音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

(動画解説・補足)不定調性論全編解説8〜和声単位と和音構築法★★★★★

2017.11.16→2019.11.04更新

今日はこちらの動画の解説補足でございます。

www.youtube.com

   

 

C△という洗脳

コードネームなどなかった時代は、また違ったのかもしれませんが、コードネームが出てきたことで、音楽がステレオナイズしていった部分もあります。

 

不定調性論は、それをいったん白紙に戻すわけですが、それならコードネームのなかった時代と変わらないじゃないか、と思い、「和声単位」というグルーピングによって、和音の構造を分類することにしました。

 

下記の記事における表の音群が関係音としてまとめられるのです。

www.terrax.site

 

たとえば、上方領域ですと、

基音がcのとき、3,4,5倍音にc,e,gが現れます。

これをひとまとめにしてC△とし、cが基音であり主音である、としたのはジャズ理論までの流れですが、その先に進みましょう。

C△の基音、すなわち数理的な発生の基準となる音はたしかにcですが、実際はどの音を意識的な中心にしても音楽を作ることはできますから、c,e,gが実音となった瞬間に、これらの音は「音楽的に平等である」としました。

 

たとえば、C△ってgを中心に書くと

G6sus4omit5

となります。いかにもこの和音はgを中心にすると書けない、だからこの和音は二次的なものだ、としようとする作為を感じます。

 

学習者は自分で全てを独学で学べる必要があります。

その先に権威ある教育者に洗脳されたいと思うならそれでも結構です。

 

不定調性論は300ページもかけて、12音をバラバラにする方法論とアイディアを述べました。後はそれをどうあなたが解釈するか、だけです。その解釈の自由も認めたいと思っています。 

 

つまり

C/E

C/G

も本来はそれぞれ「別の表情」を感じられる意識を最初に身につけます。

これらは「あ、Cの転回形でしょ?」と最初から考えない、ということです。

 

でもそれは薄々して知っていたと思います。その信念を目覚めさせましょう。

不定調性論もその一つですし、皆さんが創り出す個々人の方法論も然りです。

     

====

 

さらに自然倍音の数理からできる三和音は何も長三和音だけではない、同じ位置に後三種類あるではないか、としたのが「基本和声単位」です。

 

上下第8倍音までに拡張して作り出す四つの三和音です。

 

c-e-g-b♭-c(上方八倍音までの出現音)

c-a♭-f-d-c(上方八倍音までの出現音)

これらを分断して、四つの和音を作ります。

 

c-e-g=Cu5

c-g-b♭=Cu4

c-f-a♭=Cl5

c-f-d=Cl4

としました。

そんなの使わんだろ!!とおっしゃる方も学んだことに洗脳されています(悪い洗脳ではないので別に問題しなくてよいです)。

音楽の方法論と構造をブルースや民族音楽、現代音楽にまで広めて、それらの音楽を肥大した機能和声の考え方と平等に考えていこうとおもうと、これらの範囲にまで三和音集合の基礎を拡張する必要があります。

 

現代音楽と機能和声音楽は違う、とか

アフリカの音楽と白人の音楽は違う、とか

現代のグローバル社会でそんなことを学問的差異とは別に区分けしてどうするのか。愛の熱さが同じように、音楽はみんな愛。同じです。崇高さとか、音楽を扱う霊的レベルで云ったら、むしろ我々が一番下なのではないか、と思うほどです。

だからそうしたワールドな音楽を同じように自分たちの意識で翻訳するとき、どうしてもこれらの平等性が必要になります。皆さんそれぞれが尺度を持てばよいと思いますが、私にとってはこの「基本和声単位」がそれに該当します。

 

 

これらの方法論は、やみくもに無方法論的な現代的音楽に走ろうとする前に、結局12音を使うなら、どのようなやり方で12音を使うか、という信念を少し明確にすると、自分の生まれ持っての指針がみえてきます。

また学習したことへの反発がどこにあり、教えられたどの部分に遠慮をしているかもわかります。

でも「あなたの音楽って、そういう遠慮をすべて除いたものこそがあなたの音楽であって、それを表現して非難されるのが怖いから勉強しているのですか?それとも人の尺度に合わせようと思て勉強しているのですか?」という問いかけになります。

きっと、自分らしさを伝統の技法、先人の知恵の中から磨こうと思い勉強しているんだと思います。その過程で「あなたが押し込めてしまう自分の恥部」があろうかと思います。

でも最後はそれ、さらけ出すことになるんです。熟成しているのではなく、あなたがやがて認められて「あなたの作風でお願いします」と言われた時、それが出ます。今まで隠してきたものが作品に投影されます。

その時いきなりでは不格好になります。立ったこともないのにいきなり走りだしたら転びます。

もし普段から「伝統は分かったが、自分はどうしたいのか」を考える人がいたら、あなたに不定調性論を見て頂きたいです。

ああ、個人が考えるとこんな感じになるのか、と思って頂き、あなた自身はさあどうする???というところでご自身のやり方を構築頂ければ、1000ページ書いた甲斐がある、というものです。