音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

音楽の方法論を作りたい人へ~不定調性論の現状(2019)

2018.1.10→2019.11.27更新

不定調性論的な発想と仕事とか人生とかへの取り組みについての話を10年間の事業経験を絡めて書きます。

具体的な方法論・制作物については下記のページなどをご参照ください。この記事ではもっとメタな話題を書きます。

www.terrax.site

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音楽方法論を作ったら、生き方に呼応させよう

不定調性論は独自論作成の指南書でもあります。

それを作れば、全てが自己責任になります。良い曲ができるのも、儲からないのも自分の責任です。すべて自分の考えと判断でやっているのでそれが痛いほどわかります笑。伝統的に無難な発想や、「こうすれば売れる」というせっかく先輩方が確立してくれたセオリーにこだわらず自分のやり方でやるのですから当然です。一人だけ法律が通用しない世界に自由に生きるんです。大いなるバッシングが待っています。

今もしあなたが自分のやり方、方法論、信念の教材化を行っているなら、それを確かにあなた自身が実践してその過程を報告し続けてください。

今すぐ完璧でなくてもいいんです。私やあなたは後世の人がどのように生きればいいかの参考例の一つに過ぎません。

どう考えてどういう結果になったか、何を手放し、何を手に入れたかを書き残せば、それ自体が方法論になります。そう、あなたが死なないと方法論は完成されません。

きっと今教材を作ったり、新たな表現技法を本気で確立している人は、自分の死後のことを考えている人でしょう。

むしろ誰もがそう考えるように生きたら、芸術は凄く高度なところに、科学を越えるような英知になるかもしれません。

私はそこまで高潔ではないので、どうしても今自分が楽しみたいこととまだまだ並走しています。その点で、不定調性論はまだまだ未完成だと確かに思います。でも創作活動に入った、と言う点では一定の完成を見た、と私個人は感じながら創作をしています。

 

今後はしっかり教材、ブログに書き残して、音楽を自分の意思で作る、ということはどういうことなのかを発信し、またそれに影響を受けた同時代人が皆自分なりのやり方で自己の考えや方法論を記していけば、淘汰は早められ、最良の方法により近づけるでしょう。自分たちが迷って、わからなかった思想の段階を後世に迷わせない。その先に進んでもらって、もっと高い次元で悩んでほしい。多分そういうことを行うことが文化の進化への行動なのだと信じます。

一定数常に方法論を作りたい人はいます。何らかの遺伝子の特質によるものでしょう。

だからそんなこと個人がやるべきではない、なんて言わないで。きっとなんらかのそう言う思考の癖がある人が一定数いるのです。そして方法論を作るのは明らかにそう言う人たちだと思います。

もし欲求によってあなたが方法論を作りたいなら、拙論をぜひ参考にしていただきたいです。真似してもらっていいので。

あなたは私よりも短い時間で方法論を作って、より高度に有益に、そして夢のある形にまとめて頂き、それを次の世代に贈って欲しいです。

それから途中で飽き多としても10年後また必ずムラムラしてその思考は再開されるから、今やれるならやって突き詰めておいたほうがいいです笑。

不定調性論の動和音と静和音の考え方の完成には15年かかってます。たった増4度の有無を決めるだけなのに。なぜそんなにかかったか。自分が求める方法論のゴールがそれを作成している時は全く見えていないからです。そして思考の過程でパッと降ってくるんです。そしてそれが決定的なポイントだとようやくわかります。それまではそう言うふうに考えないからわからなかっただけです。

下方倍音がなんで五度が基音なのかについての問題の解決も10年ぐらいかかりました。

だから頑張って考えて考え抜いてまとめちゃってください。まとまるまで人生ずっとモヤモヤするので笑(経験者は語る)。

そして結論は必ず、「矛盾」が争点になるはずです。人類が未だ解決できない「矛盾を理解し合う」を見事不定調性論とは異なる形で解決できれば、その方法論は私は優れていると思います。多分ですが、不定調性論は「矛盾を理解する事で答えが出る」と述べた数少ない方法論でしょう(他があるか知らない)。

またその先もこれから自分で探します。

 

他者の評価・分析を重視しない。
自分で音楽を理解しようとするときの話です。

これも私の考えを述べるだけですので、誰かの発想を書いているのではありません。

 

