音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

<コラム>制作のタブーを考える〜「これでいいや」の制作心理

「これでいいや」をどう感じるか

不定調性論は個人の意思が大切になりますから、どうしてもこの最大のタブーについても制作する人に一度は考えていただくことになると思います。

 

あなたが生きていて、仕事をしていて、何かを作り上げている時、

例えば「締め切り」に追われる、と言うのは「逃げ」ですよね。本来死ぬまで一つのものを追求し完成しないかもしれないけど自分ができるギリギリまでやって死ぬのが本来の姿であるとすると、全ての芸術活動は表面的に真理をなぞっているだけに過ぎません。じゃあ、締め切りまでどう過ごせばそれは納得できるのでしょう。

締め切りまでずっと寝ないわけにいかないし、食事を取らないわけにもいきません。

でもその"休憩"時間は「制作をしていない」わけです。サボっている、と言われても仕方がありません。「いや、寝ている時に脳はちゃんと明日何をすべきか整理している」と言えばそれは「トーク」です。事実かもしれませんがトークです。相手や自分を説得するためのトークなんです。しかも自覚症状はほとんどありません。

締め切りまで本当に300%の自分の実力をあなたは毎曲毎曲発揮していますか?

どこかでいらない休憩していませんか?無駄にご褒美とかって行って美味しいものを食べていませんか?それが制作の活力になる、とかなんとか行ってお酒を飲んでいませんか?予算が限られている、と言ってスタジオの時間を区切っていませんか?

制作者なら、一生死ぬまで机にかじりついて制作すべきだ。そしてベストを尽くし、それ以上できない限界のギリギリまで行って、作り終わったら二週間は起き上がれないぐらいにまでなっていないと、それは本当に死力を尽くしたとは言えない作品だから、ゴミである。

 

などと言われたら、あなたはどう考えますか?

 

制作者が背負う十字架です。

 

一生懸命曲を作って、DTMでアレンジしてミックスして仕上げている時、どこかで「これ最高!!」「きた!これで間違いない!」「ここまでできたら完成だ!」「これでバッチリだ!!」「これでよし!!」と思う瞬間があると思います。

経験を積めば積むほど、この自分の敷居も上がっていきますよね。

自分よりもっと敷居を上げている人もいるだろうし、一年前の自分の敷居よりも今の自分の敷居は上がっているだろうし。でも毎回「これでよし!!」って思っているわけで。それはいわば未熟ゆえに自分を納期に合わせて自分を騙している掛け声なわけです。「これでよし!」と思った時すぐに「いや、こんなんじゃ全然ダメだ」と言ってみてください。嫌になります笑。言葉にはいろんな効果があり、メンタルをどのように整えて、呼吸をどのように整えて制作作業に当たるか、って商業作業ではとても大切だと思います。

 

人は自分に甘い。自分で「これでよし!」なんて思う奴はダメだ。

なんて言われながらも、納期があるのだから、と言い訳をしてしまう。それについて議論されることはありません。

「納期、予算がある、と言って、お前たちは全員死なない程度に曲を作っている真似事をしている」

なんて議論は現実的ではありません。「自分に厳しく」って言うんだったら、「これでよし!」なんて死んでから思うべきことだろ、いや仏になったら、そう言うことも超越しなければならないから「良い」なんてことを思った瞬間お前は地獄に落ちる、、

そんなこと言われたら、どうしましょ。。

 

言い訳しなくても心のどこかで潜在的に"よし"としてしまう。周囲もそんな感じだし、自分よりもゆるい人がいるし、などと自分を説得しながら「見たいもの」を見てしまう。「これだけやったのだから」「いつもよりやったから」「今回これに挑戦したから」「このジャンルは苦手だけどよくやった」これらの言葉が表面的には出てこないまま「よし!」と言う感情だけが湧いてくるのでタチが悪いです。

 

自分が「これでいいや」って思うタイミングがあると思います。

その瞬間、ギアが落ち、目的地が近いので余裕を持って安全にそこにたどり着こうとします。燃料が残り少なくてもたどり着ける量なら気にしません。多少綻びがあっても、ゴールまで持てば気にしません。これが完成すれば良い、と思ってしまう。

色々肯定的に諦めている

と、表現することもできるでしょう。

 

例えばEQがこういうカーブになったから、WAVデータの隙間が大体このくらいになったから、このくらい聞いたから、10の環境で全て聞いて、三日費やしたから

"もう間違いない"

