音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

(動画解説・補足)不定調性論全編解説10〜調向階段モデル★★★★★

2017.11.27→2019.11.05更新

今回はこの動画の解説です。

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ここで説明しているのは「調性」っていうシステムって、具体的にどんな数理構造の解釈なの?ということを説明しています。

音楽における「調性」って、所詮慣習の寄せ集めだから、具体的に科学的根拠を問い詰めてもしょうがない、と思っているところはないでしょうか。

同様に、大切なのは調性音楽の仕組みではなく、納得のいく楽曲を作る事であるといつも考えていると思います。それにこれまで学んできた調整の仕組みや、今教えている音楽の根拠に不具合も重大な違和感もないし、いちいちそれがひっくり返ってもらっても困る、と考えてもいます。

 

しかしこの図は、調的システムは数理の枠組みであり、その使用範囲の限定も理に適った人工的な枠組みであり、同時にその拡張をどのような手順で取り組めばいいか、ということを表現しようとしています。

これは調性のある音楽と調性のない音楽を隔てているのは、あなた自身の意識だけの問題である、という点への理解が重要です。

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これが拙論の調性の枠組み、「調向階段モデル」です。

調性の仕組みを視覚的モデルにしたものです。

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そして今回の動画をまとめた図がこちらの「C△-Cmライン」の図です。

 

別にこれを理解しなくても構いません。今、みなさんが使っている現行の調性音楽へのアプローチが変わるわけではないからです。

 

リディアン・クロマチック・コンセプトは「リディアン」こそが主たるものである、という発想に力点を置き、それまでの調性音楽があたかも不完全であるかのように暗に指摘していました。これにより人々は、「価値観を新たにして、不完全を完全なものにしなければならない」というような考え方を強要されました。

時代は人種差別、社会的構造差別を乗り越え、エレクトロニカルな新しい時代に合わせて人の古い思考構造を新たにしなければならない、という意欲に満ちた時代であったからこそ生まれたパワーのある表現方法だったと思います。

 

そこを超え、クラシック音楽は常に新たに評価され、その美しさが摩耗することはいまだあり得ていません。やはりバッハはいまだに感情と現実の価値観を超越したところにその音楽を響かせています。

 

つまり価値の刷新ではなく(特にリディクロなどは、機能和声は誤りであった、的な発言をしているように思われがちです)、価値の多様化を認めよ(いくつもの方法論がある状態を認めよ)、というような理解をすべきだったわけです。

 

そして価値の多様化を認めるためには、過去の価値がどのような形態を持っていたのか、もっと大きな目でみられなければならないということになります。

 

目の前にいる美しい女性が、唯一無二ではなく、世界には無数の素晴らしい女性がいる、というような発想に切り替えるのに似ています笑。

なかなか惚れ込んでしまうと難しいですが、まだ調性音楽という絶世の美女にぞっこんほれ込む前の若い方に、様々な世界中の美を探訪していただく必要がある、ということです。

 

いきなり教室で先生が「この子が一番美しい」と紹介してしまう前に、不定調性的思想やその他の音楽表現技法の紹介を責めて一時期平等に行うことによって、世界の様々な美しい姿を個人個人の価値観で判断して頂く時期を設ける、という意味です。

 

そしてそうしなければならない理由は、調性音楽の数理的構造が、上記に見るように絶妙な恣意的線引きを人々が行ってきたからです。この「恣意的な線引き」は絶対に服従しなければならない、と教えるにはあまりに恣意的に過ぎるのです。

しかも説得力が十分な数理的美しさと対称性を備えています。そして私たちは生まれもってこのシステムで出来た音楽を胎内にいる時から聞かされてきました。この強烈な洗脳は動かしがたく、他の方法論を唾棄するには十分です。

これにあまり惹かれすぎてしまうと、他の別の視点を持つ美しさを全く理解できなくなってしまう恐れがあります。

 

あなたが"美しい"と思う構造は、あなたにしか美しくない

当たり前です。好きな異性のタイプの話と同じです。音楽もそのくらいバリエーションがあればよいですが、美人にニーズがある、ということと同じように、どうしても不平等な値があります。新しい音楽をいかに機能和声のルールの中から作り出すか、ということがもっとも重要視されます。それも分かった上で自己のスタイルを作りたい人のためにその外縁部を覆う拙論があります。

     

そしてその上で機能和声的な美しさでない、別の美があることを大人になると理解します。

田舎のおばちゃんの民謡が持つ力強さ、だったり

アフリカの民族が奏でる即興的なカリンバの響きへの郷愁だったり

海の波の音が自分を癒す力だったり、

生まれてくる子どもの心臓の音を初めて聞いたときの感動だったり、

これらは機能和声論に基づいていません。そして「自分にとっての主流な音楽だとは思っていない」という区分けもしています。

 

だから別の次元の「違う美しさ」であり、それは触れる必要のないもの、と考えるかもしれません。

他者の統制を図ることによって美しさの基準を統合し、管理下に置いたシステムの一つが機能和声論であった、というだけです。あなたは別に絶対的にいつもその管理下に置かれる必要はないのです。

実はあなたはそこから自在に自分が感じる美の範囲を拡張して良かったんです。

 

そしてあなたが最も自然にできる行動と音楽を早い段階から実践する権利があります。勇気をもってその権利を行使してください。

私たち私塾もサポートをします。

そして社会のために、人々の和平のためにその音楽を堂々と使ってください。

 あとは「工夫」あるのみです。それで生きていくにはマーケティングが必要になります。

 

もしあなたが、はじめから「自分は自分のやり方で音楽をやる」と確信されて迷いのない状態にいる場合は、不定調性論が教えようとする境地にすでにおられるのでそのまま突き進んでください。