音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

ユーミンの四点カメラによる作詞技法;かんらん車~ユーミン歌詞・コード考19

ユーミンの不定調性コード進行研究

ユーミン歌詞・コード考 / アルバム「流線形'80」3

 

 

各種レポートはM-Bankにお問い合わせいただければPDF似て無償で配布しております。宜しくお願い致します(日本音楽理論研究会にて発表も行いました)。

歌詞については掲載しておりませんので

www.uta-net.com

こちら等にて確認ください。

 

7,Corvett 1954
(ユーミンレポートより)

 

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Aメロ~(アルバム収録楽曲タイム0:24~)
C |Gm |C |Gm |C |Gm |Fm7 |Am7 |
Em7 |A7 |DM7 |DM7 |Dm7 |G7 |C |Bm7 E7 |
A |Em |A |Em |A |Em |C#m7 |F#m7 |
C#m7 |F#7 |BM7 |BM7 |Bm7 |E7 |AM7 |E7 |~
(アルバム収録音楽タイム 2:36~)
B |F#m |B |F#m |B |F#m |D#m7 |G#m7 |
D#m7 |G#7 |C#M7 |C#M7 |C#m7 |F#7 |BM7 |F#m7 |BM7 |F#m7|BM7 |
D♭7sus4 |D♭7sus4 |G7sus4 |G7sus4 |
C |Gm |C |Gm |C |Gm |Fm7 |Am7 |
Em7 |A7 |DM7 |DM7 |Dm7 |G7 |C |Gm |~

=degree=
Aメロ~
(Key=C)
I |Vm |I |Vm |I |Vm |IVm7 |VIm7 |
IIIm7 |VI7 |IIM7 |IIM7 |IIm7 |V7 |I |VIIm7 III7 |
(Key=A)
I |Vm |I |Vm |I |Vm |IVm7 |VIm7 |
IIIm7 |VI7 |IIM7 |IIM7 |IIm7 |V7 |I |V7 |~
(アルバム収録音楽タイム 2:36~)
(Key=B)
I |Vm |I |Vm |I |Vm |IVm7 |VIm7 |
IIIm7 |VI7 |IIM7 |IIM7 |IIm7 |V7 |IM7 |VIm7 |IM7 |Vm7 |IM7 |Vm7 |IM7 |
II7sus4 |II7sus4 |(key=C)V7sus4 |V7sus4 |
I |Vm |I |Vm |I |Vm |IVm7 |VIm7 |
IIIm7 |VI7 |IIM7 |IIM7 |IIm7 |V7 |I |Vm |~


この曲はデュエットで、各ラインの担当音域にあわせて上手く転調している。


三つのキーを行き来している。一聴した限りではキーの展開に気が付かないのではないだろうか。


デビューアルバムの「きっといえる」などから展開してきた転調の技法であろう。

 

各コード進行はII-Vが主体になっており、これは聴感上は展開するために用いられたII-Vと感じる。またこの曲では全体を通してVm7が独立して用いられており、ユーミンのVm7感がもたらす雰囲気が存分に活用されている。

 

8,入江の午後3時

 

懐かしい匂いのする歌詞がいいですね。

スローモーションをみているようです。

 

凄く切ない歌詞なのに、可愛らしい歌ですよね。この辺りが反動的指向なんでしょうか。

 

ロイズのポテトチップチョコレートのような甘くかりっとした感じ。

 

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9,かんらん車

 

これもテクニックだと思うのですがどうでしょう。
「すいた電車」を想像して下さい。
次に、
「電車が住宅街をすり抜けていくとこ」
を想像して下さい。
次に、
「ひとりの足音」
が残ってるところを想像して下さい。
次に、
その足音が「川辺りの遊園地を」たどってるところを想像して下さい。
これって四点の視点が必要だと思いませんか?つまり四カメ。

 

電車の中のカメラと、電車が通り過ぎるところを写すカメラ、それから電車が通り過ぎたところを後ろから写すカメラ、そして遊園地から電車をみてるカメラ。

 

まさに映画。こんな歌詞の書き方あるんですね。


でも「電車」というキーワードをセッティングしたら、四つカメラを町中において、そこからそれぞれの視点で、詩的に語る。これだけで、ユーミンの歌詞テクニックを盗める!というわけです。

 

「観覧車」というテーマが「かんらん車」となり、どこか精密機械というイメージはなくなり、なんとも夕暮れの中に置いてきぼりにされていくおもちゃのようなイメージを醸し出しています。

 

「どこをみても淋しさばかり」という視点感覚が、この四カメ技法という表現になっているのかもしれません。

 

10,12階のこいびと

 


これも映像美のように感じられます。

生活感の中にひそむ重苦しい不安が見事に表現されていて。

 


これが12階からの自殺を案じさせる、というのですが、これってどういうことなんでしょう。

 

アルバムの最後をこうして締めくくったら、縁起悪いんじゃないか、なんて私のような凡人は感じてしまうのですが、そういった禁忌を超越した視点から歌詞を作れるわけで、とても同じレベルで音楽を語れそうにない、この天才感が襲ってきますね。みなさんはいかがでしょう。

 

ユーミンの歌には「死」が「死ではない別のものを象徴した存在」であるような気がします。

 

インターネットがない時代、恋人は、何もしていないとき、何をみていたのでしょう。
きっとこの歌詞にあるように、世界の空気に思いを馳せていたような気がします。

現代の歌にはない、「生活感」の怖さみたいなもの。逃げ場のない、現実だけの世界、今だってそれはあると思いますが、意外と現実だけに目を向けていられません。不思議な時代です。

 

死はその究極の現実であって、人々の究極の関心事だったんでしょう。

現代はYoutubeをみれば、凄惨な死の情報を得られるので自分の思い描く死がちっぽけに見えます。

 

愛と死が究極の秘め事だとすれば、ユーミンソングの中にこの二つが、その反動的指向によって均等に割り振られていても何ら不思議ではありません。

 

それをこんな可愛らしい曲調で、まるで料理番組のテーマソングのような軽さで歌う、というのが、まるでルネ・マグリットの絵画のように、聴き手を混乱させるのかもしれません。

 

先進性だと思います。

 

このアルバム、才能が大爆発して超人的な音楽が創られたような気がします。

 

 流線形'80

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