記事をご参照ください。)

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この文章の全体で著者が言いたいであろうことを推測すると、

"君等、自然倍音が長三和音の根拠だとかなんとか言っとるけど、自然倍音の中の音、よぉくみてみい、長三和音だけじゃないべ?もっといろいろあるべ?だから自然倍音が長調賛歌をうたっとるわけじゃない、人間が勝手に解釈してそう思っとるだけじゃないんけ?"

というような意味ではないか、と思います。

 

でも、これ何の解決にもなっていません。

音楽の基礎構造への理解を倍音なんぞに求めず、人の心の歴史に求めよ、そうして神が作ったシステムで音楽を理解しようとせず、作曲家の心をよく理解せよ、とむしろもともとあるべき王道に、この議論を戻そうとしているようにも思います。

 

で、心が相手となると、理論は関係なくなるので、この後は宗教的な信仰心になります。不定調性はその部分は信仰心ではなく本当に心に浮かんだこと、とするためにどうやって、方法論を展開していくか、何を定義し、何を解き放つかについて考えています。

 

あとは機能和声したい人には、その選択肢を示し、トラックメイクしたい人にはその可能性を示し、ジャズをやりたい人にはその方向性を示せば良いことになります。

 

和声法やって、対位法やって、機能和声やって、現代音楽やって、ジャズ理論やって、さあDTMで実践してみましょう、ってなって、そこから「いよいよデビューについてどうするか考えましょう」では人生終わってしまうので、先にデビューし、そこから仕事に必要なことをやる、っていうのが現代の学習方法です。

あとは私が「こんな有名な人が不定調性論学んでるんですよ!!」とか言わなければ、世界はよりよく回っていくんです笑。

短三和音は基音の数理で出現する音の組み合わせの一つに過ぎません。音楽の歴史、慣習で選ばれた短三和音と長三和音は特別なのだ!と思わなければ解決する問題です。

 

 

なお、ここでのヒンデミット発言の記述は、「作曲の手引き」ヒンデミット著によるものと思われ、かなりの収約がなされており、誤解の恐れもあります、「作曲の手引き」の同箇所を直接ご参考ください。