と言い聞かせているわけです。その確認作業そのものが、自分を説得させるためだけの行動になっていて、表現物の制作であることが、すなわち終わるために進める作業になっていくとき、すでに「これでいいや」が発動していますよね。

 

では、そういうとき、どう考えればいいのでしょう。

納期のある制作物は、商品であり、ある一定の水準に達していればそれによって提供できるサービスが決まっているので、全ての機器は、「ある一定水準のものを作り上げて終わるように」作られていて日々改良されいると言えます。

 

打ち込み作業で一つ一つの音を聴きながら打ちこめても、一切ミックスした音を聞くことのできないDAWがあったら。

制作は進みませんが、学校で教わるような道徳心や、人間としての向上心は磨かれるかもしれません。人生を達観できるかもしれません。社会が掲げる究極の人生の目的はそれなのに、なぜそれをさせないような安易な機器を使って、締め切りがあるような世俗的なものを作り続けさせるのか。

幸福を追求し、より進化した精神を持ち、人の精神性の進化に貢献するのが社会の個人に対する究極の要望なのに、それを叶えさせようとする機会はほとんどありません。

それを本気でやろうとすると、今度はカルト、というビジネスが待っています。死ぬ気でそれをやろうと思えば、南極や北極にでも行くしかありません。

それは究極の地球人の目標なのに、ほとんどの人がそれをやろうとは思いません。

 

なぜでしょう。

理念としてはいつも遠大な目標を国民に掲げているのに、それを追求させる仕組みにはなっていません。

 

そこは実は"壮大な なーなー"になっている、と言うことに気がつくことが「社会人になる」と言うことであるわけです。死んだら終わりだし、楽しくなければ死んでしまうし、楽をしなければ、欲望を追求しなければ、人間ではありません。

自分は3万円が払えなくてクズ呼ばわりされているのに、何千億の借金をチャラにしている企業がある。そう、お金そのものも"なーなー"で動いてるんです。だから「どうやって稼ぐか」を考えている人のところにしかお金は入ってきません。真面目に働いてもお金は入ってこないんです。なぜなら「こっちに回してくれ!」って上手に叫んでいる人のところに行くためのサービスが「お金」だからです。自由に富を国家が扱えるようにするために作ったのが「お金」です。だから真面目な人に入ってくるものであろうはずはありません。そのように見せかけているだけです。株式投資を勉強しましょう。価値観が変わるはずです。60分で3万円利益が出る。これって真面目に働いて入るからではありません。利益が欲しい、と思って行動したからいただけるものなんです。高校の時に株式投資を真剣に教えるべきです。専門技術がない人は投資で稼ぐ、というスキルを選択肢として与えられる権利があります。

 

どうでしょう。

そうなると、一つ見えてくるものがあります。

偉大なあの人も、あんだけ有名なあの人も、結構ズルしてるかもしれません。上手いことやって稼ぎができているのかもしれません。全ての賞は出来レースかもしれません。全ての勝負事は出来レースかもしれません。そうでなかったとしてもどれだけ潜在的な商業欲求が入り込んでいるか見当もつきません。あなたが無能なのではありません。彼らの根性がたくましいだけです。そういう点を見習いましょう。

 

散々偉そうなことを言ってるあの人も、すごいポストにあるあの人も、結構抜けてるかもしれません。できないことがあるかもしれません。苦手なことがあるかもしれません。作業Aについては日本一だけど、作業Aを作り出す作業Bについて全く無知かもしれません。それを得意なことで補うことで、アマチュア以下の作品を世紀の傑作に仕立て上げているかもしれません。

 

DAWの解説書を出版している人は、実はそのDAWを使ったこともない、なんて話を聞いたことがあります。

 

価値は、人々のニーズに反応して跳ね上がります。

「あれ、いいよなぁ」って誰かが思った瞬間、俺も俺も!と言う人が賛同してくれます。それまでは「本当にあれ、いいのかなぁ。。」が続きます。価値観は多様化しています。自分が価値があると信じたものを勇気を持って発信すれば、価値が増え、お金が回って行きます。世界の1%の人が99%の人の富を独占しているのですから、まだまだ今の1億倍ぐらい価値の多様化が進んでもいいぐらいです。国家の洗脳教育に知らず知らずに踊らされ、価値を国家側に有利なところに集中させてしまっています。国が悪いわけではありません、頭の良い人が潜在的に自分を守ろうとした結果です。彼らの効率的作業によって先を越されている、と言うだけです。

 

