音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

<コラム>共感覚の使い方<作曲・制作・音楽鑑賞>〜音楽スクールの視点

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あんまり意味がないんですが、たまたまそういう感覚への理解をすることができるので書かせていただきます。

 

<作曲への活用>

相手に会いたくて寂しい、という恋の歌を作るとしましょう。

その時、ネオンの感じとか、夕焼けとか、別のカップルの後ろ姿、とか普通に思い起こせると思います。いきなりコード進行から入る、とかはプロ中のプロなので参考になりません(作りながら産んでくタイプ)。

この情景が浮かんだことも「共感覚的」と考えてみてください。誰でもある程度は理解できると思います。「恋の寂しさ」って聞いて、オーストラリアの熱い海、とか思い浮かぶ人は天才です。さっさとレーベルにデモを送りましょう。

例えばネオンが浮かんだ場合は、IVM7とか、VIbM7とかの感じから入る、ピアノの静かな感じから入る、とかそれに相応するシーンミュージックを思い浮かべるでしょう。

それが普通です。ネオンの感じを思い浮かべて、イントロはコンガかな?とかはありえないでしょ(コンガが浮かぶ人も天才です。さっさとデビューしてください)?それが共感覚だと思うのです。

そもそもネオンとピアノは関係ありません。これは長年ドラマや映画をみて培ってきた脳の「関連性」についての能力です。「たくさん映画をみろ」とか「たくさん曲を聴け」というのはこうした関連性を養うためです。

これが鍛えられると、「寂」という漢字を見ただけで、ピアノのアルペジオが浮かんできます。でもそれじゃ当たり前なのでエレピにしよう、とかちょっと斜めから行ってシタールで行こう、とか考えるわけです。主人公が男性ならキラキラしないピアノ、女性なら高い音でのピアノアルペジオ、これは一つ穿った見方をすれば性差別に相応するものです。でも人は自然とそういうふうに考えるようになっています。高音であるかどうかなんて性差とは全く関係ありません。あなたが関連づけているだけです。

この関連付けにも個人個人特徴が出ます。

それを不定調性的に解釈すると、「寂しい」から暗い歌にする必要も、明るい歌にする必要もありません。それにおもねるのではなく、自分はそうなったらどんなものをイメージするのか、を考えてもらいます。常識ではなくて自分自身の心を直視してもらいます。それで青っぽいイメージが出てきたら、そういうテーマや背景を探します。

逆に遊園地が出てきたら、そういう感じのストーリーを作ります。

これを自在に出してもらうことで「出しやすく」意識を育てるわけです。

あとは10曲も作れば、オリジナリティがうまれ、同時に、自分らしい生き方も見えてきます。先生の手法を教えるわけではありません。講師・先生は自分の教えはさておき、その子の手法を一緒に発見するんです。そのためには講師側が相手のイメージを理解できる素養が必要です。逆にその素養さえあればあなたもレッスン業で起業できるでしょう。私は得意、かもしれません。どうでしょう。

 

<制作への活用>

規模が大きいのでシンプルにピアノの音色について考えてみましょう。

ガンガン弾きまくるロックンロールの曲があったとします。

ちょっと時代遅れだけど、ロックンロールをやりたい!というバンドのオリジナル曲の編曲を頼まれたとしましょう。デモはいかにもロカビリーな打ちまくるピアノだけの音源で送られてきました。「ピアノとベースとドラムの3ピースアレンジでお願いします!」というメモ付き。

まずピアノの音色を決めましょう。

使う音源によっても左右されますが、特にここでは定めないで考えます。

そのボーカルが矢沢永吉さんのようなボーカルだったらあなたはどんなピアノの音色にしますか?テンポ180でひたすらゴリゴリ押しまくるI-IV-Vのロカビリーナンバーです。汗を飛ばしてライブの後半で盛り上がる曲でしょう。

さあ、どんなピアノの音色にしましょうか。

この時、別にプリセットそのままでも問題ありません。音楽を普通に聞く人はそんなこと気にしないからです。でももしあなたが「60年代のあのレコードのあのピアノの音にしたい!」と思ったのなら、それは共感覚的発想であると思います。また

「この声はまるで火を噴く竜のようだから、薄くディストーションかけようかな」

とか

「意外と繊細なところがある声だから、スタインウェイの音を基調にしっかり細かい粒を揃えてから壊していこう」

とかどーでもいいことを感じたら、それも共感覚的理解だと思います。

普通はそんなこと考えもしないからです。だって、ただの音現象じゃん?

