前回
こちらの動画の補足を致します。
もしあなたが違う人生を選択していたら
この仮定自体がバカげているかもしれません。でも人生で思い悩むことの最も多いトピックです。このトピックを自分の人生と絡めずに生きていける人はいないでしょう。
親父が有名な音楽家じゃなかったら・・、運命の彼女があの職業じゃなかったら・・、一緒に組んだ時ちゃんとドラムを断っていたら笑、等と考えることがあるでしょう。
もしそうなった場合はあなたは違う音楽をやっていたかもしれません。その場合今のあなたは違う人生を生きています。
その人生は可能性としてはリアルに存在したのに実現しなかった未来です。
でも実はその未来、いつも心の中ではシミュレーションしているんですよね。
心のうちにはそういう平行宇宙が確かに存在していて、心は行ったり来たりしているんです。
これは寓話かもしれません。
「Aという和音の上で、どんなソロが弾けるか」
という時、通例は用いることのできるスケールを列挙するでしょう。それか実際に知っているリックを弾いてみてスケールではないアプローチで表現するかもしれません。しかし、たまたまその日風邪で休んであなたは演奏できないかもしれません。そしてもしあなたが今の音楽の道を進んでいた場合、あなたは今どこかの会社でパソコンを打っているかもしれません。この「Aという和音の上で、どんなソロが弾けるか」という問いの答えに平行宇宙まで入れてみてください。
いまあなたはステージに立ち、みんなの支えでライブができています。
そのような中で自分がソロを演奏する、というのはどれほど幸運で、どれほど貴重な体験でしょうか。例えあなたが望まない選択の上に成り立った未来であったとしても。
その時に湧き起こってくる感情があるはずです。そしてそれがソロになり、「あなたの訴え」になります。音楽教育ではそれを「スケール」や「リック」に落とし込みますが、本当はもっと様々な「表現可能性」があります。
ギターを振り回してぶっ壊すのがその時の自分の自己表現かもしれません。
それは自分の運命への怒りだったり、もどかしさであったり。それを忘れて自己表現をすることこそ欺瞞です。そんな表現、社会的には許されないかもしれないけど、本当はそうしたい、のだとしたら、抑え込まずやり様がると思うのです。最初から企画を立てて消防をクリアしとくとか笑。
ソロを弾かなくたっていいんです。カッコいいソロだけがお客さんに訴えるものではありません。むしろ「特に弾きたいこともないが、まあ音楽のソロを無難にこなしておけばギャラがもらえるし、明日も仕事があるから、普通に弾く」となるほうが、それは表現の死、ともいえるかもしれません。
でも歳を重ねると、情熱は薄れていきます。
そういう人に教えても仕方がないので、この発想は若い人向けです。
これから先、後悔しない選択というのはありません。
だから時運を抑え込まず、表現していい不定調性論という方法論があることを覚えておいてください。あなたはそれがあなたの成し遂げたい表現ならそれをすべきだ、と考えている方法論です。危険思想ですね。でも勉強したからと言って「あ。それは無理」などとすぐ思わないで欲しいです。10人に相談して全員がダメ、と言っても本当にやりたい熱があるならあきらめないでください。ムキになってはいけません。
「工夫する」んです。人生工夫こそが全てです。短絡的で誤った方法のことを社会では「犯罪」と呼び、優れた工夫を「芸術」と呼ぶんです。あなたは犯罪者?芸術家?。
現実的でない音は出せるのか
あなたの頭の中に「この曲は10億人の合唱で歌いたい」という欲望が浮かんで来たらあなたはどうしますか?
現実的には難しいですよね。またはこんな「現実的でない欲望」は通例浮かんでこないかもしれません。
しかし、ここでもただ諦めず「工夫」しましょう。セオリーを破っていい、矛盾を受け入れて良い、というのが拙論の考え方ですから、まずは計画だけでも考えてみましょう。
インターネットで訴えてもいいですし、世界中をめぐってひたすら合唱を録音して10億人分のミックスしてもいいでしょう。100人のプロジェクトを組んで100か国の人にお願いしてもいでしょう。ギネスも申請しましょうか。新聞にも投稿しましょうか。ホームページも作りましょうか。最初のアイディアを恐れず、自分が望む方向に意識を拡張していけば、真の望みが見えてくると思います。それが見えてくることは一種の成功体験です。
ひとつ成し遂げれば、次の行動にまた影響を与えます。
その7