他者はあなたではありません。

あなたの人生を完結させるために必要なのはあなた以外いません。

いつかは自分で選ばないといけません。

それによって人生は失敗するかもしれません。でもそこで辞めなければ、それは「途中」であり、本当にそれが失敗だったのかどうかは死ぬ瞬間まで判別できません。

どうせ死ぬまで何がどうなるかわからないのだから、自分の意思で今を選んで生き切るしか選択肢がないことが分かります。途中で死んだら自分で失敗にするだけ。悲しんでもらった後に残るのは失敗だけです。先を予測しても裏切られます。決めつけて選択肢を絞っても良い事はありません。他者にどうこう言われたら、まずそれを受け入れ、即座に自分の発想を上塗りして自分の意見にしてください。

明日の支払いに追われているかもしれません。ということは今日はとても良い修練の日です。今日やるべきことにあなたが集中できたら、あなたは素晴らしいことを成し遂げられます。結果が出るのはずっと先ですが。多分それでも生きる、って言うことが初めて「生きる」ことで、なんの苦労もないときは「死んでいる」のだと感じます。

方法論なんて作っていても食べてはいけないからです。それだけではダメで、その先にある社会的価値を創出できないとあなたは死んだままです。または生まれていません。

この辺をちゃんと考えて方法論創作に取り組んでください。

ああ、これ過去の自分に向かって言ってるなぁ笑。

 

ただし、盲目的に他者を信望することを楽しみとしている人にはこの話は関係ありません。

 

現状を支配するもの=感情

知識でも自然法則でもありません。あなたにとって今を支配しているのは、あなたの感情だけです。。。。と考えてみましょう。

自然法則は働いているかもしれませんが、そのほとんどは解明されていないので、いちいち信じたり解釈したりする必要はありません。

でもあなたに沸き起こった感情は、さまざまな生体反応の結果生み出された唯一の解です。

そしてどう感じたかを自分に認めてあげて、その気持ちを次の仕事に、生活に上手に反映していきましょう。どうせ明日は信念すら変わります。

あなただけでもそういうあなたを理解してあげてください。

まして他人を理解などできようはずはありません。

だからさっさと自分の生き方を生きた方が私は良いと考えています。

 

メタ理解があるからこそ、個人の理解を大切に

情報化社会によって、インフルエンサーが自在に巧みなマス意見で世間を席巻するでしょう。「〇〇とは〇〇である。」という見解の発信です。

しかし彼が何と言おうと、あなたはあなたです。

こういった巧みな、生きやすさを与えてくれる意見とは別に、あなたはあなたの意見を感じていいんです。それが効率悪くても、変態でも、あなたがそれで良しと思う勇気があれば、それがいちばんのあなたにとっての堅実な道だと思います。

この記事も同様に自分で解釈してください。

インフルエンサーの言葉で楽ができてもその瞬間だけです。

では、最高な状態とはなんでしょう。あなたに健康と喜びとお金を与えることです笑。

これ全部をあなたに常にあなただけにあげられる人がいるとしたら、あなた自身だけじゃない?恋人でも家族でも友人でもなくて。彼らはギフトです。プラスアルファ。あなただけで本来なんでもできるんです。

他人に心酔せず、自分で生みだすために力のある人のエネルギーを活用してください。

 

ただし誰かと協力して生きたい、推しに投資をすることで自分の人生を作りたい、という方にはこの話はあまり関係ありません。

これは私のような自分勝手な人がギリギリ社会から排除されないようにするための知恵です。

 

どこまでも与えていく勇気 

これが自分には一番難しかったです。自分勝手だったので。

まず不定調性論をオープンイノベーションにしました。

私の能力だけでは全てを構築できないでしょう。

そして自分自身も大きくしていかないといけないなと感じています。

独立初期は最初は、丸一日働いて自分にギャラが入って来ず、それらは全て事務所の経費に消えてしまう、という状況が許せませんでした。そしてがむしゃらに仕事を2倍にして頑張っても、やはり膨らむ経費や借金に消えていきます。自分には関係のない経費や、誰かの人件費、交通費や光熱費に消えていき、自分には一銭も入って来ない、という状況に耐え抜いた時期がありました。

