音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

明日の歌/aiko VI♭mの出てくる曲(サブドミナントディミニッシュ?の逆転)

www.terrax.site 

VIbmを用いた曲の例というトピックです。

 

aiko-『明日の歌』music video - YouTube

Aメロ

Cm    |Abm6   |Cm    |Abm6   |

AbM7 |Gm7  |Fm7  |Ab/Bb  |~

これはこうなります。

Im    |VIbm6   |Im    |VIbm6   |

VIbM7 |Vm7  |IVm7  |VIb/VIIb(IIIbのIV/V)  |~Im

 

Cメジャーのキーなら、

進行①

C  |FM7 | Fm7 | C    |

という進行がありますね。サブドミナントマイナー終止です。

 

これがもし、

C  |Fm7 | FM7 | C    |

これだったら、あなたは違和感を感じますか?

でさらに、

C  |Fm7 | Fm7(b5) | C    |

または

C  |Fm7 | Fdim7 | C    |

とかって、ムネアツじゃないですか?

サブドミナントマイナーを使って、さらにこれを逆転させて

C  |Fm7(b5) | Fm7 | C    |

または

C  |Fdim7 | Fm7 | C    |

 

さらにメジャーに戻す。

C  |Fm7(b5) | FM7 | C    |

または 

C  |Fdim7 | FM7 | C    |

まさに近代的進行。

 

一聴して「は??」となるのが歌い出しです。

Cm    |Abm6   |Cm    |Abm6   |

VIbmは「もっとも調的になじみのない和音」です。

わざと「ここ狙って行ったろ」と思わない限り行かないところです。

聴いた感じどうですか?

天邪鬼的で、なんだか「刺さって」きませんか?

又は変にネジくれたような感情を感じます。どんなコードでも歌詞とメロディがあれば「意味=音楽的なクオリア」が生まれます。

VIbmは「ノンダイアトニックコード」です。

ここでも二回繰り返していますよね。当ブログではメセニー、ユーミンやスティーリー・ダンとかもやってる「無理やりシークエンスを作り意味を創り出す」という不定調性的な技法です。

 

でもVIbmがなんとなく使えてしまうのは、

VIbM7というコードが日本人の心に響くコードだからだと感じました。

CM7   |AbM7  |CM7   |AbM7  |

(音、参考)

https://rechord.cc/l6EqXZUMffA

で、M7をm7にする、という習慣が作曲する人にはなじんでます。それは進行①

の経験値からきていると感じます。これを、

CM7  |AbM7  |Abm7  |CM7  |

としてもなんかできちゃいそうなイメージを持ってしまっています。

https://rechord.cc/2JT3sEdh2Qc

 VIbM7がすでにサブドミナントマイナーですから、それをさらにm7にしたVIbm7は「サブドミナントディミニッシュ」と機能和声的には呼ぶしかありません。

 

で、この曲では

Cm    |Abm6   |Cm    |Abm6   |AbM7 |~

となっていますから、冒頭のシークエンスの後、仕掛けるかのように、VIbM7に戻してきます。この冒頭の進行ですが、

Cm    |AbM7   |Cm    |AbM7   |

AbM7 |Gm7  |Fm7  |Ab/Bb  |~

とか

Cm    |Ab7   |Cm    |Ab7   |

AbM7 |Gm7  |Fm7  |Ab/Bb  |~

とかで歌えるの気が付きました??で「理論的に」はこっちが正しい、わけです。

 

じゃあ、なんでわざわざAbm7にしたか?

 

それは簡単です。「そうしたいからそうする」です。

この「理論的に二次的になってしまう手法を正当化できる理論的アプローチ」が不定調性論的な思考です。

音楽理論に反する手法は即「不良」のレッテルが貼られ、ジョン・レノンみたいな繊細で勤勉な人は「自分は不良なんだ・・」みたいに思い込まされ実際不良行為に走らせてしまったみたいなところがあるわけです。

当時の若者の不良行為の半分ぐらいは社会の機能性の狭さの責任なんじゃないか、と思うほどです。

 

で、それを補うには、「個人」がどこかで重視される必要があり、その一つの理解の方法として不定調性論的な思考を活用いただければ幸いです。

「ふっとそう思ってしまったことをよし」とできる思考法です。これをアートの上で行うわけです。多種多様な欲望を叶えるのは社会では芸術活動しかありません。