<作曲への活用>
相手に会いたくて寂しい、という恋の歌を作るとしましょう。
その時、夜のネオンの感じとか、夕焼けとか、カップルの後ろ姿、とか色々思い起こせると思います。
この情景が浮かんだことも「共感覚的」と考えてみてください(科学的な関連性とは違います)。
こういう関連性は誰でもある程度は理解できると思います。逆に「恋の寂しさ」って聞いて、火星の熱い海、とか、タコの足とか思い浮かぶ人は逆に天才です。
作曲家であれば例えばネオンが浮かんだら、IVM7とか、VIbM7とかの感じから入るとか和音の感じとか、ピアノの静かな感じから入る、とかそれに相応するシーンミュージックを思い浮かべるでしょう。
それが普通です。ネオンの感じを思い浮かべて、イントロはタワシを100個ぐらい巨大タライに入れて振って録音かな?とか浮かぶ人も天才です。デビューしてください。
そもそもネオンとピアノは関係ありません。これは長年ドラマや映画をみて培ってきた脳の「関連性」についての能力です。「たくさん映画をみろ」とか「たくさん曲を聴け」というのはこうした関連性を養うためです。
これが鍛えられると、「寂」という漢字を見ただけで、ピアノのアルペジオが浮かんできます。でもそれじゃ当たり前なのでエレピにしよう、とかちょっと斜めから行ってシタールで行こう、とか考えるわけです。そうした着想の展開によって、イメージもどんどん展開していきます。
主人公が男性ならキラキラしないピアノ、女性なら高い音でのピアノアルペジオ、これは一つ穿った見方をすれば性差別に相応するものです。でも現代人は自然とそういうふうに考えるようになっています。高音であるかどうかなんて性差とは全く関係ありません。あなたが関連づけているだけです。
この関連付けにも個人個人特徴が出ます。
それを不定調性論的思考で一時解釈すると、「寂しい」から暗い歌にする必要も、明るい歌にする必要もありません。常識ではなくて自分自身の心を直視してみてください。
それで青っぽいイメージが出てきたら、そういうテーマや背景を探します。
逆に遊園地が出てきたら、そういう感じのストーリーを作ります。
これを自在に出してもらうことで「イメージを出しやすくする」意識を育てるわけです。
あとは10曲も作れば、早い人はオリジナリティの芽がうまれ、同時に、自分に合った生き方、やり方、方向性も見えてきます。
<制作への活用>
考える範囲が広すぎるので、シンプルにピアノの音色について考えてみましょう。
ガンガン弾きまくるロックンロールの曲があったとします。
ロックンロールをやりたい!というバンドのオリジナル曲の編曲を頼まれたとしましょう。デモはいかにもロカビリーな打ちまくるピアノだけの音源で送られてきました。「ピアノとベースとドラムの3ピースアレンジでお願いします!」というメモ付き。
まずピアノの音色を決めましょう。
使う音源によっても左右されますが、特にここでは定めないで考えます。
そのボーカルが矢沢永吉さんのようなボーカルだったらあなたはどんなピアノの音色にしますか?テンポ180でひたすらゴリゴリ押しまくるI-IV-Vのロカビリーナンバーです。汗を飛ばしてライブの後半で盛り上がる曲でしょう。
さあ、どんなピアノの音色にしましょうか。
この時、プリセットそのままでも別に問題ありません。音楽を普通に聞く人はそんなこと気にしないからです。でももしあなたが「60年代のあのレコードのあのピアノの音にしたい!」と思ったのなら、それは共感覚的発想であると思います。また
「この声はまるで火を噴く竜のようだから、薄くディストーションかけようかな」
とか
「意外と繊細なところがある声だから、スタインウェイの音を基調にしっかり細かい粒を揃えてから壊していこう」
とかどーでもいいことを感じたら、それも共感覚的理解だとして実際に活用していくと、自分の気持ちがどんどんクリエイティブになっていきます(こういう話は作曲家のインタビューの時に後でぉぉぉとかって言われる話です)。
そこから一緒に作っていきます。なんとしてもそのイメージを大事に、良いアレンジをひねり出します。
なぜなら安易に普通の音色にして無難な曲ができてしまったら、自分のクオリアを信じられなくなるからです。この過程が意識や音楽性にはとても大切であると思います。
また「なんかこの声ピアノじゃない」と思ったら、仕方ありません。2バージョン作るしかありません。これはクライアント仕事ですから、勝手に変えて良いわけではありません。しかし強い信念でそう思うなら作るしかありません。チームでこの作業をやっていたら、2バージョンを同じ時間で作るのは大変なので制作の協力をお互いで振り分けます。そしてプレゼンし、選んでいただきます。その時にピアノのバージョンになってしまっても作ったことが良い経験となるように組織は動いていかないと人は育ちません。
「余計なことをした」「やんなきゃよかった」なんて絶対思うような組織にしてはいけない、と思います。
良い方向で、上手にこうした「思い込み」を活用しましょう。
またピアノの音色だけ送ったり、簡単なデモで送って判断してもらうと、完成時「なんか完成するとこのピアノの感じ、違いますね」みたいになるので、ある程度遜色なく完成させるのが最高級のマナーなのでしょう(その予算がない!!!)。
<音楽鑑賞への活用>
この曲を聴いてみましょう。
色とりどりです。
音楽に色を感じる、というのが共感覚の特徴、と考えるかもしれませんが、それは最も抽象的な例なので、表現の動機や感情を知覚する動機までにはなりません。
この曲ですが、一回だけ聴くと「排水管のダンス」みたいに感じました。
楽譜に様々な色がついていますが、わたしは「銀色の湖面で、深緑のなんらかの生物が物憂げに日頃のことを喋っている。しかも私たちにわからないような内容のことを喋っている。例えば、『昨日ここにきたやつの頭の上を回っていたハエが虹色の屁をするもんだから臭くてかなわなかった、頼むからあいつを二度とこの湖に近づけるのはやめてもらいたい』というようなことをひたすら繰り返し文句を言っているような」と感じました。
たぶん、2、3回聴いたらまた感想は変わるでしょう。
作品の作者の意図を考えながら理解を示そうとするのが音楽鑑賞のあり方ですが、それを全く無視して、自分の中で生まれる感覚、それがたとえどんなにおかしな感覚であっても、それを理解し、感想とする、という意識にするのが不定調性論的な音楽鑑賞法になります。
これまでもなんとなくそうした感覚で音楽を聴いていたでしょうが、実際に二つの価値観が混合されているということを前提にした体系で、音楽理論的なところまで切り込んでいくのが不定調性論のちょっと攻めてるところです。
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スクールでは、こうした自分の「主張」を講師とやりとりします。講師側はそれらの意見をマネジメントして、進むべき方向とか、得意な音楽活動ジャンルを話し合って、次の体験につなげます。
音楽を聴いて、何も感じない人もおられるでしょう。
また自然の音に音楽を感じる人もいるでしょう。
あなたが「意味」を汲み取った時、それは共感覚に通じる飛躍的理解を伴うプライベートな知覚であると思います。それが変わっていようが、他の人と同じ、であろうが関係ないと思います。みんな「特別的」です。
これを育むには講師の力が必要な時もあります。活用してください。
自分の脳が感じることをもっと大切にして、驚きのある体験に向かって進んでいきましょう。
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