音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

読書というバイアス

本を読め、と言っても、これが難しいものです。

本を解釈するのは自分自身であり、自分自身を疑う自分は他にどこにもいません。

だから本は、読者の解釈スキルがとても大事で、義務教育ではどのように本を読んだらいいか、を国語という授業を通して教えようとしています。

 

小学生なら小学生の感性、

高校生なら高校生なりの感性、

があって良いと思います。そして毎回解釈は読む度に変わっていきます。

論文だって読み方によっては毎回違うわけだから。

基本的に、人は曖昧な存在だからでしょうか。

 

だから"あの人は間違った読み方をしている"のではなく、それは個人の自由。

議論で意見を戦わせても、結局は自分はどちらの解釈寄りなのかをただ選ぶに過ぎません。それが半数に別れるのをビジネスにしてるのが戦争屋。

 

知識を教える側が「教わっている人が自分自身の解釈を信じる、自分に自信が持てるように教える」という方向に教えたい、といつも思っています。その子が思ったことをちゃんと聞いて、社会で生き抜ける強靭な自信、強く明朗な意志を持てる個人を作ることをサポートすることが私の大事な仕事かな、なんて思います。

不定調性がなぜ個人の意思を頼りにしているか、というと。

不定調性的学習によって、個人の意思というものが強固にかつ柔軟に躍動できる絶対的な存在に仕上がっている、という仮定があるからです。

 本から知識は得られません。あなたがそれを解釈して初めてあなただけの知識になります。そしてそれは誰とも共有などできません。

そして私たち発信しても、知識を教えることはできません。

あくまであなたの感性を揺さぶって「自分はこうしたい!」という意欲を起こしてもらう解釈に結びつけてもらうために発信します。