音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

自分が理解できないことを表現した

不定調性論という存在が示すものを考えながら作った作品をアップしました。

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 人は認めようとしないでしょうが、

音楽は実は物質の共鳴以外なにものでもなく、それ以上には現状成りえないとしたら、という恐れを常に持っています。


もしもがん細胞の振動数値が分かり、それを破壊する振動数値がみつかり、それを照射できる装置ができあがった未来が訪れた折には、音楽の存在意義もちょっと違って来るのかもしれません。 その時点で音楽は科学になり、医学になり、全宇宙の存在の謎が解かれることになります。

しかしそういう未来がいつ来るのでしょう。

 

音楽家はこの世界に「音楽はしょせん個人の解釈の中で存在するだけのもの」だと教えるためだけに存在しているなんて音楽家は認めないでしょう。

「自分は少なくとも音楽によって誰かを癒した」

と信じたいものです。

でもこれが「恐れ」 につながるわけです。

 

音楽がどうなろうとしているのか、頭の半分で認める勇気を持とう、と言っているのだと思います。多分。

 

あなたが楽しみで、あなたのファンを喜ばせようと弾き語りを練習するのは構いません。でもそれに固執すると、それは存在しない価値に固執することになるのであなたの存在そのものが脅かされる、という恐れの中で生きていかなければなりません。

     

 

現代にAIが生まれ、AIが音楽を作ってくれるのは幸いです。

人は楽しみで音楽を行える可能性が増えるからです。

そうなって失われる音楽の職業についての恐れはいらないと思います。他の分野だってAIが進出し、人は生きるために仕事をする必要すらなくなるかもしれないのです。

 

漠然とした意識の変化、音楽文化の変化、生き方のレベルの変化、そうしたことに対してポジティブに警告を発したかったんだと思います。

 

粒子が振動で出来ているなら、人が音楽に共鳴するのは、物質の根本原理が振動だからである、ともいえます。音楽家はそれを人に伝えるために音楽をやっているのかもしれません。

決して過去の失恋について悟った歌詞の内容を知らしめるのではなく、素粒子が振動によって残像を作り、電気によって神経を作り物質として成り立たせている、という宇宙の真理を気付かせるために音楽をやっている、のだとしたら、音楽の内容よりもっと重要なことを伝えているのですから、やはり音楽そのものに固執する必要はありません。

 

 うーん、普段はクライアントのために音楽をやるじゃないですか。

でもそれに囚われて生きていると、何か自分の横をとても大事ななにかがすり抜けていっているように感じるわけです。これも恐れですよね。

それをなんか偉そうな内容で他人に向けて言いたかっただけかもしれません。

でもそんな余計な事でもないように感じます。もっと根源的な恐れみたいなものの表現。

それをしっかり握って毎日を送っていきたいと思っています。