Flamingo / 米津玄師(コード進行あり)
〜Lemonのその先の質感を考える〜
"馬と鹿"のコード紹介はこちらから。
(ある程度音楽理論的な理解が必要な記事ですが、知らなくても雰囲気で何が言いたいか分かるようにしてあります。)
====
"Lemonの次"とも解釈できる本作についてもちょっと書いてみました。
TEENAGE RIOTについての話はこちら。
奇っ怪なことを書きますが、褒めるだけなので安心してください。
(これ読んだ方が早いぞ↓)
"Lemon"で異物混入事変を起こしたわけですが、この新曲では華麗な再犯がなされています。より巧妙です。異物混入自体は、はじめから氏の表現の方法です。もはや異物情緒と言った方がいいかも。
不定調性論も音楽理論的犯罪を擁護する悪徳弁護士みたいなところがあるので素直に、正統派伝統派の方、ごめんなさい。と今のうちに言っておきます。
恒例のコード書きをしますね。2017以降の拙論では、コード進行についてはあくまでも参考程度に。
これが分かってもこの音楽で何が起きてるかまで分からないからです。
Flamingo / 米津玄師
Intro
Cm7(10↑) D7│Gm7(6↑) |
Cm7 D7│Gm7 |
SecA
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7(9) |
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7(9) Gm7(M7) |
SecB
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |
サビ
EbM7 D7│Gm7 │
EbM7 D7│Gm7 │
EbM7 A7│D7 Gm7 │
※A7はまたはA。EbM7もEbでも良い。自分の意識に近い和音を選択してください。他の箇所も同様です。
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |
Interlude
Cm7(11) D7│Gm7(6) |
Cm7 D7│Gm7 |
SecA'
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7(9) |
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7(9) Gm7(M7) |
SecB'
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm /F# /F /E |
g-f#-f-e、このようにベースが下がっていくラインが和音的になると「クリシェ」と言ったりします。ここでの雰囲気を聞いてください。「歪み」とか「陽炎」と言ったゆらぎを感じます。たとえたまたま手グセで出たベーシストのフレーズであるとしてもカッコいい。陽炎。
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |
サビ'
EbM7 D7│Gm7 │
EbM7 D7│Gm7 │
EbM7 A7│D7 Gm7 │
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |
SecC
Cm7(b9) Cm7 D7 |Gm7 |
Cm7 D7 |Gm7 |
Cm7 D7 |Gm7 |
Cm7 D7 |Gm7 |
Cm7(b9) Cm7 D7 |Gm7 |
Cm7 D7 |Gm7 |
Cm7 D7 |Gm7 |
Cm7 D7 |Gm7 ||
Cm7 D7 |Gm7 N.C.(pitch down) ||
サビ''
EbM7 D7│Gm7 │
EbM7 D7│Gm7 │
EbM7 A7│D7 Gm7 │
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |
Ending
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |
※Cm7(10↓)はあるいはCm7(11↓)
※Gm7(6↑)はあるいはGm7(M7↓)、矢印はその音よりちょっと高い、低い(と感じる)の意味です。
Gm7(6↑)とは、Gm5の小節で、6thよりちょっと高いピッチの音程に該当する音が鳴ってるよ!って意味です。
これは「不協和音のバッティング」と言える氏独自の技法ですが、不定調性論では「不協和」ではなく、立体的な響き、空間座標的な響き、とか何でもいいです。「不協和」ではなく、それもまた「響き」なんです。
米津音楽のこの不協和の美化だけは今まで誰もやれなかったことです。
