音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

オルタードサウンドの展開から不定調性論の感覚へ★★★★★

オルタードのサウンドってありますね。

Dm7--G7(b9,b13)--CM7

のようなテンションサウンドが引き起こすスリリングな印象を持たせる和音の流れです。あんまり作曲とは関係ない話ですが。

「何これ」感がすごい表現文化だと思いません?

カレー食べられればそれでいいのに、なんでリンゴ擦ったり、にんにく入れたり、ヨーグルト入れたりしてんの?って話ですよ。

そう、より美味しくするためですよね。

 

   

 

Dm7--G7(#9,#11)--CM7
Dm7--G7(b9,#11,13)--CM7
Dm7--G7(#9,b13)--CM7
などなどいろいろできますよね。

でもあまり激しくすると、被災地の臨時のカレーなのに、ヨーグルトが入ってないから食えない!!なんて言いだすのと同じ状態になるので、この辺が難しいところ。

フォークソングのような、無駄を削ぎ落として生まれる歌と歌詞の魅力を伝えるような時に、こうしたテンションサウンドでゴージャスな感じを使っちゃうと、その音楽の雰囲気は、まるで、毎日1億稼いでるのに、今貧乏なんです〜みたいな歌を歌って説得力を与えようとしているような違和感を与えます(語弊があります、イメージです)。

そのサウンドや、その感じ、演奏してしまう人の意図を、言葉にならないレベルの感覚で聞き手が感じてしまう、という意味です。

 

音楽の知識面について何も知らなくても、「感情」だけは全員持っています。そして音楽を聴いて感じるのは「ああ、テンションサウンドだ、#9thだなぁ」っていうことではなくて「(あ、違和感)」「(あ 最高)」というだけです。

ゆえに不定調性的な感覚感、つまり、それが曲に、自分に、今に、合っているのか、それを自分が本当に表現したいと思っているのかを「感じ取れる」ことが大事かな、みたいな。

そしてこの「感情」「意識」は、未だに謎の科学です。

 

実際その悪い例?として、こういうブログを書いていると、「あ、これニーズないな」みたいなことは書いてる本人が一番感じてます笑。

でも不思議なことに、「書きたい」んです。

 

ニーズがないことを書いて時間を使うのは、徒労ですし、業務の上では犯罪に近いものがあります。

でも「書いておきたい」って思う自分は、社会不適合者なのでしょうか。周囲が陰口を言う通りに小さくまとまって死ぬまで弱者として生きるべきなのでしょうか。

じゃ、社会ってそんなに適合者ばかりなのか、というとまた違います。

 

いわゆる社会に適合した感覚を有している人が発するポジショントークは誰もグーの音も出ません。しかし全員がそれをできるわけではなく、弱者がいて、遠慮する者がいて、間違いを犯す者がいて、騙す者もいます。実社会の現状です。

だからまず、自分は自分であることを認識し、その性癖や嗜好、願望が社会に対してどうずれているかを認知しながらも堂々と活動できる方法論がどんな状況においてもある必要性を感じます。

目が見えないなら、見えないなりの方法論に向けて邁進できる社会のシステムです。

どんなに見ようとしても叶わない場合もあるからです。

 

その真逆からの思考が不定調性的な発想ではないかな、と信じているわけですね。

「そう表現したい」なら「それをよし」としてくれる学習形態がある、ことで、あとはディスカッション、選択、決断、邁進です。

「君はここが悪いから、それが治るまではダメだ」みたいなことを適用しなくて済む状況なら、適用しないで邁進してもらえるような精神状況を作ってあげる、と言うことです。

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このオルタードが展開できたこと

例えば、G7(#9,b13)は、g,b,d,f,b♭,e♭

という構成音で、ここにはB♭△が含まれます。この事実からアッパーストラクチャートライアド(UST)、という概念を確立し、

Dm7--B♭△/G--CM7

という斬新なテンションサウンド発展形が生まれます。

 

そしてコルトレーンの和音展開のような、

Dm7 |G△ Bb△ |CM7 |

といったチェンジも出てきます。

 

このときのB♭△の解釈が「G7のオルタードサウンドからの独立」と解釈できたことから、機能和声は再崇拝されるわけです。

 

「おお、この考え方なら様々なテンションを多重解釈で用いることができる」

となるわけです。

 

不定調性はそこからの脱却を計りました。

メジャーコードだけの連鎖は、その背景にUSTなどの根拠を有する必要はない、と言うものです。でもそのためにはなんでそれが可能か、ということを一から作らなければなりませんでした。

「和音はなんで連なるのか」

みたいなところからです。

 

その結果、アッパーストラクチャーのような解釈で考えられる方法論と、単純にメジャーコードだけ連鎖させる方法論を一つの思考法から考えられるようにすること、の思考間のギャップをつなげてしまう、と言う作業です。

 

