音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

雨の樹素描 1-3 /武満徹(2017)〜音楽鑑賞の新しい形

雨の樹素描 1-2 /武満徹(2017)

雨の樹素描 1-3

Rain Tree Sketch I (1982)の考察

   

 


40-41小節---通常機能の様子
40小節目の低音部の和音は、前半四つがAmM7、後半四つがE♭mM7の構成音と一致します。

mM7のサウンドは、暗い和音をさらに研ぎ澄ませたようなサウンド、それがまたコントロールできる不協和関係である増四度の関係で連鎖されていきます。

 

まず解釈者がmM7のサウンドにどのようなイメージを抱くか、またそれらが増四度連鎖された時にどのような感覚を抱くか、によって使い方が変わってくる話です。

例;AmM7 E♭mM7 | AmM7 E♭mM7 | AmM7 E♭mM7 |

という進行に、皆さんはどのような印象を抱くでしょう。

 

ここではそのサウンドは、悲しき樹木の性がとめどなく連鎖していく活動を人間の目を通してみた悲哀のようなものを感じました。

この楽曲の視点を人に置くのか、自然に置くのか、樹木に置くのか、統一した方が良いのかもしれませんが、この互いに接点のない存在同士も本来は同じ地球の上でつながっているがゆえに、互いに相容れないにもかかわらず「視点」は常に融合している、というような解釈を得ました。

41小節目のようなシークエンスも参考にして、いかにも何らかの意味を持たせているような音型を作りだし、解釈は聴き手に任せる、とういうような手法もありますね。

 

 

42-43小節---人への威嚇も勢いづく
このパートもこれまで解釈してきた動きのイメージを与える音使いというコンセプトでセッティングします。

 

44-46小節---動物的な興奮と習性
45小節の旋律型は、ホールトーンスケールそのままです。

ランダムな音列ではなくあえて全音的な秩序を保つところに、生命の営みの規則性のような律動を感じさせます(不可思議な呼吸?)。
46小節のシークエンスは、41小節目で現われたシークエンスに似ています。これもまた類似的表現を、距離を置いて用いることで意味感を与えることのできる表現意思を感じました。

 

47-60小節---雨を吸う樹木
そしていきなり最初の音型に戻ります。

全くあとくされもなくいきなり通常の活動に戻れる、という表現を感じ、感情に縛られない樹木の整頓された生命構造、を納得させられます。

しかしながらそのような自然的存在にさえ、人に対する目、というかその相対する存在への威圧、威嚇、そうしたものを感じさせるほど、人というのは自然から疎まれているのでしょうか。

そのような疑問を感じてしまう自動的な主題への復帰です。

 

61-62小節---異様への観念
63-65小節---全ての存在には“疑問”がある
最後にも分かりやすい、つまり判別しやすいシークエンスで締めくくられています。ちょっとした音の違いですが、二つのシークエンスは意味が微妙に違っています。

私はプロットに書いたように読み解きました。

 

■総じて
同曲は非常に分かりやすく(単純という意味ではなく、インスピレーションがガンガン来る!という意味です、もちろん)、ストーリーが当てやすい楽曲であると感じました。作曲者の世界に収まることなく、訴えたいという思いと、聴きたいという思い、理解したいという思いを、汲み取った構成になっていると感じました。

 

音楽は空気の振動現象で、それ以上の意味はない。

基本はここにあります。

自分が必死で抱えているものを手放すことを繰り返します。

あなたは1万円を破れますか?という質問と同じです。

価値のあるもの、と思っているものをいざ破壊できる覚悟をいつでもしておく、は必要です。

 

その音が3年かけて書かれた音であろうと、サイコロを振って書かれた音であろうと同じです。音の意味は聞き手がいくらでも作り出せます。良し悪しも聴き手の自由です。 

全てにこだわっているのは個人のみです。

その音楽に価値を与えているのは自分です。

それをさも価値があるように見せるのが「ビジネス」です。

 

ビジネス的観点や発言とは 違う次元の自分の考え、を一度書き出してみませんか?

自分の欲求や自分が普段感じているものが具現化されるかも。