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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「カエルの合唱」のメロディで不定調性和音〜和音を単音として捉える

 2018.6.3⇨2020.10.2更新

不定調性論的な和音付けについてのお話です。

 

普通はメロディって、単音ですよね。

「かえるのうたがー」

っていうメロディは、

 

ドーレーミーファーミーレードー

ですね。

(童謡『カエルの合唱』)玉川学園・岡本敏明とツィンメルマン博士

メロディって理屈で考える、というよりもふっと作ったりしているものです。

酔っ払ってお父さんが「ただいま帰りました〜」っていうとき、ちょっと節がついてますよね。陽気な。あれが作曲の最も自然な形です。

 

ポピュラー音楽はさらに「和音を伴奏に添える」という発想があります。

例えばこんな風に。

 C F |G C |

 

もちろんメロディ1音1音にも和音はつけられます。

C Dm Em F |Am G C   |

最初はここにたどり着くまでも1年ぐらい音楽理論の勉強が必要ですよね。

逆に言えば、勉強すればできるようになるレベル、というのがちゃんとあるのが音楽教育です。

 

しかし、この「和音をつける」と云う発想自体が、実は伝統西洋音楽教育の洗脳なのですよね。

「皆と同じような背景の土俵に乗せる」ことで優劣をつけることができます。

土俵の違う音楽、例えば同じ民謡でも、演歌とアフリカ民族の音楽に優劣、好き嫌いを主張しようとは思わないはずです。

 

 

   

この和音をつける「コード付け」はセオリーにしたがっていれば、誰でもそれっぽくできます。

 

しかしその先に「普通な感じのはできたけれど、それでは満足できない」という人が一定数います。

音楽表現アウトローたちです。

不定調性論的思考はそんなアウトローが道を踏み外さず、社会と調和しながら自己のフェティシズムを探求できる方法論です。

 

例えば、長三和音をメロディにのせてみましょう。

C  D  E  F  |E  D  C   |

メジャーコードだけでコード付け。こんなのセオリーと違って間違っている!

と思うかもしれません。

 

Csus4  Dsus4  Esus4  Fsus4  |Esus4  Dsus4  Csus4   |

こちらはsus4コードだけ。下記がこのデータですが、青く囲った部分がsus4の連鎖です。 

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少しピアノっぽい感じの弾き方にしてみました。

 

私はsus4が最初に好きになったコードなのですが、これは

「ぶら下がった和音」

だというのです。どことなく差別を受けているような感じがしました。

普通の音を三つ重ねただけなのに、一方はメジャーコードと呼ばれて一方はサスペンデットと呼ばれます。

これは調性音楽の秩序世界の中の価値観だったのです。

 

私は別にそこに従う、と云う契約とか約束はしていません。

 

ちなみに不定調性論ではC△はCu5、Csus4=Cul3です。なるべく表記自体が醸し出すニュアンスもフラットになっています。

 

本来sus4にはsus4の印象があります。

1人1人その印象も違うはずです。

それならば、自己のイメージで和音の概念を自在に連鎖できる方法論を作ろう、そんな風に感じたものです。

 

これが不定調性論でいう「単音概念」という考え方につながります。

和音そのものを「単音」で考えるわけです。たとえば、

Am Dm |

というコード進行も、Amという単音とDmという単音が連続しただけ、と考えるわけです。

これはラーレーと演奏しているのと同じです。

 

実践してみましょう。

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たとえばシンセの一つのプリセットを使ってカエルの合唱を弾いてみましょう。

よく聞けば「カエルの合唱」ですが、シンセの音がすでにハーモニーになっていてリズミカルでもあるせいか、近未来の印象があります。

これは一つの音色です。メロディだけを弾いていくとこのように響くのがシンセのコーダルプリセット(鍵盤一つで和音が鳴る)の魅力です。

 

