音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

音楽の方法論を作りたい人へ~不定調性論の現状(2020)

2018.1.10→2020.1.26更新

不定調性論的思考は「どんな音楽・音現象でも、自分タイプに合わせて理解できるもの」にできる思考のプラグインです。

さらにそこに伝統学習が共にあればとても良いと思います。

 

不定調性論的な発想と仕事とか人生とかへの取り組みについての話を10年間の事業経験を絡めて書きます。

具体的な方法論・制作物については下記のページなどをご参照ください。

www.terrax.site

www.terrax.site

 

音楽方法論を作ったら、生き方に呼応させよう

不定調性論は独自論作成の参考書になれることを願っています。

それを作れば、全てが自己責任として受けれいることになります。良い曲ができるのも、儲からないのも自分の方法論の責任が明確になります。伝統的に価値のある発想や、「こうすれば良くなる」という先人が確立してくれたセオリーに殉ぜず自分のやり方でやるのですから当然です。一人だけ法律が通用しない世界に自由に生きるんです。

と言ってあなたにとっての今のやり方が今すぐ完璧でなくてもいいと思います。

私やあなたは後世の人がどのように生きればいいかの参考例の一つに過ぎません。

どう考えてどういう結果になったか、何を手放し、何を手に入れたかを書き残せば、それ自体が方法論になります。あなたが死なないとあなたの方法論は完成されません。

その点で、不定調性論はまだまだ未完成だと確かに思います。でも実際の創作活動に入った、と言う点では一定の完成を見た、と私個人は感じています。ここからです。

 

自分たちが迷って、わからなかった思想の段階を後世に迷わせない。その先に進んでもらって、もっと高い次元で悩んでほしい。そういうことを行うことが文化の進化への行動なのだと信じます。

 

もし欲求によってあなたが方法論を作りたいなら、拙論をぜひ参考にしていただきたいです。そうすれば私より良いものがもっと早くできると思います。

途中で飽きたとしても10年後また必ずムラムラしてその思考は再開されるから、今やれるならやって突き詰めておいたほうがいいです。

不定調性論の動和音と静和音の考え方の完成だけに15年かかってます。たった増4度の有無を決めるだけなのに。なぜそんなにかかったか。自分が求める方法論のゴールがそれを作成している時は全く見えていないからです。そして思考の過程でパッと降ってくるんです。そしてそれが自分の思考の決定的なポイントだとようやくわかります。それまではそう言うふうに考えないからわからなかっただけです。

下方倍音がなんで五度が基音なのかについての問題の理解も10年ぐらいかかりました。

だから頑張って考えて考え抜いてまとめ切ってください。そういう人はまとまるまで人生ずっとモヤモヤするので。

そして結論は必ず、「矛盾」が争点になるはずです。不定調性論は「矛盾を理解する事で答えが出る」と述べた方法論です。

   

現状を支配するもの=感情

あなたにとって今を支配しているのは、あなたの感情だけです。。。。と考えてみましょう。

自然法則は働いていますが、そのほとんどは解明されていないので、芸術家はいちいち信じたり解釈したりする必要はありません。出てきた答えに対して自己を働きかけます。そして答えを出す過程が謎でもそのブラックボックスを研ぎすまそうとする意識があればきっとその答えも研ぎ澄まされていくと信じます。

あなたに沸き起こった感情は、さまざまな生体反応の結果生み出された唯一の解です。

どう感じたかを自分に認めてあげて、その気持ちを次の仕事に、生活に上手に反映しましょう。しかし明日には信念すら変わったりするので解を信望するのも危険かなと感じています。

あなただけでもそういうあなたを理解してあげてください。

まして他人を理解などできようはずはありません。

だから現状はさっさと自分の生き方を生きた方が私は良いと考えています。

 

 

 

どこまでも与えて受け入れる勇気 

これが自分には一番難しかったです。自分勝手だったので。

まず不定調性論をオープンイノベーションにしました。

私の能力だけでは全てを構築できないでしょう。

そして自分自身も大きくしていかないといけないなと感じています。

独立初期は最初は、丸一日働いて自分にギャラが入って来ず、それらは全て事務所の経費に消えてしまう、という状況が許せませんでした。そしてがむしゃらに仕事を2倍にして頑張っても、やはり膨らむ経費や借金に消えていきます。自分には関係のない経費や、誰かの人件費、交通費や光熱費に消えていき、自分には一銭も入って来ない、という状況に耐え抜いた時期がありました。

それを考えると、制作などなどおぼつきません。生産性が下がります。なぜ自分が不安な状態で他人の未来への希望の曲が書けるでしょうか。

 

このまま耐えて、耐えて、ギリギリまで追い詰めたら自分はどうなるだろう。倒れて終わりだろうか。ブチギれて夜逃げか。などと感じました。

しかし天啓はある日急にやってきました。

「自分の仕事によって産み出したお金で、誰かを助けているのだ」

と思ってしまったんです(ある意味これも傲慢だ笑)。

しかし今度は180度考えが変わりました。

「もっと頑張って稼がないと!!!」

人に尽くして喜びを感じるタイプの人がいます。自分もそうかも。

その見方では自分の金のある無しとかはほとんど関係なかったんです。金がなくても自分だけならなんとかなりますし。

それから「音楽だけで稼ぐ」なんて意地は忘れて、または無理やり音楽と絡めて笑、いろんな稼ぐ手段を見つけてきました。生活に境目が無くなり、がんばれました。

ゴゼさんの言うことは間違いではなかった。

 

