音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

ケーデンスという前提~音楽理論のある見地★★★★

すごくピンポイントな和声の話です。退屈な記事かも、ですが、これを知っておかないと、自分の音楽に気づくのに20年かかる方が何割かおられますので(←ワタシです)。

 

このブログは不定調性論の展開、と銘打っているのでこういうことを書いてますが、あまり普段気にする必要はありません。ただ気に留めておいてください。

 

下記、一つ一つ納得がいくかどうか考えてみて下さい。

 

V7→Iは解決するケーデンスである。

これをあなたは認めますか?

 

では、

 

V7→Iが成り立つのはv→iとV7が持つトライトーンがIに解決するためである。

これをあなたは認めますか?

 

では、

 

G7(9,#5)→Cは成り立つ。

これをあなたは認めますか?

つまりG7(9,#5)っていうのは、G7の変化和音ないしテンションの付いた和音であるので、機能は同等である、ということを認めますか?という問いです。

 

では、

 

G7(9,#5)=g,a,b,d#,f→この構成音はF7(9,b5)である。

これはどうでしょう。

構成音を入れ替えただけですね。これが認められない人は、G7(9,#5)というのが必ずgが低音になっていなければならない、という先入観があることになります。 それでもいいですが、ある一定段階以上の音楽を「音楽として認知できない」可能性があります。まあ、ようは好き嫌いが出やすい、という意味です。

別に悪いことではないですよ。むしろ正統的です笑。

 

この「代理」が可能であるとすると、次が成り立つことになってしまいます。

F7(9,b5)→Cは成り立つ。

この問題になると、非常にあいまいになってきます。v→iは構成音内部では行われていますが、低音優先の原理を用いてしまうとこの和音の重力はfになるので内部のG7は解体される、などと考えるのであれば、厄介です笑。

G7(9)/B→Cはどの程度みとめられるのか?とか、

ブルースではIV7はIに行くではないか、とか(それ言う前になぜIV7がIに行くかっていう問題をまず構成音と低音優先の原理から解説しないとね→実はこれは不可能です-内緒笑-)。

 

周辺の問題が生まれ、結果20分も考えると、「ま、なんでもいいや」って話になっているはずです。レッスンだと先生が言葉を濁して次の課題に行くレベルです笑。

不定調性論が突き詰めたのはここです。ここに最大の矛盾があって、ここに「個人の感じ方の差」が存在するからこそ、音楽に差異が生まれ、個性豊かな音楽表現が生まれているのではないか、という考えからです。

 

これはまだいいです。

 

G7(9,#5)=g,a,b,d#,f→この構成音はB7(b5,b13)である。

よってB7(b5,b13)→Cは成り立つ。

 

となります。

 

そして変化和音、付加和音が同等である、と考えるのであれば、

F7(9,b5)≒F7

B7(b5,b13)≒B7である

となり、結果

F7→C、ないしB7→Cは成り立つ、となります。

 

ただしV7がIに解決できた理由を「トライトーンがIに解決するため」という場合は、

この二つを成り立たせないこともできます。それでも

F7(b5)→C

B7(b5)→C

は成り立つことになってしまいます。

あとは低音優先をここに発動させて、たとえばF7(b5)の重力はfに集中するので、この解決は理論的にあり得ない、となります。ではブルースのIV7はなんでI7に戻るの?

って言う話になりますよね。

 

和音というのは人の意思でつなげているだけで、何か自動的につながっているわけではありません。だからこれはそもそも

ある和音がある和音に進行する理由は何か

という見地が問題を難しくしている、という事に気がつくはずです。

 

この話の、いったい何が問題なのでしょうか。

 

 

芸大和声においても、G7(b9)がg音+Bdim7である事も知られていて、Bdim7=Ddim7=Fdim7=G#dim7であることから様々な調に転調できる事が知られています。

G7(b9)=Bb7(b9)=C#7(b9)=E7(b9)

となりますので、

G7(b9)-Bb7(b9)-Ebや
G7(b9)-C#7(b9)-F#(裏コード解決に該当)
G7(b9)-Eb7(b9)-A(平行調の同主長調への転調に該当)

というのができます。ジャズでもおなじみですね。つまり根音を省略した和音は転調に用いられる、という習慣がここに存在します。

これは根音が持つ力を最初に設定しているので、展開されることで和音が吸引される力の行く先が変わる、という発想です。だから「このようにすればスムーズに転調できます」という話です。自由な進行を展開するためのアイディアで、別にケーデンスが絶対だ、なんて芸大和声も言っていませんし、島岡先生もそもそもそのような絶対的な「こうでなければならない」なんて仰る先生ではありません。とても柔和で柔軟、部屋中本だらけレコードだらけって言う、豊かな先生です。だから理論そのものが何かを規定しているのではなく、結果それを読み解いたあなたの解釈が「こうでなければならない」と思い込んでいるだけなわけです。これは怖いことであり、また魅力的なことでもあります。信念を形作っている正体は、自分の確信だ、というわけです。

 

=====

初期学習者が、F7(9,b5)なんて和音を覚える前にV7→Iが成り立つからね!これテストに出るよ!!って覚えさせられる、という点はたしかに問題です。まだ何も知らない状態の学生に

まるで良い学校に入れば、良い就職ができるからね!!