それを考えると、制作などなどおぼつきません。生産性が下がります。なぜ自分が不安な状態で他人の未来への希望の曲が書けるでしょうか。

"ここで諦めるのが普通なんだろうな。"と思っていました。

しかし諦める勇気すら湧きません。自己評価も下がります。他人は"ニーズのないことをしているからだ"と言います。1ミリも反論できません。

このまま耐えて、耐えて、ギリギリまで追い詰めたら自分はどうなるだろう。倒れて終わりだろうか。ブチギれて夜逃げか。などと感じました。

しかし天啓はある日急にやってきました。

「自分の仕事によって産み出したお金で、誰かを助けているのだ」

と思ってしまったんです(ある意味これも傲慢だ笑)。

しかし今度は180度考えが変わりました。

「もっと頑張って稼がないと!!!」

人に尽くして喜びを感じるタイプの人がいます。自分もそうかも。

その見方では自分の金のある無しとかはほとんど関係なかったんです。金がなくても自分だけならなんとかなりますし。

それから「音楽だけで稼ぐ」なんて意地は忘れて、または無理やり音楽と絡めて笑、いろんな稼ぐ手段を見つけてきました。生活に境目が無くなり、がんばれました。

ゴゼさんの言うことは間違いではなかった。

 

矛盾と向き合う

要は考え方を変えて前進するためにただひたすらアプローチすればよかったのです。

悩む必要も誰かのせいにすることを考える時間など作る必要はなかったんです。 

つまらないそれまでの自分の感情など無視してもいいんだ、と感じました。何でもかんでも抱え込まないでポイッと捨てても死ぬわけではありません。残った価値を大事しました。

でもこれって、最初に述べた「感情を理解する」というのと矛盾するなぁ、と感じます。それから次の発見をある朝感じます。

相矛盾するものを双方受け入れるバランス感覚を作ることが大事、

と感じるようになります。

矛盾は矛盾しているのではなく自分がそれを理解できていないだけ、ではないかと思うのです。世間の誰一人理解できていないものも無数にあります。宇宙の果てとか。

だから矛盾を指摘して批判するのは、稚拙な行為だったと感じました。

 

どうやったらこの矛盾という理不尽を味方にできるか!!

 

です。理論でも学問でも人間関係でも社会でも人生でも常に矛盾や理不尽、不公平や不平等が自分を苦しめます。だから綺麗な社会など望まず、まず逆にこの社会を生き抜くために自分に何ができるか考えました。

昔の哲学者もきっとこう考えたと思うのです。私が知らないだけで。

 

どちらも受け入れてどちらも力にする。

です。

どちらも同時に理解して飲み込んでしまう工夫を元具体的に創造できないか、そしてこれを方法論の中に組み込めないか?と感じました。

近年の不定調性論には「相矛盾するものの並立」が反映されています。

それで吹っ切れて、はじめて作品制作をスタートできました。

これはすごいことです。それまではある程度筋が通っていないと作品制作には移れない、なんてカッコつけていたんです。方法論が完璧でない限り作品はどこかで矛盾する、と恐れていたんです。 でも同時に方法論を作ったらそれで作品ができないと意味がない、と言う想いがいつもありました。

でも矛盾こそがある意味で答えだ、と感じるようになってから、作品制作は恐ろしくなくなりました。これは自分にはとても大きな発見でした。

 

問題に取り組むこと、取り組み続けること」がいちばんの早道でした。「こんだけやってるのになんで結果が出ないんだろう」と考える必要などなかったのです。

答えが出る

なんてこと自体が矛盾なんです。答えが出るなんてありえません。現代ではまだまだ。宇宙のこと何もわかっていないんですから。

その答えって何?

そう、あなたの個人の感想です笑。

真理ってなんでいくつもあるの?