自分の感性を磨くしかありません。

音楽の場合はたくさん作る、演奏する、発信する、しかありません。それにより「自分を知る」ことで自分ありの稼ぎ方=自分の世間的価値がどこか、がわかります。

ただ集中できる時間的な制約、限界があるので、一つ一つの作業の効率化を目指し、集中していられる、つまり「これでいいや」って思ってしまうまでの期間に、より最高なものを目指して、かつ人生の幸福も合わせて追求できれば、通常の人生を楽しめる、わけです。

私も最初は1曲を三週間かけていました。今は三日で同じものができます。今度はこれを二日と23時間45分でできるように工夫あるのみです。前の99.9%の時間でできるようにしよう、みたいに考えています。

 

潜在意識が「これでよし」と思うまでの過程、きっかけ、感情、個人差があると思います。それをいち早く知ることで、その精度を上げる術もわかるはずです。

「ああ、今、自分、"これでいいかな"、って思っちゃった」

のタイミングを自覚してみましょう。そして次はその先を目指しましょう。

 

じゃあ、今の仕事は次回より不完全なのか、と言うと、そうではありません。

 

あなたが「よし」と思ったのですから、現状はそれがあなたのリミットなのです。

あなたに求められているリミットを出し切ったことを潜在意識が教えてくれてるわけです。だからその瞬間「もう10分頑張ってもう一つフレーズを試して、次につなげよう!」って思えば良いと思います。次はもっと短い時間でもっと少ない選択肢でいい作品ができます(って、これも結局妥協させる説得かもしれないですよ)。

不定調性論で、感性を鍛えて自分が納得いくいい作品を!と言うのも、人間のとてつもない大きな敵である「自己」に対する向上心を磨き上げるためです。で、実際の仕事で次の作品でより良い成果を出すために、普段から制作して、勉強して腕を上げていけば良いわけです。

私もオーディオストックとか、コンペとかに参加して、日々トライしてます。何もないと曲が作れない怠惰な性格だからです。

一曲うまくいかないと、数日後になぜかやる気がなくなってしまい、できそうにない、なんて気分がやってきます。サイクルがわかってきたので、これは体内のホルモンか伝達物質がもたらしているものだろう、と考え、考えを切り替えてやるべきことをどんどん先にやってしまいます。制作だけは特殊な状態にならないと作れません。「凄い前向きな集中状態」です。

だから制作のない日はジングル一つだけでも作って、または明日作るプロジェクトだけでも保存して何かmidiデータを並べて終わりにしようと思います。「これでいいや」がこれだけ心に影響を及ぼすなら、「もっと上に行きたい」と言う思いも何らかの効果を行動に発動してくれるはずです。

 

ま、こんなもんでいいや、と、舐めてかかることだけは思わないようにして、才能がないなりに、向上しようと思って、締め切りまでの時間を、前回よりも有意義に使いたい、使っているつもりだ、みたいにして「制作している時の心の動き」を考えています。またその葛藤を実体経験して教える場で活用したいです。

 

そうして「これが最高だ!!」って思う自分の感性をどんどん磨いていきたいな、と思っています。

 

自己が想うことと向き合うのは、結構スキルアップに繋がると思いますので、是非是非。スポーツや武道の精神にも似てますね。。やはり己が一番、厄介ですね。

他人を批判したりするのも結局最後の最後のところで己との戦いを避けているがゆえに狡猾な「自己」が他人のアラを見せて、自己との戦いを巧みに避けさせているのだと思います。

本当に周囲がボンクラであなたが凄いがゆえにそれを嘆くなら、10人分ぐらい稼いであげて、ボンクラな人たちを育成して教育してあげれば良い。そうすればあなたは十倍儲かるわけだし。社会貢献もできますよ。その「より良い状況」を自分で作ろうとしないのはなぜ?

 

それができないなら、相手が締め切りまでに何をしてほしいかを明確に伝え、必要であれば改善させ、共に締め切りまでの時間を前回よりも有意義に作る。

それで「これで完成にしよう!」と思うタイミングを前回よりも向上させ、互いをたたえ、次も有意義な仕事ができるよう反省し、謙虚に邁進する。

という感じになりたい、と願って日々仕事をしたい。

 

ここにおいてこれら全てが「都合の良い諦め」であることが自覚できれば(「その完成」は「完璧」ではない)、所詮自分が可愛くて「完成」だと思い込もうとしていることを認め、さらに謙虚になり、自分と協力してくれる人と共に静かに向上しようと生きていくしか人生は有意義にならないのではないのかな。

どうやって慢心しないように人はできるのだろう、、。