音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

不定調性論的な「視点」についての話〜心理的協和の角度のある視点★★★★★

今回はWindowsさんの「ペイント3D」を使ってお話しします。 

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「解釈」という行為のあいまいさ、厄介な部分について書いているつもりですが逆に訳が分からなくなった記事です。文字通り適当に解釈してOKです笑。

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ここに四つの星があります。

これをある四つの和音のコード進行としてください。この進行が美しいか、調和がとれているか、調があるか、よく聞く流れか、感情を揺さぶる流れか、人は自分自身の感覚で自由に捉えます。もちろん教育による刷り込み、周囲の同調圧力や、共感といったより複雑な感情がその存在への評価を変えていきます。

ここに白紙のキャンバスを戻します。

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むむ?じつはこれ、3Dのキャンバスの左下から見てるんです。キャンバス意味ないですが、空間の配置がこれで分かります。

では、キャンバスの正面から見てみましょう。

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むむ?だいぶ広範囲に広がってます。

ではキャンバスの下から。

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位置取り分かるでしょうか。

実はこの四つの星、2次元では並んでいるように見えて、3次元では位置がバラバラなんですね。文字通りお星さまと同じ原理です。

当然大きさも違います。距離感、角度を決めて、同じようになるようになっています。

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角度によっては当然、見栄えも変わります。

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(↑緑は画面のさらに背面になります。)

 

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どう見せたいか、どう見ようとするか、どう見えてしまうか、を判断したり、操作したりできるわけです。

ここでの「距離」はあくまで"喩え"です。

そういう風に見えて、そうではない、ということ、を例えただけです。

 

最初の四つの並びのようにきれいに見えないですよね。

この進行、雑然としたビートルズ的なコード進行みたいなものだったとします。

ビートルズが嫌いな人は、この余りに不揃いな雑多とした感じをみただけで、この崩れた感じを修正しよう、よく見よう、よく思おう、とは考えなくなるかもしれません。

しかしビートルズが好きだと、信じていると、彼らの雑然さを再現しつつ、カッコよく聴かせるために楽器のスキルを上げたりモチベーションを上げて取り組むことができます。

 

こうした意思の自分の中でのやり取りは、公言されません。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、視点の違いなんて比べてもしょうがない。

だからその差異はなかなか埋まりません。

 

こうした同じものを見るときの「視点の角度」「思考の角度」が作り出す違いがもたらすものについて抽象的に考えてみましょう。

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協和音を美しい、と聞くか、退屈・飽和と聞くか。同じ個人でもその時々によって違うし、それを自在に人はコントロールできます。又はコントロールされてしまいます。

事実ではなく、視点をコントロールする事によって(意図的に、または無意識的に)それは成されていくわけです。

この場合、事実そのものも視点と一緒に変わってしまうように見えるのでタチが悪いのです。

 

さらに感性が豊かであれば、

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この二つの視点を同時に見るがごとく、

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様々な色合いや模様を自分の中で作ってしまう人もいるでしょう。共感覚、クオリア、思い出、様々な記憶や情報を音が刺激するからですね。

心には時間概念がありません。

熱すぎるスープを飲んだことがありますか?

熱すぎるお風呂に入ったことはありますか?

そう考えるだけで、心は想像し、あなたに熱さを思い起こさせます。

過去の事でも想像でも関係がありません。心はまさに今感じてしまいます。

事実・創造・経験・印象・好き嫌いなどで自然物がヨダレでデロデロになって個人に所有物化されたあと発信されます。過去と未来と理想と現実がごっちゃになってる場合だってあるでしょう。

通常時、感じることをストップさせることはできません。

 

音楽に限らずですが、自分が感じているものと他人との相違や視点の違いという感覚は、自分の意見が自分の中では絶対的なだけに様々な軋轢を生みます。

 

ただ「思考」は視点のようにはっきりとした差異が分かりません。

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このように明らかに特徴的ならまだしも、

 

 

 

