音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

音楽理論と制作方法を合致させるために★★★★

新ブログに移り、不定調性論もいよいよ実際の制作とがっつりリンクさせているわけですが(それで最近暇さえあれば、実際制作して、あーなった、こうなった、と言っているわけです。20年かかりました⇦掛かりすぎ)、この辺で簡単に整理してみます。

 

作曲をするには自己論を作る

まあ、その方がいいです。もちろん学校で教えられた期間もあるでしょうが、もし今あなたが作曲しているのなら、その方法はきっとあなただけの技が多数含まれているはずです。「これは、私のやり方なんですが、、」って遠慮がちに話に入る場合がありますよね、でもほとんど事実です。"果たして、これ。他の人の参考になるんかな"と思っているはずです。

 

 

 なりません....。

 

 

だから解説頂くときに、自分はこういうタイプの人間だから、こういう発想をして色々試していたら、こういう方法にたどり着いた、という考え方の過程などを示せれば、そういう話というのはとても参考になるかと思います。要は、自分の方法を自分で発見させる方法を教えるわけです。

これは普通のスクールでしたらマンツーマンがいいです。よほど優れた弁舌家でない限り、多人数を納得させる方法を全員と共有するのは難しいです。不自然です。同じ生き方を強要するようなものですから。

 

ミックス・アレンジするのも自己論

音楽制作のあらゆることに自分のやり方が反映できる時代です。作曲と同様に、自分はこういう人間だから、こういうやり方をしていて、ある日、こういうタイミングで、こういうことに気がつきました、それで続けていたら、この方法をやるようになったんです、などと教えていただくのが若い方には参考になります。このソフトはこう使え、この楽器はこういういうふうに使え!と簡略化してしまうのは洗脳です。そういう主義ややり方で伸びる組織もありますが、私はそれをやりません。その代り一緒に方法を見つける、という仕事のやり方をしています。これも好みによる自己論ですね。あなたに時間がなければ、代わりにあなたの方法を探して、提案します。面白い仕事です。相手の役に立って、本人は先生が仕事してくれて夢が叶う、って言う皆が得する仕組みです。

 

いろんなやり方を提供している人を20人ほどYouTubeで見れば、自己論の発見もより容易でしょう。

そう、効率的な人には学校なんていらないんです。学校はパソコンができる前にできた仕組みです。最初からパソコンがあったら、学校作る意義はもっと変わっていったでしょう。週3登校とかね。

 

 

じゃぁ不定調性論はどうしてできたの?

和音の流れに人が惹かれるのは、機能ではない何かが存在するのではないか、と思ったからです。

あれ、これってひょっとして「自分の意思」がこの「音楽への思い」を作ってるんじゃないか、って気がついて、じゃあ、自分を真ん中において音楽感じていったらどうなるか、を一生考えていけば、会ったこともない200年前の人の意見を勉強するよりも、自分が感じる疑問、未熟さを補おうと勉強していくほうが、学習したいことの意義をもって発見できるのではないか、と考えます。

 

自分で最初に作ったコード進行って、感動するでしょ?理論知らないのにできた!!みたいな。

で、二曲めってもっとそれっぽいのを探すじゃないですか、前と同じのじゃ満足できません。人には追求する欲望がありますからね。そうやっていくうちにジャズ理論の壁にぶち当たり、「ああ、ここだけはパーカーを勉強せねばならんのか(パーカーはジャズ理論ではありません。パーカーからモダンジャズ理論が生まれたと考えるべきでしょう)」と思って自分を鍛えるべくパーカーを勉強したり、あ、これからはEDMなのか、ってことはDAWを一からやらなくちゃ置いていかれる、となってお金を貯めて勉強する。

でもいくら勉強しても作らないとわからないことが多数出てきます。

つまり自分がどのように作っていく人間なのかを知らないと、自分の「調子」を最大限に活用する方法が見えてこないんですよね。理論書に、あなたの脳の有効活用の方法については書いていないからです。

そこでひたすら作ります。ひたすら、ひたすら。その過程で自分がわかってきます。

コツも。自分の使い方を掴むんです。

 

最初は140kmのボールを打ち返す作業

野球はバッティングセンターでは学べませんが、 打てないバッターはやはり野球では活躍できません。キャッチボールは相手が必要ですので時間的な制約があります。より制約が少ないのがバッティングです。バッティングセンターでひたすら速い球、変化球、コース球を全球ホームランにするつもりで打ちます。そして夜は素振り。私もイマココかもしれません。今更ですが。

そしてただ作っても仕方がないので、オーディオストックやYoutubeなどの場で発信する機会を設けます。これにより色々なデータも集まってきます。

データ時代です。データによって見える法則があるんです。勘で動いてはいけません。

 

球速160kmになると、わかってても打てない

頭では最短距離でバット振る理論は確立されていきます。でもフィジカルが鍛えられていなければ、脳の命令に筋肉が順応しません。作曲でいうと、ひたする作る段階がないとわかってても作れません(←ワタシだろ笑)。