そう、その真理を作った人の感想、というだけです笑。 

 

学校にも答えはない

勉強期間は正しい答えがどこか自分の外にあるような気がしてしまうものです。

もし自分の納得のいく曲ができず、作曲を一時休止し、30冊の理論書を読もうとしたり、専門学校に通おうとしているなら、7日間だけ待ってください

まず自分で本当に曲ができないか、もう一度だけ本気でイメージを膨らませて取り組んでみてください。あなたのやり方でいいです。全くめちゃくちゃでもいいです。やってみてください。オーケストレーションでもEDMでも作りたい曲を遠慮せず作ってみてください。

1コーラスだけでもイントロだけでも構いません。とことん集中して1週間だけ取り組んでみてください。そして周りの人も7日間だけ許してあげてください。

若い人なら1週間自分に命をかけたらきっと答えが出ます。

学校に行くと決めるのはそれからでもいいです。そのころには学校に行く目的もはっきりするでしょう。

学校は学校を頼る人には何もしてくれません。学校の職員だって、誰に何をしてあげればいいかなんて知らないからです。決まったこと以上はできません。それだけで労働の100%を占めるんですから。

だからあなたが気がついていないのに必要だと教えてくれる知識は学べないんです。

学校に行くのなら、明確な目的と欲しい知識が明確でないといけません。

そしてもし目標が定めれば最悪それは独学でもできます。

学校に行けるのは、余裕があるから、というだけで義務でも必要なことでもありません。学校やってきたから分かります。それぞれに生まれた下記の価値

は社会が生み出したものであり、意義のあることですが、普遍的なものではありません。

・小学校に行くのは読み書き計算という最低限のコミュニケーション手段を学ぶためです。

・中学校に行くのは社会的な平均的価値観を身につけるためです。生涯の友人も見つかります。

・高校に通うのは、恋をするため。

・大学に通うのは博士号を取るか、留学するため。

・専門学校各種学校に通うのは、仕事を紹介してくれる講師に出会うため。

・会社に勤めるのは、家族を養いながら好きな趣味をやるため。

・独立するのは自分のことだけを考えるため。

あとは個人によってバリエーションがあるでしょう。

 

こういったことをあなたが理解できるまで辛抱強く教えてくれる先生、友達、家族がいるなら、その人は幸運でだと思います。たいていは耳を貸そうと思った頃には相手はあなたを諦めています、忘れています。

24時間休むことなくいつもあなたのことを考えてくれるのは誰ですか? 

あなた以外います?

 

覚悟する

あと必要なのは覚悟だけです。処刑される直前の気分、、と言えばいいのでしょうか。あれほどの虚無と恐怖と後悔はきっとないでしょう。怖れというのはそれを味わうことを恐れることだと感じます。

でも実は人生っていつもそういう気分じゃない?

楽しい、って感じているときって、ただ逃げているだけだよね。覚悟から。

そういう全体の気分をちゃんと踏まえた上で「方法論を作る」っていうことをやらないと、「方法論を作る作業を行うことで人生から逃げている」っていうことに気が付かないんだと思います。不定調性論はある意味では、私自身が人生から20年間も逃げていた結果生まれたんです。とても恥ずかしいことだと頭の半分ではいつも思っています。

他の人たちはみな自分を犠牲にして出世して社会に貢献しているのに・・自分は自分を無駄にしただけ‥。

だから今1日で3日分生きています。1年で2年分取り戻せます。10年で20年を取り戻します。

 

今作曲をせずに方法論をつくている人は、方法論作成に目途が立ったら次に延々と作品を作り続け、それを発信し続ける、という段階が待っていることを自覚しておいてください。

方法論を作ることは、まだ何もしていないのと同じです。

野球をやるのにルールブックを3年かけて読んでいるようなもの。または新たな野球のルールを作っているだけです。それを普及せずに死んだら、それこそ無駄死にです。普及させるには時間と労力がかかります。方法論を証明するために人生をかけて作品を作らないといけません。

もしちょっと人生に暇な時間があるから、方法論を作ってみようかな、っていうようなの施行は結構いろいろ危険を感じます笑。20年あっという間に過ぎ去りましたから(何せたまらなく面白いから)、少しでも当ブログの注意書きが届くことを願っています。もし周囲にやばい人がいたら教えてあげてください。

 

音楽学習する人、音楽方法論を模索する人は無理をせず、拙論・拙記事を自在に参考にして頂き、私よりも早く先に進んでください。

なんとなく同じ道を進んでいる人は、一度お声掛けください。決してあなたの生き方を批判したり、とどめたりしません。応援できるのが私の唯一の特権かな、と感じています。そしていち早く最初のゴールをつかんでほしいです。