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ちょっとした角度で微妙な違いが決定的な違いになったり。これが「思考」だと見えませんし、言葉はたいてい適切にそれを表現しません。頭のいい人がテレビには出ていると思いますが彼らでさえ議論がずれます。私などでは数秒で意見をひっくり返されてしまうでしょう。

 

 

 

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普段の生活では、「この人に同意しよう」と思わない限り、相手の視点を受け入れることはできません。だって見た目が明らかに違うのですから。相手に会わせようと思ってわざと視点を変えるのは気苦労がかかるし、あえてやらなくて済むならやりたくありません。

また時には受け入れた振りもできます。

受け入れてるのに受け入れいない振りも。ツンデレ。

 

Cメジャーコードを聴いて

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こんなふうに聞く視点と、

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倍音までわずかに聞こえてしまう(感じてしまう)二人の人が「響いているね」と同じ発言をしても、本人達が感じているニュアンスも意味も印象も何もかもが全く異なっているかもしれません。

 

別のモデルで考えてみましょう。

 

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「視点が生み出す協和」を考えてみてください。C△(#9)という和音を考えてみましょう。

振動数比のよる協和は数理であり絶対ですが、心理的な美的価値観は人それぞれです。

上記のように数理上はC△(赤丸下からc,e,g音として)とd#が離れていたとしても、

f:id:terraxart:20180919110317p:plainこのように左から見たら三度のe音にd#を内包できたり、

f:id:terraxart:20180919110433p:plainちょっとずれて左下から覗くと、五度と三度をつなげるような意味合いで感じてみたり、

f:id:terraxart:20180919110503p:plain反対側から見てd#を強烈な#9thとして感じたり。

「そのサウンドイイネ!」っていうことを言った方も、共感する方も、話を聞き込むと意外と違うイメージだったり。でも二人ともいいんだから、良いんだろう、とかすごい論理を持ち出したり。

その辺が勢いでいっちゃうことってたくさんあると思います。

 

耳で聞いて感じる世界感、風景感、クオリア、共感覚は人それぞれさまざまで、しかも形にならずに人に印象を瞬時に与えています。

(不定調性論では和音の分子構造、として自分で自在に不協和音にもシンメトリーな形を形成する事が出来ます。感じたものを形にする訓練です。)

 

音楽理論を適切に学んだからと言って完全に洗脳されるまでは、持って生まれたあなたの感覚がどこかに反射的に出てきてしまいます。

もちろん伝統理論に洗脳されることは悪いことではありません。その価値観こそが商業的価値なのですから、この社会で生きていく上では絶対性もあります。そして取得が難しいスキルです。

(何故伝統音楽の習得が難しいか、というと、自分の価値観ではなく、伝統的価値観を優先し、かつそのルールの中で美しいものを生み出そうとするからです=ストレスしかない、または至上の歓び。それが習得できて、かつ称賛を浴びて、かつ歴史に名前を残す、などという人は何人も生まれません。機会があるなら一度は古典音楽を学習してその難しさを体感してみてください。)

 

私たち私塾は伝統的高等教育を雑多な価値の渦の中から自身の感覚論を引き出し、把握し、理解し、改めてどう生きるかを一緒に考えます。

 

そのあとは、独立に際してどうしたらいいのでしょう。

一つの最も有益な方法はコミュニティを作ることです。

 

大統領になるような、超マクロ的に世界と共有出来る凄い視点の持ち主でもなければ、

「あなたの音楽(作品)(生き様)に共鳴してくれる人」

「あなたの意見を好いてくれる人」

「あなたに建設的な意見をくれる人」

と一緒に生きていくことが最も望ましいと思います。

なかなかうまくはいかないでしょうが。

 

自分と視点が近い人、というのはいるものです。その人を大切にして、一緒に楽しく人生を建設的に生きていければ、完璧な人ではなかったとしてもまずまず日々を充実できます(我ら実践済み笑)。

 

 

あとはそこからドカン!と多勢世界に向かっていけるか、とかまで力がついてきたら、それは人生に素晴らしい事が起きたことだと思います。