2018.1.8→2020.2.10更新
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ビートルズの不定調性コード進行研究
ほぼ全曲ビートルズのコード進行不定調性考察「Beatles For Sale」1(2017)
アイム・ア・ルーザー - I'm a Loser
いかにも「ビートルズコード」といって思い起こす展開で進んでいきます。
Aメロ
G |D |F |G |
G |D |F |G |~
キーはGですが、VIIbのFが"ビートルズして"ます。
これをジャズ理論解釈して、
GM7 |D7 |F7 |GM7 |
とすると、ちょっと変ですよね。
ビートルズが作ったやり方は、誰でも押さえられるコードで世界的ヒットを飛ばした、というとんでもないことです。
ビートルズじゃなくても誰かがやったでしょうが、彼らが一番目立っているため「ビートルズコード」と私が勝手に呼んでいます。
だから安易に真似すると「工夫がないビートルズ」「メロがいまいちなビートルズ」「安易なビートルズ」と揶揄されてしまいます。だから、なんとか「ビートルズっぽくならないように」アレンジを考えたものです。
当ブログで扱っている、ユーミン氏の作品や、スティービー・ワンダーの作品も「ビートルズ的な方向に行かないようにするために工夫した結果できた彼らの音楽」だと思います。
いちばんシンプルな方法論「知ってるコードをつなげて作る作曲のやり方」はビートルズが完成させてしまいました。その後の「コード進行」文化の劇的な転換点、と言っても良いです。
それに輪をかけて、ポールの天才的メロディセンス、ジョンの唯一無二の音楽性、ジョージのポールとジョンへの命がけの対抗心、何より音楽理論を知り尽くしたジョージ・マーティンの経験とがスパークして、一番安易な音楽作成方法論だった"テキトー作曲"が、唯一無二のポピュラー音楽制作方法となりました。
今僕らがそれをやっても「君、なんだその適当なやり方は」と言われるだけです。でもビートルズはその先で待ってくれてます。
だから作曲初心者が「つまらないビートルズみたいな曲」ができるのは当たり前で、まずはそれでいいと思うのです。誰でもできる作曲の方法なんですから。
「知ってるコードをつなげてコードの流れを聴きながらメロディを乗せる」。
もし「安易なビートルズ的楽曲」ができたら、あなたは不定調性論的な作曲技法を一つマスターしたんです。あとは磨くのみ。
三和音が「簡素で初歩的」と思い込んでいるところがないでしょうか?
三和音は、鳴っている音が少ない分、極彩色で、色鮮やかな西洋の街並のように、文字通り「ポップ」に響き、展開します。
そしてそのスタイルはビートルズによって極められてしまって、現代人に残されているのは「ビートルズがやらなかった方法」を探すことです。
まるでベートーヴェンの後に生まれた作曲家がベートーヴェンの亡霊におびえたように、しばらくはポップスもビートルズの亡霊に追われました。
ベイビーズ・イン・ブラック - Baby's in Black
これも全編コーラス。
自然に聴き流してしまいますが、この美しいコーラスは魅力です。
ビートルズはコード進行が奇抜だったぶん、コーラスの厚み、華やかさが曲をよりポップにしていると思います。
これもコードがシンプルだからという理由よりも、ポール・マッカートニーというアーティストが、奇抜なコード進行だけでは飽きたらず、様々な先人のアメリカンミュージックを目指して厚いコーラスを乗せた結果、生まれた音楽性であることも忘れてはなりません。
Aメロ
A E7 |D7 E7 |A E7 |A |
という流れです。
このAはA7にしても良い感じです。
でもそこまでブルースにしなくて良い、というのもあると思います。
ビートルズコードは「どう機能するコードか?(機能和声)」より「どう使えるか?(ビートルコード)」を考えるのがポイントですね。
ここでのE7→D7の不定調な流れは、ブルースのV7-IV7の流れと言ってしまえばそれまでですが、この進行でブルーさを薄めて、もっと別の雰囲気を作ろうとしています。
ブルースという歴史の断片を、切り紙のようにちぎって貼り合わせて、新しい絵を作ったような作業ですね。
最初は誰でもブルース1曲できるとそれだけで満足です。それだって凄いことです。
でも、その先で「普通のブルース作ったってクリエイティブじゃないよな」って思っていたのがビートルズです。
アイル・フォロー・ザ・サン - I'll Follow the Sun
Aメロ
G | F7 |C | D |
C Em |D G |C F | C |
G | F7 |C | D |
C Em |D G |C F | C C7 |
展開部
Dm |Fm |C |C7 |
Dm |Fm |C |Dm |
G | F7 |C | D |
C Em |D G |C F | C |
キーはどこでしょう。
一見Gのようですが、Cです。ここでのDはCにとってのIIなんですね。
でもドッペルドミナントという概念は当てはまりません。
展開部前のC7も美しいですし、Dm-Fmも非常に綺麗です。Aメロでは一切IImがありません。だからこそただのIImが劇的に響きます。陰りが生まれ、切なさも加わります。
Aメロを下記にして唄ってみてください。
G | F7 |C | Dm |
C Em |Dm G |C F | C |
G | F7 |C | Dm |
C Em |Dm G |C F | C C7 |
これでも歌えてしまいます。だから機能和声を遵守したら、このAメロのきらきら感は生まれなかったかもしれません。
そしてもどるときはDmがVmになってドミナントマイナーモーションになっているのもこの楽曲の穏やかさ、甘さ、静けさを作っていると思います。
このDmは機能和声的解釈CメジャーキーのIImなのですが、私は独立して存在しているように感じます。知ってるコードを雰囲気で組み合わせる天才性。
通例曲の展開部ですからIVなどに行く部分ですが、IImで代用されています。
IVmに短三度上がって展開するところが良いのですよね。IIm-IIm7(b5)でもIV-IVmではない、というところがまた新鮮。
わたしはこのIImはCから全音上のDmのキーに転調した、ぐらいのダイナミックさを感じます。
機能和声でビートルズを考える習慣をやめたとき、音楽が怖くなると思います。
理論的根拠、という支えを失うわけですから。
では何を指針にすればいいのでしょう??
それは、
「あなたがどう思うかが指針になる」
ということに立ち向かう、ということです。
これは終始誰からも「生意気だ」と言われ続けますので大変なストレスです笑。