音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

<不定調性論用語/概念紹介44>+C△と-C△。★★★★★

束縛は辛いですが、自由はもっとつらいですね。

人はきっと自由に対して怠けてしまって規則を作っているのだなぁ、と感じます。

でも自由は虚無ではないと思います。あなた自身の意思があれば。

 

たいていは意思を持たぬように教育されてきているので(教育側でさえも意図していない洗脳)、いきなり法が無くなっても、あなたはいきなり人を殺したりしないでしょう。

自由に音楽をやってもいいよ、って言ってもいきなり現代音楽こそ自分の自由の象徴だ!!とは思わないはずです笑。おもしろいですよね。

 

だからこそ、この悪魔的な存在=自由、をちゃんと取り扱えるように、洗脳された状態から、少しずつ「自己を足していく」のが不定調性論のやり方であると思います。

ルールがあるところに、ルールを無視する考え方をあたえることで、選択肢が増え、「自分は今ルールに従うか、避けるか」を選択できる状態=疑似的な自由を作ることで、自己を表現していこう、というわけです。

 

さて

FM7   |Em7   |Dm7   |C△   |

FM7   |E7   |Dm7   |C△   |  

FM7   |E7sus4   |Dm7   |C△   |

となったとき、それぞれのC△に異なる印象を持たれる人はいませんか?

 

音楽的な音ではなく、あなたというフィルターを通して違う感じに思っちゃう人。

 

共感覚的に異なる色を色彩感を持ってしまう人。

 

理由は分からないけど、違う感情を感じてしまう人。

 

いませんか?

 

音楽理論はそういった細かい差異を統合した学問ですから、それ以上の微細な和音の機能は自分で感じ、法則化しないといけません。

またそうしないと、全部同じになってしまいますし、人と同じになってしまいます。

 

誰かが繰り上げた感動を真似するだけです。

 

不定調性論の教材では、同じコードに感じる違う感情を書き出していこう、みたいな試みを第二章でさせます。

 

別に同じでも良いです。

 

本当に些細な違いしか感じなくてもいいです。それを表明してみましょう。

楽になります。ブログで書かなくてもいいです。自分の心に同意してあげましょう。自分が喜びます。そこからクリエイティブを始めましょう。教えてもらったことを活用しましょう。本に書いてあることを活用しましょう。

 

C△には明るく感じるC△と暗く感じるC△があります。

如実な例は、

 

Fm   |C△ | Fm   |C△ ~

B7   |C△ | B7   |C△ ~

などです。

これはキーがマイナーキーであるからですね。これを加速させると、

Fm   |C7 | Fm   |C7 ~

B7   |CM7 | B7   |CM7 ~

 となります。これはまさに機能和声論の凄い刷り込み、ですね。

 

和音は本当は一つ一つ違います。

もちろん、これ、 

Fm   |CM7 | Fm   |CM7 ~

B7   |C7 | B7   |C7 ~

みたいにすれば、また変わります。

 

どういうときに、どうすればいいか、この選択は、あなたがどんな音楽を聴いてきた感い由来します。そしてどんな音楽を聴くかは、あなたの家庭環境、嗜好などによって変わってきます。これは指定できません。3年の学校での学習より、15年の家庭環境の刷り込みの方が強いに決まっています(強い洗脳をすれば別ですが、それは犯罪に近いかも=一般社会的の人間的権利という立場において"悪い環境"からの改善を行う場合を除きます)。

 

明るいC△、暗いC△はもちろん、

清々しいC△、熱いC△、透明なC△、苦しいC△。

 

全部違います。そしてどう感じるかは、あなたが決めないといけません。

そこにセオリーはありません。自分の意思を大切に、自分の育った環境(良い悪いあると思いますが)を認め、「こんなはずじゃなかった」って思うかもしれないけど、まずは、自分がどう感じるか認めてください。音楽表現についての対話はまずそこからです。

 

では

Fm   |CM7(b13) | Fm   |CM7(b13) ~

B7   |C7sus4(10) | B7   |C7sus4(10) ~

は、どう感じますか?

 

何も感じない?

 

いえ、「変な感じ」って感じたでしょ?その「変」はあなたの中のないと照合させた「変」ですか?

実はこの進行、あなたの尊敬するアーティストの進行だったらどうです?

あなたの好きな人がこれを弾いたら、あなたはその人への信頼を失いますか?

理論的正当性を前面に出し、あなたはその人を否定しますか?

それとも、その時だけは冗談として認知してその問題の決定を回避しますか?

 

それを最終的に決めているのは誰ですか?