矛盾と向き合う

悩む必要も誰かのせいにすることを考える時間など作る必要はなかったんです。 

でもこれって、最初に述べた「感情を理解する」というのと矛盾するなぁ、と感じます。それから次の発見をある朝感じます。

相矛盾するものを双方受け入れるバランス感覚を作ることが大事、

これがご都合主義にならないように、やっぱり10年ぐらい理不尽に晒されないと鍛えられないのかもしれません。

もし試練の時が来たら「ここから矛盾との戦いが始まる」ぐらいに思えば良いのではないでしょうか。

矛盾は矛盾しているのではなく自分がそれを理解できていないだけ、ではないかと思うのです。世間の誰一人理解できていないものも無数にあります。宇宙の果てとか。

だから矛盾を指摘して批判するのは、稚拙な行為だったと感じました。

議論とかも極力必要ないのかもね。草が「ここに生えていいか」なんて聞かないし。ライオンも「お前を食っていいか」とか相手に聞かない。弱肉強食だし、議論は議論の上手い奴がやりたがるので、不得手な人はやらないほうがいい、となります。

それゆえ得意不得意にさらされる以上、理論でも学問でも人間関係でも社会でも人生でも常に矛盾や理不尽、不公平や不平等にさらされているわけです。だから綺麗で理路整然な社会など望まず、まず逆にこの社会を生き抜くために自分に何ができるか考えました(あくまで私の場合です)。

究極の美しさを求める、無矛盾を求める、という発想もまた応援します。

それは私には到底できなかった(やらないで済んだ)ので、対位法の完全さや音律の徹底など、それを行うことを生きがいと感じるなら是非追求していただきたいです。後世にはどちらも有意義な事例となるはずです。法治国家の下、互いが自分を追求していれば良いのだと思います。義務教育はその意味では犯罪率の低い国家を作った日本の誇りかもしれません。

 

それまでは、ある程度筋が通っていないと作品制作には移れない、なんてカッコつけていたんです。方法論が完璧でない限り作品はどこかで矛盾する、と恐れていたんです。 でも同時に方法論を作ったらそれで作品ができないと意味がない、と言う想いがいつもありました。

でも矛盾こそがある意味自分の答えだ、と感じるようになってから、作品制作は恐ろしくなくなりました。これは自分にはとても大きな発見でした。

 

答えが出る

なんてこと自体が矛盾なんです。答えが出るなんてありえません。現代ではまだまだ。宇宙のこと何もわかっていないんですから。

その答えって何?

そう、それはあなた個人の感想です笑。

 

学校にも答えはない

勉強期間は正しい答えがどこか自分の外にあるような気がしてしまうものです。

学校は学校を頼る人には何もしてくれません。

専門校に行くのなら、明確な目的と欲しい知識が明確でないといけません。

専門校に行けるのは、余裕があるから、というだけで義務でも必要なことでもありません。学校業複数やってきたから分かります。

・小学校に行くのは読み書き計算という最低限のコミュニケーション手段を学ぶため

・中学校に行くのは社会的な平均的価値観を身につけるためです。生涯の友人も見つかります。

・高校に通うのは、恋をするため。

・大学に通うのは博士号を取るか、留学をするため。

・専門学校各種学校に通うのは、仕事を紹介してくれる講師に出会うため。

・会社に勤めるのは、家族を養いながら好きな趣味をやるため。

・独立するのは???⇨あなたの答え。

個人によってバリエーションがあるでしょう。

 

こういったことをあなたが理解できるまで辛抱強く教えてくれる先生、友達、家族がいるなら、その人は幸運だと思います。たいていはこちらが耳を貸そうと思った頃には相手はこちらのことをすでに諦めています。

24時間休むことなくいつもあなたのことを考えてくれるのは誰ですか? 

あなた自身だけだと思います。

 

こうした自分の全体像を踏まえた上で「方法論を作る」っていうことをやらないと、「方法論を作る作業を行うことで人生から逃げている」っていうことに気が付きません。不定調性論はある意味では、私自身が人生から20年間も逃げていた結果生まれたんです。とても恥ずかしいことだと頭の半分ではいつも思っています。

他の人たちはみな自分を犠牲にして出世して社会に貢献しているのに・・自分は自分を無駄にしただけ‥。

だから今は1日で人の3日分生きています。1年で3年分取り戻せます。7年で21年を取り戻しました。

 

今作曲をせずに方法論を作っている人は、方法論作成に目途が立ったら次に延々と作品を作り続け、それを発信し続ける(誰かに任せてもいいね!)、という段階が待っていることを自覚しておいてください。

方法論を作ることは、公式を作ることと同義かもしれませんが、果たして数学のような公式が音楽でできるかはわかりません。

逆に作曲できるのに方法論作成のみを行う人は、野球選手になりたいけど、野球やる前に体づくりもせずルールブックを20年かけて読んでいるようなもの、です。

または新たな野球のルールを作っているだけです。それを普及せずに死んだら、それこそ無駄死にです。普及させるには時間と労力がかかります。

方法論を証明するために人生をかけて作品を作らないといけません。

ちょっと人生に暇な時間があるから、方法論を作ってみようかな、っていうような思考はある意味危険です。20年あっという間に過ぎ去りましたから(何せたまらなく面白いから)、少しでも当ブログの注意書きが届くことを願っています。もし周囲にやばい人がいたら教えてあげてください(それでもやめないでしょう、薬物よりタチが悪いです、法で規制されていないし、目に見える健康被害もありません。しかも頑張っているように見えたりします)。

 

音楽学習する人、音楽方法論を模索する人は無理をせず、拙論・拙記事を自在に参考にして頂き、私よりも早く先に進んでください。

なんとなく同じ道を進んでいる人は、一度お声掛けください。決してあなたの生き方を批判したり、とどめたりしません。応援できるのが私の唯一の特権かな、と感じています。そしていち早く最初のゴールをつかんでほしいです。

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