動画文化を通して、若い人たちが時代そのものを押し出したんです。
これは「協和こそ秩序」と学んで刷り込まれてきた自分たちの教育価値観を覆してくれる音です。「異様なノスタルジー」です。日本人が、西洋的教育を施される前の時代の感覚を懐かしむようなノスタルジーです。こういう和風テイストのポップ曲を日本人が好きなのは、西洋音楽体系にならされる前の日本人としての原初の感覚よ目覚めろ!目覚めろ!って言われてる感じに無意識的に鼓舞されるからだと思います。
=====
氏が楽曲をコードで(進行理論的に)は考えていない、という前提で捉えています。
曲を分析すること自体は、作者の意図を越えて新たな価値を発見することになるので、作者の庭で石油を掘ってあげるような貢献をしましょう。批判しても双方に何も産みません。誰かを褒めても、結局それで他の誰かを傷つけることになるので、どっちにせよ覚悟がいります。
また歌詞と音楽の関係についても、これは幽玄の世界なので音楽そのものとの関連は論じません(M-Bankユーミンレポート参照)。言葉は明確な意味を持ってしまうので、聴き手は一人一人の人生を通してその歌から違う言葉を聴き、違う映像を感じ取ります。つまりそこから生まれる意見は個人を越えていきません。他者の意見に同意するかどうかは単に好みと偶然の産物、と考えています。
もし作詞のテクニックとして学びたい人は作詞研究を専門にされている方などを探してください。
そして作者の意図を理解してもあなたの人生とは関係はないので、結局自分の答えを探さなければならなくなります。
A7の感じやD7でのノスタルジーは例によって真骨頂ですね。
A7はII7ですから、マイナーキーで使うと中近東感とか、スパニッシュ感を与えます。潜在的に「妖しさ」とか「情熱」をそれだけで表現できるわけです。スパイシー。Lemonから引き継がれていることに気づきましょう。
===========
これ、コードだけ見ちゃうと、
ぁあイントロ、Aメロ、Bメロってコード同じなんだぁ、
とかって思ってしまうでしょう。
この曲に限らないことですが、コードが同じでも風景は違います。コード表記の合理化に惑わされないように。
和音は同じ表記でも曲中の色彩が一緒ではない、ということを考えてみてください。
色彩だけでいうなら、例えばですが、
Intro
Cm7(10↑) D7│Gm7(6↑) |
Cm7 D7│Gm7 |
もっと薄暗い赤の印象。MVから感じるからでしょう。
SecA
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7(9) |
さらに赤に強烈さがつきます。
Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7(9) Gm7(M7) |
少しそのトーンに慣れます。飽きそうになるまえに
SecB
Cm7 D7│Gm7 |Cm7 D7│Gm7 |
Cm7 D7│Gm7 |Cm7 D7│Gm7 |
蒼に変化。寒さと疾走感を感じました。
=====
などとみなさんそれぞれ自在に雰囲気の差異を覚えるはずです。これは音楽に限ったことではないと思います。
同じ人物が正座して「あ」と書く時と、誰かと剣を交えている最中に「あ」と書くのではまるで違うフォルムになり、その字から醸し出される空気感も変わります。喩えがちょっとへんですが、コード進行も同じです。同じコードでも同じでない、を理解しましょう。多分これが理解するのは日本人は得意だと思います。ブルースがしみ込んだアメリカ人と同様、幽玄は日本人の遺伝子に刷り込まれています。
使っている音が同じでも、質感、色彩感、模様感、距離感、温度感など全て違います。ということは違うコードなのでは?と理解できる勇気が必要です。
これを拙論的に中二的に書けば、
Intro
Float【c(10↑) Du7│g(6↑) |
Ebu5/c Du7│g+m7 】|
SecA
L;g-center【Cm7 D7】│S[Gm7]ヒトリ |
L;g-center【Cm7 D7】│S[Gm7]+UU9thイキ |
L;g-center【Cm7 D7】│S[Gm7]クズレ |
L;g-center【Cm7 D7】│S[Gm7]→+UUM7サワギ |
SecB
SW;g-center【Cm7 D7】│SU[Gm7]ダブリ |
SW;g-center【Cm7 D7】│SU[Gm7]ユレ |
SW;g-center【Cm7 D7】│SU[Gm7]ダブリ |
SW;g-center【Cm7 D7】│SU[Gm7]エミ |
という感じで、まるでぜんぶ違うでしょ?となるわけです笑。
真に受けないでね笑、心の声。でもこれじゃ、わけがわからないでしょ?
