音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

<コラム>実験音楽をどう魅せるか

受講生の方の中に何名も実験音楽系の方がおります。

不定調性論と私のこういう気質を考えますと、まあ納得でございます。

   

実験音楽系というのは、抽象性や難解性があって当たり前で、それがないとまがい物である、というような空気感があります。

ましてや分かりやすかったり、変に商業じみていたりすると、冷ややかな目で見られる、みたいなところがあります(それこそ表面的にしか鑑賞できていません)。演っている人たちは極めてナイスガイなのに、それが許されず、ステージ上では物分かりの悪い人間と化して、あーあ、って言いたくなるようなことをして苦笑いされていなければならない存在、という位置付けだとおもわれています。

 

不定調性論は、そういったヘンチクな音楽であっても「意味」を見出し、鑑賞できる方法論なので、聴き手が真剣に聴けば、そこに意味が生まれ、音楽鑑賞感が出現する、というものです。自分の意味を発掘します。だから凄く時間と集中力が掛かります。

安易に聞いても何とか楽しめるように、と作ってあるのが商業的音楽であると言えます。それと芸術音楽は違うと思います。逆に商業音楽を芸術音楽的に聴くこともできます。やっているとばかばかしくなったりしますが、そのばかばかしさは当然芸術音楽でも同じだと思います。

どちらも壁のシミの意味を真剣につなぎ合わせて考える作業だからです。

 

本当に変態さんは、どう演ってこの変態を理解していただくか、ということを真剣に考えたほうがいいです。ここに誰か代理人が必要なんですね。

「どうせ理解されない」

と考えるのは死ぬ瞬間まで結論づけず、もしあなたがまだ多少の分別があるなら、それで投げ銭もらえて、理解が深まり、相互関係ができて、それを使ってくれるメディアが見つかり、活用いただく手段が誰かの手によって開発されるほうが良い、と望むなら、そういう「誰もやっていない方式と慣習のタブー」を破っていただいて良いと思います。

それこそアイデンティティの暴走です。

 

犯罪になってしまうと、おそらく1回か2回ぐらいしか人生でできないかもしれません。それが快感な人は厄介ですが、ここでは推奨しません。

「どうやってこれを理解していただくか」という試みは是非、芸術的発散と同時に誰かに相談してやっていただきたいです。

必ず30年前に比べたら理解者は増えます。

 

難解だから「理解してもらえない」と決めつけないで、もう一度リセットして、あなたの音楽に取り組んでください、ということです。人は理解の仕方を知らないので、理解の方法からまず伝え、感じ取ってほしいことを明確に伝えた上で、「いつも聴く音楽とは聞き方が違うよ」とまず準備してもらう必要があると思います。

  

本当の芸術を行いたい、という人も「芸術に、意味はない」という真実を見つめた上で、あなた自身を是非発揮いただきたいです。そこに真の勇気が試される、ということが大きな意味での人の真理への道なのではないでしょうか。

意味は勇気で作り出すもの。

 

意味があると思えば、ある、ないと思えばない。だから「ある」と思ってあなた自身を追求して行ったら少し楽かもよ、、みたいな話かもね。

脳のなかの万華鏡---「共感覚」のめくるめく世界