音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

<コラム>実験音楽をどう魅せるか

受講生の方の中に何名も実験音楽系の方がおります。

不定調性論と私のこういう気質を考えますと、まあ納得でございます。

 

実験音楽系というのは、抽象性や難解性があって当たり前で、それがないとまがい物である、というような空気感があります。

ましてや分かりやすかったり、変に商業じみていたりすると、冷ややかな目で見られる、みたいなところがあります。演っている人たちは極めてナイスガイなのに、それが許されず、ステージ上では物分かりの悪い人間と化して、あーあ、って言いたくなるようなことをして苦笑いされていなければならない存在、という位置付けです。

何十年変わらないのでしょう。

 

不定調性論は、そういったヘンチクな音楽であっても「意味」を見出し、鑑賞できる方法論なので、聴き手が真剣に聴けば、そこに意味が生まれ、音楽鑑賞感が出現する、というものです。

しかし、安易にそれが生まれるなんてことは人は許さず、鍛え抜かれた音楽理論オタク、実験音楽マニアだけが許される偏執狂の境地にしておきたいのかもしれません。

 

でもそんなことしていても仕方ないです。

ナイスガイはナイスガイである自分を出すと楽ですよ。

本当に変態さんは、どう演ってこの変態を理解していただくか、ということを真剣に考えたほうがいいです。

「どうせ理解されない」

と考えるのは死ぬ瞬間まで結論づけず、もしあなたがまだ多少の分別があるなら、それで投げ銭もらえて、理解が深まり、相互関係ができて、それを使ってくれるメディアが見つかり、活用いただく手段が誰かの手によって開発されるほうが良い、と望むなら、そういう「誰もやっていない方式と慣習のタブー」を破っていただいて良いと思います。

それこそアイデンティティの暴走です。

 

犯罪になってしまうと、おそらく一回か2回ぐらいしか人生でできないかもしれません。それが快感な人は厄介ですが、ここでは推奨しません。

「どうやってこれを理解していただくか」という試みは是非、本来の芸術的発散と同時にやっていただきたいです。必ず30年前に比べたら理解者は増えます。

 

そしてあなた以上にどうかしちゃってる人はたくさんいるので、意外とステージ上にいる人は「平均」かもしれませんよ?無理をする必要などないんです。あなたはあなたのものそのものを磨くだけで、そういう人たちの代表になれます。なかなかそれをやらなくちゃいけない人たちって少ないですから。

ステージで行うなら、理解していただくことを示す、というのが最も新しいスタンスです笑。手品の種明かしをするよりも見たくないものかもしれませんが、見せ方であると思います。

 

繰り返しますが、難解だから「理解してもらえない」と決めつけないで、もう一度リセットして、あなたの音楽に取り組んでください、ということです。

 

もう一度、真剣に自分が惹かれた音楽に新たな価値観で取り組んでみる、というのはなかなかもって面白いはずです。

 

、、、という話を今日しました。ライブが楽しみですね。

 

本当の芸術を行いたい、という人も「芸術に、意味はない」という真実を見つめた上で、あなた自身を是非発揮いただきたいです。そこに真の勇気が試される、ということが大きな意味での人の真理への道なのではないでしょうか。

意味は勇気で作り出すもの。

 

意味があると思えば、ある、ないと思えばない。だから「ある」と思ってあなた自身を追求して行ったら少し楽かもよ、、みたいな話かもね。