EDMで音楽理論などをあまり考えずに作るタイプのアーティストは、ドロップの後にビートだけ残してこうした浮遊した感じのメロディを弾いたりします。

わかっててやる、というよりも「なんか気持ちいいからやる」というスタンスです。

 

これまではそうした気持ち優先スタンスは「無知」であり、遠回しに揶揄されるだけでした。

 

しかし音楽理論を研究し突き詰めても結局は「無知」というか「無智」にならないと、本当に今の自己と出会えないのではないかなどと考えたりします。

 

といって機能和声を捨てて生きたところでなんの解決にもなりません。ただ時代の中に他に方法論がなかったんです。

 

だから私は、理論的アプローチをしながらも「気持ちいいからやった」が上位にくる方法論が欲しかったのかもしれません。

 

皆さんもライブ中、テンションが上がって勢いで楽譜にこだわらず何も考えず楽器を弾いたりしませんか?

それも音楽なのですが、あとで恥じたりしますよね。

フリージャズに始まり、不定調性論によって完成されたこの手法は、直感とクオリアを重視する音楽制作方法です。

これは伝統西洋音楽理論の対極に置かれるべき方法のだと考えています。

 

 

理論---自分---感性

どちらにどのくらい手を伸ばすか、を自在に決められることを謳う方法論が不定調性論です。

和音の作り方、連鎖の仕方、解釈の仕方が自分で設定できます。

 

 

下記はその一つの方法です(マザーメロディ)。

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これは先のsus4の音源を下記のようなコンセプトで音を配置換えしながら作りました。

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あとはじっくり聴きながら、ここはこっちかな、とか直しながら作りました。

これは青線の下降ラインを思いついて、聞いてみたらいい感じだったのでこれを基調に作りました。

コードネームは考えていません。

コード進行を考えないときは「ライン」で考えます。

非常に有用です。

流れを聴きながら、印象を持てないと作れません。音楽的な印象、当ブログでは「音楽的なクオリア」と言っています。こっちよりもこっちがいいかな、と云う選択が意図を持ってできないと、この方法での和音付けはできません。

ここは鍛練です。

 

高速道路の騒音を聞いても「なんかこのリズムいいな」とか「今のバイクの音、カッコつけたな!」とかそう云う「自己に素直な印象力」を持ちます。対象を批判する必要はありません。そう感じることを大切にしてください。それで印象力は鍛えられます。

 

一応先の和音にコードネームも描いてみます。

Fm Dsus4 F#m7 Bb5 |Esus4 Am(#11) Gm(11)  |

こうやって書くとBb5(パワーコード、2音種だけ)が少し希薄かもしれませんね。

でも最初三つが厚いので、このパワーコードが途中の「節」みたいな感じになって、リズムがあり、ちょうどいいのかもしれません。

 

、、というような自分が感じることを常に真ん中に置いておくと、地上に存在しないアレンジができます。

 

コールマンがやりたかったであろうハーモロディクス理論のようなコンセプトの具体化です。

 

世界の一時期は、

「これまでの音楽理論がまずかった、本来はこのようにすべきだ」

と宣言するのが流行の時代がありました。新興宗教全盛の時代の頃です。

 しかし現代は個別で活動できる時代、どこかに所属しなくても家で稼げてしまう時代です。他者を批判する必要がなくなったのです。自分の方法がいいと思うならそれで作品を作ればいいだけです。

 

ちなみにこの「カエルの合唱」ですが、ホラーゴシック的な作品にしたいな、とか感じて、

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メロディはオクターブで少年コーラスの音域に合わせて

そのぶん和音が低くなったので下がるラインをオクターブ上げたり。

現実には難しいコーラスですが、DTMではこれができます。

人では出しづらい不協和がなんとも言えない厚みになっています。

 

昔のように、アレンジできたけど先生が「こんなもの音楽家に渡せるか!」と言われたら実音にできない、と云うことはもうありません。

表現とは何か、改めて問われていると思います。

 

ぜひご自身の考え方で、ご自身の音楽を探究し、作ってください。

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