そこでこういう個人的意見を除いて表記を統一しよう!ってことで機能和声という優れた簡易理解汎用システムを用いるだけです。
だから簡易理解システムが便利だからそれで済ませることに慣れすぎてはいけない、ということです(いや、別に良いけど)。
========
Intro(0:07~)
Cm7(10↑) D7│Gm7(6↑) |
※Cm7(10↓)はあるいはCm7(11↓)
※Gm7(6↑)はあるいはGm7(m7↓)
冒頭からまた声ネタが含まれています。これが微妙なピッチで、Cmが来るところでM3rdが響いているようなニュアンスというか衝撃を感じます。
これは「これは"奇妙さ"、だよ」っていうメッセージを受け取って興奮すればいいんだと思います。
これがGmのところでも軽微に起こります。
このような音をMVとからめて、"駐車場のコンクリートの隙間から轟音と共に盛れてくる地下鉄の生暖かい風"、みたいに感じてもいいでしょう。
もはや動画は絶対に音楽に必要になっていますね。いずれ音だけ、に戻る日が来るでしょうか。
これらの音をただの不協和音、なんていう人はまだいますか?
不協和という概念を克服しています。
これはまた海外を含め最近の流行りの手法でもあるのでどんどん真似してみましょう。
(分かってるけどできない。)
で、間奏の1:11からはもう慣れてしまって、この音程感が普通になるのでそこでは、Cm7(11) D7│Gm7(6) |と表記しました。これが人の感受性の面白いとこですね。これも同じ音だけど違うという事例として良いです。
SecAの声効果音がカッコいいですね。なくてもいいけど、これがなければなければまるでタテガミのないライオンとか、牙のないサメみたいになります。
で、0:32~で
「A-ha?」
というオブリが入ります。
Cm7 D7│Gm7(9) Gm7(M7) |
と書きました。これもぶつかってる音ですが、こちらは「けだるさ」を感じました。
または傷口が擦れて痛い、というようなイメージにもなります。色々感じるはずです。
そして、2:13~の"和漢のざわめきセクション"での
「へい~ぃえい!」は該当コード部分でいうと、Cmのb9thに該当します。
やっちゃった!みたいな音です。でもだいじなことは、
「その小節にCmと書いてあっても、そのフィールド全方位に該当コードが支配できているわけではない」
ということです。
Cm7(b9) Cm7 D7 |Gm7 |
音楽学校でこんな小節作ったら懲役二桁に相当するミストーンです(最近はだいぶ理解されるようになっています)。
音楽表現の上では、こうした音にも意味を与えて聴き手が受諾できれば、まるで麻薬のような凄まじい効果になって伝わります。この効果は米津楽曲で聞くまでは誰も知らなかったのです。
考えないでも快楽が与えられるこうした表現を道義的に拒否する人がいるのもうなづけます。だって麻薬とか媚薬だもん。
でも脳にも麻薬はあるわけで、本能的といった方がニュートラルではないでしょうか。
聴き方を変えればいいだけ。感じ方を変えればいいだけ。
まさに自分達が過去に聴いた"遠い昔の祭り"のなんとも言えない雑多な欲望がだだ漏れている不可思議で神聖で卑猥な音となっています。
まるでマイノリティの代弁のような、発言を塞がれて悩んで生きるしかない声なき人達の訴えのようにも響きます。Cmの上でDフラット。
こういうことをしてくれる人が今の時代は必要なわけで、氏だけに頼ることなく、自分達もちゃんと声を出していこう、って思わせてくれます。なんか、声が届かないかもしれなけど声上げて頑張ろうよって言ってもらってる感。
==============
この手法の先にどんな音楽作るつもりなのか、って言う事に興味があります。
パーカーは早くに亡くなってしまったけど、大変でしょうが、誰も到達できなかった音楽の調和の源泉を見つけ出し続けてほしいです。
全部自由になるっていうのは、現代ではフリージャズをやる事ではなく、あらゆる階層のものを組み合わせても調和が作れるということを示すことだと思います。
マイノリティもマジョリティも全部同じで、協力しないと先に進めないんだよ、そうしないと人は宇宙生活時代を迎えられないよ、ってことだと思います。
どんなまとめだ。
またいずれ書き直します。
==コーヒーブレイク〜M-Bankのロビーの話題から==
噂の人狼ゲーム、まだ持ってないんですか先生?的に言われる。。え?DXの方がいいよ。役職多いし、って、、ちょっと付いていけてない・・。