Dm7 |G△ Ab△ Bb△ B△|CM7 |

 

みたいにしたら、途端に別の理論解釈を用いて、なんとか解釈しようとする、と言うことをしない、と言う意味です。この進行に理論的な正当性があるかないかではなく、まず演奏者がそれをした根拠(意識的、無意識的に関わらず、結果公の場でそれが発せられた事実)、それを聞き手がどう感じたか、それらをすべてひっくるめて起きてしまった事実を「音楽表現」と感じることができる方法論を作った、と言えばいいでしょうか。

そんなことに根拠はいらないんじゃないか、と言う意見もございましょうが、そうすると、学校では、教えられなくなるんです。杓子定規な基礎的な方法論しか。学校で基礎が大事とどんなに叩き込んでも、それを時間するのはだいぶ経ってからです。その意欲旺盛な時期に何を同時に身につけて欲しいか、って言うと「自分はどういう人間で、どんな好みがあって、どうしたいのか」をちゃんと考えることを恥じない人になってもらうスキルです。

G△ Ab△ Bb△ B△は不定調性論では、「同一和声単位連鎖」、です。それだけ。

あとは苦悶の表情で弾けば、苦しみになるし、笑顔で弾けば「スリリング」になります。だからそう言う感じを弾き手本人が抱いているかどうか、だけが大事になります。

 

   

結果としてメジャーコードを短三度で並べると、アッパーストラクチャーに起因した和声と解釈することも可能ですし、そういう理解をしなくても「カッコイイものはカッコイイ」と言う理解もOKになります。機能和声的な理論的解釈と不定調性論的な感情による理解の並立です。便利だと思います。色々。まだ無名なので悪用や批判はさほどされませんが、こういう乗って、めっちゃ叩かれる要素が満載なので笑、甘んじて受けようと思います。批判されることは苦手ですが、仕方がありません。その先に大事なことを見つける人がいるはずだ、っていう信念があれば。

 

「カッコイイものはカッコイイ」と思うのは、あなた本人です。他人が威圧的に「これが正しい解釈だ」とすごい理屈を並べて言葉の暴力で殴ってきても、あなたのは従う権利はない、という天地の自在性が最初からその場にある、と明言しちゃう、という意味です。

でもそうなると、もう頼れるものも、誰かとつるむこともできません。

あなたが信じることを誰の賛同もなくても続けていくしかないからです。

 

昭和の時代に「風船おじさん」と呼ばれた人がいました。

大量の風船に乗って、海を渡ろうとした人です。すごく地域の人や家族友人に迷惑をかけながら結局行方不明となりました。信念に殉ずる、人の忠言を聞かない、という人の末路を見たような気がしました。

それは不定調性論的な発想とどう違うのか、時々考えます。

 

これを自分がやっていることで、多数のストレスを感じる人が迷惑を被っているなら、やり方を進化させるためにもっともっと考えよう、とか思います笑。

歴史に学ぶっていうのは、無知なりに大事かな、と。

それは覚悟して社会の中で発信しています。そのぶんただ結果を批判する人より、必死ですよね。

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「同一和声単位連鎖」が方法論的に満たされると、単純にメジャーコードを並べて作る思考方法もOKになります。

C△ |D△ |F△ |Ab△ |

ビートルズ的な展開ですね。もちろん

Cm7 |Dm7 |Fm7 |Abm7 |

 でもいいですね。S.Wonder的です。

C7sus4M7 |Dsus4M7 |

    Fsus4M7 |Absus4M7 |

でもいいわけです。フュージョンですね。

 

いきなりC7sus4M7 |Dsus4M7 |Fsus4M7 |Absus4M7 を見せられると、機能和声しかなければ、非機能的なんか本人には考えがあるんだろう、的な理解がされるだけで「特殊」「別物」「アウトサイダー」という扱いでしょう。

でも音楽にも「アウトサイドするスリリングな演奏法」をスタイルとして確立した人がいます。アラン・ホールズワースなどです。今回のお題のテンションも同じですね。調から外れた感じがなんとも言葉で言えない印象を与えてくれうと思います。人によっては快感の部類に入りますよね。

 

「非機能的な進行」って何なんだ?

を考えてみてください(あ、先生陣だけでいいです笑)。

その正体や根源、最後は「自分自身がそう感じてるだけ」に行き着きます。

機能的なものも非機能的なものもなーんにも関係ないとしたら、最後は自分の意思だけしか残りません。次に昼飯を食うか、それとも一曲アレンジしちゃうか。

そこに理論などがないのと同じです。自分は早くアレンジを送ってあげて喜んで欲しいから、昼食食べながらアレンジします。午後はレッスンもあります。

自分がへとへとにならないためにもセオリーにこだわらず「工夫」して結果を出し続けていきたいものです。最後に万一失敗しても後悔しないと信じています!

それは失敗じゃないですからね。