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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

(動画解説・補足)現代和声機能〜不定調性論全編解説23★★★★★

今回はこちらの動画

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トーナリティモーション

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短調におけるV7はエオリアンという集合からの逸脱です。一つの音集合でくくられた音楽の中で、別の集合が入ってくる時の流れをトーナリティモーションという考え方でくくります。調性音楽における調の捉え方をより純粋にしたものです。

こうすることであらゆる音楽を一つのくくりの中で展開することができるので差別や区別への抵抗が少し減ります。

 

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メジャーキーをアイオニアンとしたとき、b9thはその集合内の音ではありません。その別集合に逸脱するときの進行を「エクストーナリティモーション」とし、またアイオニアンに戻ってくる集合を「リトーナリティモーション」とします。

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またこうしたサブドミナントマイナーを挟むモーションもトーナリティモーションである、と言えます。こうした挿入和音に例外を設けないことでスッキリ分類できます。

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Db7とDbM7もそうですね。

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これならE7。

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特に調性音楽においては、セカンダリーコードが出てくるときのダイナミックさが魅力的で、どうやってそういった和音をいつ使うか、ということへの学習が大切なので重視されがちです。

さらにこの最も中心になる集合がアイオニアンやエオリアン以外でもこのトーナリティモーションを用いて構いません。

さらにこうしたモードチェンジが激しくなったとき、拙論ではモーダリティモーションというものをお作りしました。

 

 

 

  

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モーダリティモーション

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この進行を7音モードで考えた時、CアイオニアンとCエオリアンが行ったり来たりして、どちらが中心か自分で判断した方がよさそうです。このようなモードの激しい変化している進行をモーダリティモーションと総称します。

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こういった進行もトーナリティで解釈するよりも、モーダリティモーションとして理解していったほうが「なぜここでこのコードに行ったのか」というミクロ的な発想にならなくて済みます。モーダリティモーションは、とにかくモードを変えてダイナミックさを演出するコンセプトなので、どんどん変えていくことで演出されていくものです。

 

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このように同一コード上でモードだけ変えていく、ということもできますね。

これをさらに推し進めていくのがブロックチェンジという考え方です。

 

ブロックチェンジ

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もう、これは調もモードの重心も軽んじられています。こういった小節変化を「ブロックチェンジ」と呼んでしまうわけです。

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ジャズやフュージョンだと同じコード進行で、毎回異なったコードに変化をさせてくることで、その小節の解釈が曖昧になることがあります。こうしたコード変化をブロックコーダルチェンジとします。

 

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これはG7を多数のパーツに分割して表現するような方法です。

これをさらに推し進めると小節内のコードが曖昧であることが重要になってきます。

 

ハーモニックインターチェンジ

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コードはある程度決まっているけれど、もうメンバーがよっぱらちゃって何やってるか分からない状態に陥りがちな状態です。これも表現である、とすると、これらのコード部分は(  )となり、その瞬間瞬間でそこに入る時間を埋めていくことになります。

これが進化していくと完全即興になります。

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これは別に時々II-V-Iをいきなり勝手に挟んだり、調的になっても良いわけです。

何をやってもいいんです。メンバーとの兼ね合いが取れていれば、又はとれていないということを皆が了承すれば。

これが最初、ピアニストがCM7をぽろろんと弾いたら、その瞬間はその曲(演奏、セッション)はCメジャーキーですが、突如次にギタリストが、弦のチューニングをべろんべろんに下げ始めて演奏を始めたら、いきなりリトーナリティモーションであり、モーダリティモーションであり、ブロックチェンジであることが起きます。さらにそこにボーカリストがうめき声を載せたら、そこからは何の指定もない状態になりますのでハーモニックインターチェンジが連続することになります。

時々ピアニストがCM7を挟んだとしてもそこに迎合し無くてもイイでし、してもいいし、いきなりCM7の綺麗な曲にしても良いわけです。いきなり演奏を止めてトイレに行ってもいいし、いきなりステージ中央で座禅を始めてもOKです。「それをしたくなったらする」という常識的限界を設けない、というわけです。いきなりそこで人を殺しそうになったら、残念ながら法治国家にいる以上は止めねばなりませんが。

 

 

こうしたことの表現の境界が無くなることを学習者が最初に学ぶことによって、形式に従うことの美意識、伝統のルールの中で戦うことの意義を見つけてもらう、というわけです。何のルールもない世界なんて疲れるだけ、と思う人は適度にルールを自分で作ればいいし、無秩序最高!!!と思う人は、その世界の中で出来ることを模索すればいいわけです。

どちらが有意義でどちらがアウトローだ、というようなことの境目を設けない、という教育スタイルになっていくわけです。

 

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今回のテーマメロは、鍵盤を付近で拭いて録音したものです。ちょうど鍵盤が汚れていたので前からやってみたくてやりました。

それを聞いていると、淡々とピアニストが練習の最後に掃除をしていますが、なんとなく練習のストレスか、爽快感か、もやもやとしたジレンマか、無言で鍵盤を拭いているけれど、そうした言語にならない気持ちが聴こえてくるようです。

この人はササっと拭くタイプですから、そんなに几帳面な人ではないのかもしれません。

もしピアノを凄く愛していて大事にしていて掃除もきっちりやる人は、きっとこの曲は

5分ぐらいになっていたかもしれません。同じ音が何度も聞こえてくるかもしれません。特に今日たくさん弾いた音は念入りに拭くでしょうから、何度も聞こえてくるかもしれません。

 

人の心の中の言葉にならない感情が、言葉にせぬまま音になる、という面白さと、 心の中をのぞき見しているような程よい罪悪感が感じられて、どことなく興奮する、という人もいるかもしれません。

鍵盤を掃除するような音現象は音楽ではない、という先入観があると、音楽はいつまでもあなたの思っている範囲だけにしかならず、あなたの中の音楽は進化しません。別に伝統音楽だけをやる人は進化させる必要はないのですが、これから新しい仕事を創っていかねば食べていけないような若い人たちの教育の現場においては、どこにも無いような価値観を自分の中で発明し、それを新しい社会の中で生かす方法と回路を作って頂きたいな、と思っていますので、なんとなくそんな精神とかを感じていただいてあなた自身が新しい表現にトライいただければ良いかな、と思いこのテーマにしました。

 

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