2018.2.16→2020.7.16更新c
ビートルズの不定調性コード進行研究
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ビートルコードができるまでを探る〜Past Master/Cover5
蜜の味(ア・テイスト・オブ・ハニー) - A Taste of Honey
ポールが好んでカバーしたミュージカルの曲ですね。
3/4拍子(または6/8)Aメロ部分が特徴的です。
F#m F#mM7 |A B |~
クリシェっぽいけど、微妙に違う、いざコードにして弾いてみると、ちょっと新鮮ですね。
ギター的にはF#m-F#mM7-F#m7-F#m6なんですけどね。
ブルージーなラインになっています。
ツイスト・アンド・シャウト - Twist and Shout
open.spotify.com
こちらもアイズレー・ブラザーズの原曲よりも有名になってしまった、カバー曲。
コードは、
D G A |A |
が繰り返されます。
どこかで聴いたことある、というのは「La Bamba」と同じ進行だからですね。
イントロまでおんなじ。
といいますかオリジナルは、リッチー・ヴァレンスがヒットさせたロック調のLa Bambaのほうだったんですね。
それが52年。
ビートルズが63年カバーなので、アイズレー・ブラザーズのカバーが62年。
何となくアレンジの歴史が垣間見えますね。
しかし「原曲より有名」って凄くない?ですか。
この曲はキーがDですから、めちゃくちゃスリーコードなのですが、Aがセンターに思える時もありドミナントが強調されています。
ゆえに仮にA=Iとすると、D=IV, G=VIIbになります。
でもビートルズはこうしたコード関係をいろいろな曲で使っていますから、なんだか本当にAの曲みたいに思えてくる時もあります。
ビートルズが拡張させた調概念の恩恵を受けた私たちは、新たなコード感覚でこうした進行に触れることが出来るわけです。
キーがどこか?調はどこかなんて聴き方をしない音楽を作った、って知っていれば迷うことは無くなります。なによりロックは鑑賞する、というより"浴びるもの"です。
「鑑賞しなくても楽しめる音楽」
を作ったわけです。
音楽的に下手くそで、ダサいのが彼らの弱点ではなく、そういう雰囲気の音楽でアートを表現するという絶妙な立ち位置を作ったわけです。このバンドは音楽よりも哲学が大事なんだ、そんな風に訴えてくる時もあります。
ちゃんとやることよりも本気で何かをぶつけることの方が大事なんだなんて感じる時もあります。
音楽理論的な正当性でなにもかもが表現できるわけじゃないんだ、っていうことを表現しようとしていたバンドと感じる時もあります。それはテキトーではなく、本当に魂に振り切った時には、理論的計算分析結果を上回る一手が出る、という天才棋士だけが30秒の考慮時間で信じられない一手が打てる、みたいな話です。
元々は音楽は儀礼であり、祭儀でした。ロックミュージックのルーツは、アフリカンアメリカンの恍惚なトランス状態に人を陥れる儀式にまで遡るでしょう。
白目をむいて神の憑依を待つ人間の姿。
そういうときの思考がロックだと思います。
日本人には馴染みのない感覚かも。集団乱交みたいな文化が残る村に育った人とかは別です。
それがいつの間にかクラシック音楽という「じっくり集中して鑑賞するもの」が生まれ、「鑑賞」とは手本となるものを見てその美しさを味わい褒めること、です。
全く別の文化です。
人が乱交するところじっくり鑑賞する、みたいな感じ???
これはやる方も聴く方も大変です。しかしそれでこそ本当の理性的な美術が生まれる、と言えばそうです。
やがて時代が生きづらくなり、戦争が重なり、飢餓や金融危機を経験し、理性では王にもならない苦しみや痛みを人が経験しました。
降らない雨に苦しむ古代人のように。
大変な時に、"生活の役の立たないもの(そんなことはないのだが、芸術はそういう風に思われる風潮があった)"を愛でて楽しんでも仕方ない、となりがちだった時代に、歌に乗せた言葉が、激しい若者の必死の叫びの音楽が、大衆の心を捉え、新しい価値観を知りました(正確には古代人の魂を思い出した?)。
人はそれで踊り叫ぶ音楽と、時には理知的に鑑賞する、二つの音楽文化を取り戻したことになります。
だから互いを非難する必要はありません。
泣き叫びたい時はロックを歌い、文化的に満たされたいならバッハを聴けばいいんです。
どちらも人の欲望を満たすためです。
そんなメッセージをくれたのは私にとってはビートルズがはじめてです。
音楽を浴びる、なんて学校で教えてもらえなかった。
思考を停止するのは悪だと思っていました。
そうして音楽分析もそれに相応したやり方を編み出す必要がありました。
楽譜がないと分析できない、伝統的な音楽分析のほかに、人の意識の変化、感受性の意味合いを考える不定調性論的な分析方法です。
現代人は二つを上手に自分の中に持つことで感情と理性をより現代的に取り扱うことができるのではないでしょうか。