音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

Nardis / Miles Davisの不定調性進行

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マイルス・デイビスの不定調性進行分析

Nardis / Miles Davis 

Bill Evans Trio - Nardis

この曲は、フリジアン的なモードで書かれた、と私も学校で学んだのですが、

 

Eフリジアンそのものなら、そのモーダルハーモニーは
Em7-FM7-G7-Am7-Bm7(b5)-CM7-Dm7
ですね。

 

この曲を見てみると、
Em7--FM7-EM7-B7--CM7--Am7--FM7--EM7--Em7
Em7--FM7-EM7-B7--CM7--Am7--FM7--EM7--Em7
Am7--FM7--Am7--FM7--Dm7-G7--CM7--FM7--
Em7--FM7-EM7-B7--CM7--Am7--FM7--EM7--Em7

このIIbM7であるFM7が特徴的なので、フリジアンと解釈されるのだと思います。


でもエバンスはFM7でときどきFM7の音を経過音的に使うだけで、フリジアンモードを演奏しているわけではありません。

 

Em7--FM7はフリジアンの特性的進行です。

(Im-IIb進行)

 

Imが幹和音で、IIbM7をもつのはフリジアンだけです。

このNardisはEm7-FM7が特徴的です。

それゆえに、他のスタンダードナンバーと趣きを違えており、個性的です。


しかしEM7やB7はEフリジアンにはありません。

 

そうなると、Emをセンターにおいて考える不定調性的な進行ということもできます。

むしろ「厳密にモードの理屈に沿っている曲」などつまらないです。そういう曖昧な要素が入っている時は「不定調性によるコード進行」として捉えていくと、モードの規則にガチガチにならずに分析できます。


例えばEm7はEmM7でも雰囲気に影響はありません。モードの規則に従うと使えないコードも不定調性なら使えます。そのくらい自由の方が現実的です。モード理論は形骸化してしまっているのです。


つづくB7も BM7にしたくなるような気もしてきます。

 

逆に完全にEフリジアンだけでアドリブを作りたければ、
Em7--FM7-Em-C△/B--CM7--Am7--FM7--E7sus4--Em7
Em7--FM7-Em-C△/B--CM7--Am7--FM7--E7sus4--Em7
Am7--FM7--Am7--FM7--Dm7-G7--CM7--FM7--
Em7--FM7-Em-C△/B--CM7--Am7--FM7--E7sus4--Em7

などが良いのではないでしょうか。この辺は音楽理論の力。

 

三番目のEmはメロディとの関係で、EmM7になるんですが、このコードを出してしまうとフリジアンではなくなるので、M7音D#は「フリジアンの音に向かう音」という立場に控えていて頂きます。

また同様に最後のE7sus4もメロディにG#があり、これはEにおける長三度音なので、E△にせざるを得ないのですが、ソロでは出てこないように、コードをsus4にして潜り込むようにしてしまっています。
こうすればフリジアンだけで弾けるには弾けますが、逆に色彩感が帰結しすぎて退屈になるのです。

 

ちょっとしたスパイスを加えてみましょう。
もしEフリジアン+M3という八音音階にしたら?
E-F-G-G#-A-B-C-D-E
という音階ですが、そうしたら今度は、
Em7--FM7-E△-B7(#5)--CM7--Am7--FM7--E△--Em7
Em7--FM7-E△-B7(#5)--CM7--Am7--FM7--E△--Em7
Am7--FM7--Am7--FM7--Dm7-G7--CM7--FM7--
Em7--FM7-E△-B7(#5)--CM7--Am7--FM7--E△--Em7
はどうでしょう。

 

さらに、コンポジットモード、EフリジアンM7+M3というモードだけで彩りたければ、Dを抜く必要がありますので、
Em--FM7-EM7-B7(#5)--CM7--Am7--FM7--EM7--Em
Em--FM7-EM7-B7(#5)--CM7--Am7--FM7--EM7--Em
Am7--FM7--Am7--FM7--F△/Eb-G7(#5)--CM7--FM7--
Em--FM7-EM7-B7(#5)--CM7--Am7--FM7--EM7--Em
などになります。

 

この曲のように、特殊なモードの使用を匂わせる楽曲は、オリジナルモードを作成し、モーダルな慣習を該当させながら作っていくことになります。

それもまたコンポジットモードという考え方がコンテンポラリージャズ理論には存在します。

 

だからといってソロまでそのモードで厳密にやらなければならない、というわけではありません。

先のように Dm7-G7がでてきたらGオルタードドミナントスケールなど使えばスリリングでカッコいいです。それは手癖が出てしまったりします。しかしそういうことはモード理論では許諾されていません。ちょっと窮屈ですね。

 

フリジアンの曲だから、絶対に全部フリジアンで演奏する、も逆に当たり前で効果的ではありません。

 

じゃあ、その辺の判断てどうするの?

 

もし急にペンタ弾きたくなったらどうします?それは誰が決めるの?

それを決めるのはあなた自身です。

理論ではありません。

そして「自分自身の直感に従うことそのものを方法論にしたのが不定調性論」です。

自分がそう思った時にそう行動することの利点と不利点を考えてみてください。

「理論に従う」という方法論は「ジャズ理論」として完成しています。

では「理論に従わない」という時の方法論を持っていますか?それがきっと独自論だと思います。