と無条件に叩き込むようなものです。その路線で生きる人はいいですが、それでは生きられないタイプの人が何割かいるんです。そういう人たちが何とか自分のスキルを活かして、中学時代から、Youtubeで稼ぐことはできないのか?と説くのが不定調性論の発想です。

 

つまり、この記事の最初の前提、

V7→Iは解決するケーデンスである、の絶対性を認めないことで生まれる方法論を設置しておこう、というポリシーです。

そうした場合の方法論は皆独自論になります。不定調性論もその一つですが、このように名前を付けて、一つの港町を作ることで、認知いただき、音楽の考え方を一新していく未来の人たちが立ち寄る波止場にしているわけです

荒くれ者が集まる港町の酒場です笑。

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V7-Iというのは「伝統音楽が私たちに刷り込んだ感覚にすぎない」とします。この進行れを聞けば自動的に「解決感」という印象を覚えるように刷り込まれています。その結果、

G7(9,#5)→Cは成り立つ。

とできるのも、その応用を少しずつ認められるよう耳や感覚を鍛えていくからです。最初から機能和声のマラソンランナーになる筋肉だけを鍛えさせられるわけです。中には相撲に向いている人、弓道に向いている人がいるのに、いきなり全員「これから3年間はひたすら走ってもらいます」と位置付けられます。

音大に入った人でも、ちょっと違う完成の持ち主がいると思います。でも彼らが自分の感性に合った先生に出逢えるか、教えに出逢えるかは分かりません。だから音大に行く前に不定調性的な発想を知ってもらい、その予備知識を持ったうえで、自分の感覚を理解してくれる先生を探す、という目的で音大に行っていただければ、キャンパス内で出会えなかったとしても必ず目的は実現されるでしょう。

先に目的の風景を写真のように心に焼き付けてしまえば、過程はどうあれ、それは必ず実現します。

 

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わたくしども先生は、どうしても伝統と異端のはざまで常にその人にとって最良のアドバイスはどこか、を考えています。そのためには既存論だけでは物足りなく、行き当たりばったりのひねった独自論では一貫性に欠けます。ゆえに「一貫性のある一つのモデルを誰かが作れば、とりあえずそこを起点に各自が独自論を展開し、彼らの元に通う学生が一人で目的を達成されれる人生を歩めればそれでいいじゃないか」という哲学です。

F7(b5)→CもB7(b5)→Cもサブドミナントマイナーケーデンスの一種だ

という人もおられるでしょう。

ではそもそも「サブドミナントマイナーケーデンス」って何だよ、って話です。これも結局V7-Iが解決する、という前提に立っていますから、

「自由に生きろ!」って言ってるのに「でも良い学校に行くのが大前提だ!」と言っているようなものです。

批判はしませんが、自分が囚われていることにどの程度理解を示せるか、です。

これは私もおなじです。ルールを解放したら、ヒット曲が書けるの?と言われると、それは否定します。

ルールの解放がヒット曲を生むのではなく、その人が元来持っている考え方に基づいてルールをいったん解体し、組み替えることで、彼は自在に自分の音楽を行い、結果としてモチベーションが上がり、彼自身の音楽が認められる可能性が高く、自身の哲学で作られた表現物を他者に認知してもらうのは、何よりの勲章なので、その後の活動が活発になりやすく、結果としてヒット曲として認知されるような活動が可能になる確率が上がるのではないか、という見地です。この辺は一人一人違うので、「今日はV7-Iだけ覚えておけばいいよ」っていう60分教育とは違い手間のかかる話ではあります。

 

これは自分にもいつも言い聞かせているのですが、自分が信じている教科書をもう一度読んでみましょう。

不定調性論がおかしい、というのは自分が一番疑っていますが、これは自分の考えを疑う、ということなので、毎日はできませんが、月に1回ぐらいはしていきたいですね。。随時ブログはリライトしています。。数年経つと全く違う発想に気がつきますね。