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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

倍音の数理の秘密〜不定調性論全編解説9(動画解説・補足)★★★★★

2017.11.24⇨2019.11.13更新

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今日はこちらの動画です。

   

ポピュラー理論学習者がいつかはぶつかる問題です。またはそれにぶつかって、理論に対する信頼みたいなものが由来で、曖昧になり孤立します。

しれはあなたが悪いのではありません。音楽理論が中途半端なだけです。

そして、音楽理論そのものが不定調性論と同様「独自論」に過ぎないから、あなたに全てがマッチングしないんです。

だから音楽理論学習をして「自分は勉強した!」って思い込まないように、早い段階から、自分の方法論を作ることを不定調性論は勧めます。それに基づいて楽曲を書き、音楽活動を点開始していくことで、最短距離で自分の方法論が見つかります。

別に拙論のように体系をまとめる必要はありません。拙論がこうしている理由は、実際に独自論が確立された事例、として参考にいただきたいからです。

 

ブルースの7thコードはなぜトニックに成り得るか。

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こちらもご参考になってください。

 

動画の下記の図が今回のメインその1です。

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平均律の音関係をビジュアルで理解出来るようにした図です。

こんな構造を書いても、音楽は美しいか美しくないかしかないじゃないか、音の数理なんて関係ないよ。とおっしゃるかもしれません。

でもあなたはあなたの美意識に従って音楽を判断するはずです。

そしてあなたが感じた美意識の根本にあるのは、理論ではなく、音楽でもなく、音という自然現象が持っている共通の構造美がただ作ったものに、あなたの美意識を反映させただけです。だから音楽は好き嫌いがあり、名曲でも聞き飽きると、その美意識が「普通」に感じられたりします。美意識が変化したのではありません。あなたが慣れ、飽きただけです。

 

G7→Cというものがもたらす感覚はあなたがこれまで学んだものであり、教育文化慣習の習得です。あなたの解釈はそうして成り立っています。だから学ぶべきは音楽ではなく、自然そのもの、もしくはあなたのことそのものを学ぶべき、と言っても良いでしょう。

 

だから、G7→Cはいやだ!!!と思っても良いのです。

曲によって、展開によって「ドミナントモーションはダサいから使いたくない」って思ったことありませんか?でもドミナントモーションは自然の絶対の摂理なんでしょう(そのそもこの理屈自体が、自然科学と音楽の融合を図ろうとしたラモーの独自論、と考えても良い)?

絶対でアルモニを報じして、ベストではないものを用いることで楽曲をよりベターにするのはなぜですか?

同じことを3年前の作曲段階であなたは感じられましたか?

そしてG6sus4(b9)→Cadd9(#11)がイイ!!と本気で思ったらそれは、現状普通のドミナントモーションより優先されるべき展開である、と言える理屈を不定調性論は作りました。

 

いきなりG7→Cを学習すると自分独自の解釈をしないまま鵜呑みにしてしまう(洗脳)のです。でも、実際はそれが普通です。

「機能和声で考える解釈を認める努力をする」だけで良くて、あとは「付き合い」です笑。それと自分の解釈を上手に混合させていけば良いわけです。

いちいち「これまでの音楽理論は間違っている!!」と言う必要もなければ、それはただのあなたの感想です。実際そう言って作った曲がしょぼければ、「お前が理解していないだけでは?」と言われるのがオチです。

 

音楽性少数派弱者に対する差別

に対する緩和をここで行っているわけです。ニーズが少ない音楽をやっているから自分は貧乏でも仕方がない、なんて絶対に思ってはいけません。あなたは唯一無二です。

人を貶める必要もありません。あなたが呼吸するように出てくる音楽の形で生きるべきです。そのための努力をすべきです。「ニーズが無くてもいい」と思っていると、ニーズがないままです。ニーズを作り出し、プロモーションし、メインストリームに載せる努力をしなければ決して表舞台には立てません。拙論もできる限り表に出て言って作品制作に用いて、思想を公開しています。

 

ちょっと動画に話を移すと、

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それぞれの領域の発生音にば共通した音があります。

これを機能和声論の根拠として提示することもできますし、そうすることで「機能和声論が絶対なのではなく、その数理をどう扱うかの自由が問われるべきだ」ということも分かります。

 

問題は「数理の解釈」だけです。過去の事例や、慣習に従う必要は全くありません。機能和声論は上記の構造を効率よく扱い伝統となってきた、というだけです。

 

あと一点。この動画シリーズでは触れていませんが、

音楽は「自我の欲求」そのものです。

絶対にあなたが「こうしたい」と思わなければ音楽はできません。自我なくして音楽は作れません。でも自我は恐れを抱いていますし、最も肉体にストレスを与える存在です。だから、いくら自分の音楽が見つかったからと言って、究極に幸せになれるか、と言うとそんなことはないということになります。

そして音楽文化そのものが自我そのものなので音楽をやっている限り、真の心の平安は訪れない、ということも覚悟して音楽をやっていると思います笑。

 

答えのないところに躍起になれる、というのは最上の戯れです。

 

 

その10

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