慣れてくると1コーラスできたところで「ああ、この程度かぁ」というのしかできない状態がやってきます。才能の門を叩いても引いても開かない段階ですね。

大事なのはこの段階である、と思っています。

どうやって作り続けるモチベーションを保ち、何に向かってどれを作っていくか、という計画をしっかり作りながら、データに基づいて動き、結果を出す、という流れを求めていきたいものです。

つまり「自分が売れる理論」を作らないといけません。

この時、音楽理論そのものは作業を早めるためのツールになっていて、「売れるものを作る方法論」にはなってくれません。

 

そこで不定調性論的な発想が必要になってきます。

"曲の後半には安心しゃちって、みんなおんなじになっちゃうよなぁ、

"ああ、自分て夜作曲するとダメなんだ、

"なんかドラムから作ったらいい感じの構成できるかも、

"コーヒー片手にベランダで作ると自分いいみたい。

など、理論書には絶対に書かれていない「あなたにとって最も自然に作曲に集中できる方法」を探る段階があります。私の場合は、朝から十五時までに全部作るといいみたい、です。午後から始めるとできないです。朝からやれば間に仕事が挟まっても夜中まで制作を継続できます。不思議ですよね。

こういうやり方を見つけていくためには、書かれた理論にとらわれるのではなく、普段から、どういうふうに自分が感じているか、を素直に認める柔軟な体制が必要だと思います。これを音楽的なクオリア、と言ってるわけです。これが自然に認められれば、あ、今日はカレー食べたい、とか自然と認められますから。

それまでは義務教育的な発想しかありませんから、これこれをやらなければこれやっちゃダメ、みたいになり、達成感が無くなります。

自分はどうやったらできるか、何かいい方法はないか、こういう風にやってみたらいいのではないか、みたいに素直に、自分の幸福のために考えられるかどうか、です。

 

不定調性論では、最初の段階から、機能和声論が作る世界に自分の意思を当て込みます。好き、これは嫌い、それはなぜ?みたいなことに真剣に向き合うんです。

怖いのは、世間の人99%が認めている方法を自分だけが認められない、なんて状況が起きるからです。でも大丈夫、わたしもそう。きっと私の友人もそう、実はみんなそこを恐れているんです。

でも本当はみんな違うんです。そしてみんな違っているという状況において平等なんだと思います。そして。だからこそ違う曲ができるんです。

全て自己責任で自分で考え、自分の発想力、感性の力を研ぎ澄ませていきます。

私のキッズ受講生の皆さんには、子供だろうが障がいがあろうが自分で考えること、感じたことを述べること、を大切にしています。車椅子でギターを習いに来た子がいます。指関節が動きづらいのでバレーコードは押さえられません。でも続けたい、というので指一本でメロディを弾くようにします。そこから先は工夫あるのみです。達成感が必要です。達成させるんです。それしか道が見える方法はありません。その方法もまたさまざまです。私たちは24時間あなただけのことを考えることができません。それができるのはあなただけです。考えるんです。自分で。

 

作曲は数を作ることでどんどん見えてきますからオススメです。

それでも今DTMを通して作る作曲はやはり全然違います。

機械のことを気にしながら作りますから、アイディアがどっかに行ってしまうんです(それは年齢のせいか笑)。また一から勉強のやり直しです。

得意で向いたことでもない限り辛い時とかとても続けることはできません。だから最初からそこをターゲットに見据えて教育を受け、勉強をし、考えていかないと現代日本ではすぐ30歳にさせられて「自己責任」にさせられ、身動きできなくなります。動けないものは排除され、動けるものに都合のいい社会になっている、ということに早く気が付いて考え方を180度変えましょう。あなただってあなたなりの幸せを掴んで良いんです。それを社会が認めなくても実は「法」が守ってくれます。あなたは守られているんです。あなたを守ってくれないのはその社会を構成している「人」です。だから人間関係の本が売れるんです。

国家社会での生活とあなたの人生は別物、だと思います。

 

音楽理論と制作方法を合致させるために

音楽を鑑賞したい人、分析したい人、研究したい人、は理論だけでも十分なのですが、演奏したい人、制作したい人、創作したい人は厳しいフィジカルトレーニングと自己探求が必要です。描いたものを実現するスキルを同時に磨くわけです。理論だけというのは、F1のゲームだけで満足しているようなものです。それに満足したら実際コースに出るかどうか、どこかで決めなければなりません。

私も、方法論さえあればまずはいいや、それ作って人生終わるだろう、と思って10年ぐらい制作をサボってしまいました。

作ってみてわかりました。自分一人先に方法論ができても、これから作らなければいけない人が沢山いて、その先導をしなければならない、と感じるようになりました。サボった10年は甘えであったとしか言えません。

こんな間違いを犯さないように、勉強をしたら、それを「一般論の引き出し」にさっさと押し込んで、すぐに学んだこと周辺の技術を用いてどんどん練習、創作をしていっていただきたいです。作りながら学びましょう。覚えることもたくさんあります。

そしてちゃんと自分の生活を成り立たせるようにしっかり静かに稼ぎましょう。

 

1曲作れば人生の問題も1つ解決されます。

日々「満足」をあなたは感じようと自分に求めていいんです。人は関係ありません。あなただけの満足のために苦しむ、というのは実は最高だったりする、ということを意外と人は教えてくれませんね。