なんでそんな意味を感じる必要性とか、あるの?それ生きるために必要?

その通りです。でもそう思って仕事をしているのですから仕方がありません。それそのものも刷り込みかもしれません。

 

そして学習時は、それをとても大切であることを教えます。かけがえのないあなたの意思だからです。それを私も称えます。

そこから一緒に作っていきます。絶対に変なアレンジにはしません。なんとしてもそのイメージを大事に、良いアレンジをひねり出します。

なぜなら安易に普通の音色にして無難な曲ができてしまったら、自分のクオリアを信じられなくなるからです。この過程が意識や音楽性にはとても大切であると思います。

また「なんかこの声ピアノじゃない」と思ったら、仕方ありません。2バージョン作るしかありません。これはクライアント仕事ですから、勝手に変えて良いわけではありません。しかし強い信念でそう思うなら作るしかありません。チームでこの作業をやっていたら、2バージョンを同じ時間で作るのは大変なので制作の協力をお互いで振り分けます。そしてプレゼンし、選んでいただきます。その時にピアノのバージョンになってしまっても作ったことが良い経験となるように組織は動いていかないと人は育ちません。

「余計なことをした」「やんなきゃよかった」なんて絶対思うような組織にしてはいけない、と思います。それを感じることで、そう思った、ということ全般が共感覚的な理由の不明瞭な関連付けによって生まれた脳の発明だと思えるようにします。

良い方向で、上手にこうした「思い込み」を活用しましょう。

 

<音楽鑑賞への活用>

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この曲を聴いてみましょう。

色とりどりです。

音楽に色を感じる、というのが共感覚の特徴、と考えるかもしれませんが、それは最も抽象的な例なので、表現の動機や感情を知覚する動機までにはなりません。

この曲ですが、一回だけ聴くと「排水管のダンス」みたいに感じました。

楽譜に様々な色がついていますが、わたしは「銀色の湖面で、深緑のなんらかの生物が物憂げに日頃のことを喋っている。しかも私たちにわからないような内容のことを喋っている。例えば、『昨日ここにきたやつの頭の上を回っていたハエが虹色の屁をするもんだから臭くてかなわなかった、頼むからあいつを二度とこの湖に近づけるのはやめてもらいたい』というようなことをひたすら繰り返し文句を言っているような」と感じました。

たぶん、2、3回聴いたらまた感想は変わるでしょう。

作品の作者の意図を考えながら理解を示そうとするのがこれまでの音楽鑑賞の正しいあり方でした。それを全く無視して、自分の中で生まれる感覚、それがたとえどんなにおかしな感覚であっても、それを理解し、感想とする、という意識にするのが不定調性論的な音楽鑑賞法になります。

正統な鑑賞方法と、拙論的なもう一つのプライベートな鑑賞法を二つ上手に使うことで、相手への理解、音楽への理解、自分の満足、他者との違いの驚き、などいくつもの感情を体感しながら音楽を感じることができる、と思います。

これまでもそうした感覚で音楽を聴いていたでしょうが、実際に二つの価値観が混合されているということを前提にした体系で、音楽理論的なところまで切り込んでいくのが不定調性論のちょっと変わったところです。

メロディを聞いて色が浮かぶ、というのはそのきっかけにすぎません。それを突き詰めて、もっとプライベートなものを引き出しましょう。最初は妄想を拡張する、だけでも良いと思います。色が浮かんでもそれを感情やストーリーで理解できなければ意味がありません。自分で音楽を作るにしても、自分の好みを把握するためにも、自分の脳がどんな働きをしているのかを自分で理解しようとしないと「自分を理解できません」。

その結果、自分が変わっている、ということを認知するのを恐れるならウチに来てください。一緒に考えましょう。

 

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スクールでは、こうした自分の「主張」を講師とやりとりします。講師側はそれらの意見をマネジメントして、進むべき方向とか、得意な音楽活動ジャンルを話し合って、次の体験につなげます。

 

音楽を聴いて、何も感じない人もおられるでしょう。

また自然の音に音楽を感じる人もいるでしょう。

あなたが「意味」を汲み取った時、それは共感覚に通じる飛躍的理解を伴うプライベートな知覚であると思います。それが変わっていようが、他の人と同じ、であろうが関係ないと思います。みんな「特別的」です。それを自覚できれば、自分の感覚に驚き、それを主張せずにはいられません。それが形になると表現活動になります。

これを育むには講師の力が必要な時もあります。活用してください。

自分の脳が感じることをもっと大切にして、驚きのある体験に向かって進んでいきましょう。