音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

ホメオスタシスとドミナントモーション★★★★

なんか、難しい言葉並べただけになっちゃった感。

恒常性 - Wikipedia

 

ドミナントモーションには、ホメオスタシスの感覚とどの程度関連があって、どの程度体の全器官からの影響があるのでしょう。

人の体の器官は無意識には安全な生命維持を常に試みるために、様々なまだ未解明の反応や性能をフルに使っているわけですよね。

 

そういうことを考えると

 

I(通常時)-V7(緊迫時)-I(通常時)

 

みたいに思える時があるわけですよ。

!!あ、こりゃいかん、通常時に戻らなくっちゃ!!!

 

とかって体が擬似的に反応している感覚をどの程度か用いているのかなぁ、とか。それについての理科の割合がどの程度含まれているかわかったら、別の「進行感についての新たな定義」ができるんじゃないかな。みたいな。

I-VIIb-Iはちょっと熱が出たぐらいからの回復感と類似、だけどI-V7-Iはインフルエンザ並みの高熱!からの復活だから快感すごい!みたいなのか、とか。

人はホメオスタシスと音楽は分離してるか、って証明できないしなぁ。

 

その反応が体内であるなら、音楽を理解するとき、どの程度の割合で働いているんかなぁ、もし関係ないとしても、関係ないか証明できない限り、ドミナントモーションの根源的な欲求は生命のホメオスタシスから来ているとは言えない、という反論は成り立たないので、他のことがわかっても、プラスこのことについても生物学から勉強しないといけないんじゃないの?それ勉強したら新たな和声学できるんじゃないの!!みたいな途方も無い道のり。

 

みたいに思ってしまうわけです。

それ知らないで、他のことでこの問題を解決させてる、っていうなら、それってちょっと中途半端じゃないの?今は良いけど、あと100年後全く違う理屈が発見されたら今教わってる人は、とりあえずを学んでとりあえずで我慢していることになるんじゃないか、それで良いのか、それって真理に近づくのを怠ろうとしているのではないか、とかって思ってしまったわけです(←杞憂)。

 

そこでV7からIになんで進むか、は「まだわからない」ってしておいて、結果自分の生育環境や、聞いて来た音楽の慣習が積み重なった結果、それを心地いいと思うその情動反応そのものを音楽活動の根拠にしよう、と不定調性論では考えたわけです。

 

興味のある人は、やっぱり先端の脳科学・生物学を勉強するしかないのではないか、と思います。いろんな研究の仕方があっていいと思います。

 

音楽的感覚って、この擬似的な感覚そのものが肥大化したものなのかな、って感じる時もあります。自分の生命は脅かされないけど、それを様々なレベルでシミュレーションしている時間が「音楽制作」「楽器演奏」の時間だ、みたいな。失恋は経験したくないけど、音楽でなんかオブラートに包んだような経験なら、してみたい、潜在意識が怖いもの見たさで欲求する結果の一つも、「音楽で無調の曲を弾く」ことに類似しているのかとか。どうなんだろう。

 

「芸術」っていうから、なんか素晴らしいものみたいに見えちゃいますよね。

okjiten.jp

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芸の根源は、園芸か。自然と共に生きるすべを受け継ぐことで生命を維持していこう、ってことですよね。音楽はそういう意味で、音楽の芸を引き継いでいくことでどのように生きるすべを後世に伝えれば良いのでしょう。音楽というよりも「擬似生命維持行動」の一つの姿が「音楽」って言われるものに現代では落ち着いているのかな。

  

不定調性論では以上のような科学の現状を踏まえて、勝手に脳科学や心理学に答えを出すわけにもいかないので、結果的に「脳というブラックボックス」を通じて生まれてきた感情、情感、印象、心象、動機、模様感、意味感、クオリアを制作のヒントとして、武器として活用することに徹しよう、という方法論になりました。

 

V7はあなたがそう思えばIに解決する、解決しないと思えば、それは解決しないと思える解決、っていう様々な意味を作れる、って考え方で音楽を全部考えていこう、

っていう発想です。「これはこうである」という条件を全部ひっくり返して音楽制作にあたると、とても新鮮ですよ?同じドミナントモーションでも、

I(退屈)-V7(活き活き)-I(満足)

I(満足)-V7(かき乱す)-I(いらだち収まらぬまま相手が逃亡)

 I(無表情)-V7(動きへの無反応ぶり)-I(退屈)

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になったりするんですから、勉強したら、それを頭の中でバラバラにして血となし肉となす必要があります。