音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

<不定調性論用語/概念紹介9>全ての音程を基音の振動数で理解する。★★★★★

レンジ4をみてください。

c-d-e-f#-g-a♭-a#-b-c  

ここには短二度から完全八度まであらゆる音程が作れます。

これらの音程は、もともとは基音1Cから生まれたものです。

だからこう書き替えられます。

8c-9c-10c-11c-12c-13c-14c-15c-16c  

です。倍数だからですね。

完全八度は、8cと16cの関係です。

完全五度は、 8cと12c、とか10cと15cの関係、にもできます。これらも基音1cの振動数から作ることができる、と言えます。

短二度=11c-12c、12c-13c、14c-15c、15c-16c

長二度=8c-9c、9c-10c他...

短三度=10c-12c、12c-14c他...

長三度=8c-10c、9c-11c他...

完全四度=12c-16c他...

増四度=8c-11c...

増五度(短六度)=8c-13c..

長六度=9c-15c...

短七度=8c-14c...

長七度=8c-15c...

とすべての音程を基音の振動数のあるステップの組み合わせて表現できることになります。もちろんこじつけです。

通例の音階は完全八度のオクターブという連続で秩序がなされています。

これはcと2cがオクターブの関係にあり、同じ音だ、という認識が古くからあるからです。教材ではクルト・ザックス先生の言葉を引用しています。

古代から、男性と女性が異なる高さ(オクターブ)で同じ音を発することを知っていた、という指摘です(これも結局体感覚と慣習による伝統、であると思いますが)。

 

これを応用しますと、違う音でも同じ音の秩序から作ることができる、それらを連鎖して別の秩序を作ることができる、と考えることもできます。

 

例えば五度圏

c-g-d-a-e-b.....

一周してcに戻ってきます。音階のようですね。

これを単に音程の連鎖、と考えるのではなく、自然倍音の作る完全五度で考えるわけです。自然倍音では、オクターブは、基音1cに対して2cが該当します。つまり2倍音です。

では完全五度はというと、基音の2cに対して3cが該当します。つまり2/3倍です。

1c-2c-4c-8c-16c-32c-64c-128c...

というのは、公比が2の数列に該当します。こういった考えで統一すれば、

c-g-d-a-e-b.....

 の公比は3とも言えますし、2/3とも言えます。結果的にcにかえってくるという意味で言えば、音程は歩幅の違いがもたらす聴覚上の差異だけで、本来は同じ基音から作られた数列的存在、として統一することもできます。

 

同様に

c-e♭-f#-a-c

という短三度連鎖、

Giant Stepsの

c-e-g#-a-c

という長三度連鎖、

 

他では

c-d-e-f#-g#-a#-c

というホールトーン。

 

そしてクロマチックスケール。

 

全てこれらの音程は、基音の振動数から割り出せるものですから、元は一つの音程、と解釈することもできます。

 

こうした五度圏、四度圏、短三度圏、長三度圏、長二度圏、短二度圏は、すべて自然倍音列が作る、基音の振動数のある段階での状態を用いたもので全て同じ秩序から導き出せる、ということもいえます。

 

五度圏の美しさも、ハンコックによる短三度移動の美しさも、Giant Stepsの不可思議さも、ドビュッシーのホールトーンも、変幻自在なショパンのクロマチックも、すべて同じオクターブの歩幅の解釈の違い、展開によって生まれた秩序である、ということができます。

 

ホールトーンはダイアトニックではないから、異質な印象音楽独自のモノだ、と考えてしまうと、ダイアトニックにとどまるか、印象派を取りいれるか、二つの選択肢で音楽性の狭隘なるを迫られます。

しかし、基音のどの段階を用いて連続させるだけかの違いで、全てはやはり自然倍音が作る数理の展開にすぎない、と理解できれば、ダイアトニックであるかどうか、という解釈そのものが狭隘なる精神であることが分かります。

 

不定調性論の教材でも最初の方に扱っていますが、五度圏という存在の美しさが楽典でも異彩を放っているのに、その秩序の由来を上手に説明できないのは、音程秩序の根本をどこに置くかを定めていないためであるわけです(機能和声を厳密に考えれば考えるほどここは曖昧にしておかないと美意識が拡散されてしまうから)。

 

で、不定調性論としては、こうした音程が作る秩序と機能和声の秩序のどこに連関性があるか、を作らない事には、「なぜ五度圏に美意識を感じるのか」ということと、機能和声がそこからできている、ということが意識下で一致しないためです。

 

ちょっと難しいでしょうか。

 

あらゆる音程は基音から作れるので、それを組み合わせたあらゆる音楽もすべて基音から作れる以上、後はどんな秩序を自分で作るか、しか手がない、ということへの気づきです。これは「自分の力で生きていくしかない」ということへの気づきですから、学習段階の最初で気づく方が良いのです。

そんな膨大なことをしていたら音楽は作れないので、伝統的な機能和声という方法があるよ、というだけです。

で、いきなり機能和声から入ってしまうと、実はもっと自然の幅は解釈や数理の活用でどんどん広がるのに、それができないのは洗脳になってしまうので、自在にその周辺を行き来できるように、理屈でこれらを関連付けて、教会を曖昧にしていくことで、音楽性の根底が潜在意識に与える抵抗を和らげることができるのではないか、という提案です。

 

これが正しい解釈だ、というわけではありません。これで私はタバコを止めました、という宣伝と同じで、これで私は自由になりました、という思考の材料に用いたのです。

「解釈への挑戦」です。自分に含まれる先入観を取り除く解釈を一つでも二つでも推し進めることで、自分の人生そのものも自分の意思でキラキラ輝かせたい!というか、より柔軟に生きていきたい、という希望があるからかもしれませんね。それができたかは死ぬ間際まで答えが出ませんが、今現状はそれをさせて頂いていることを大変感謝しています。

 

で、これと曲を作る技術、っていうのはまた違う、っていうところがミソなので、自由になったら、とっとと曲を作っていきましょう。