音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「不定調性論」の使い方(2020)★★★

この記事では「不定調性」という言葉や考え方をいつどんな感じで用いるか、等について書いています。

もしあなたが次に弾くコードを、次に歌うメロディを、刻むリズムを音楽理論的知識や理性によってではなく、感性によって、直感のうちに繰り出せたとしたら、それは不定調性論的思考を用いた、と言えます。

たとえ後でそのコードが誰かに音楽理論的に解説されたとしても、あなたがそのコードをそこに置いた理由が、音楽理論的な理由に頼ったのではなく、あなた自身の感覚的判断により考えるよりも先に配置したものであるとき、あなたは自分を信じて音を扱っています。

そういうことを理解しているか知らないかで音楽に対する心の配慮はまるで変わると思います。

これまではそういう発想は無学故の安易で身勝手と思われたり、または一部の達人だけに許された方法論でしたが、あなたがこれまで自分なりに勉強してきた結果を、存分に直観によって繰り出そうというのであれば、それをしない権利などどこにもありません。それを一つの方法論として直に鍛え上げればいいのだと思います。

自ら湧き出る感性に従う、これが不定調性論的な音楽の作成方法の基盤となるものです。

 

そういったやり方に名前がなかっただけです。脳が作り出す未知の力によって、何かを創造しようとすることは、学習成果を論理的に活用しようとするよりも、より個性的で、より斬新なものが出来上がる可能性が高いと私は信じています。

 

勿論論理的思考を否定するつもりはありません。

何より音楽方法論上において理論と感性の両方を得意とするものが平等に力を発揮できる場と方法論を得たということが大切だと思っています。

 

【参考】

www.terrax.site

<不定調性論を用いて作った楽曲事例集を下記にまとめました>

www.terrax.site

 

不定調性論の理論的展開

不定調性論の方法論的展開その1★★★★ - 音楽教室運営奮闘記

不定調性論の方法論的展開その2★★★★ - 音楽教室運営奮闘記

↑具体的なアイディアの話。

【参考】

不定調性論ってなに?

 

自在な音楽表現の創作の根拠として  

以下を機能和声アナライズしてみてください。

C |Bbm |Gb |Em |
B |G#m7 |E |Dm |

これは、P.メセニーの楽曲「Sirabhorn」です。わざとアナライズさせまい、という進行ですね。

しかしながら、この曲を聴いたとき、あなたは何らかの「印象」を感じるはずです。

 

C→Bbmに流れた時、あなたは何を感じますか?何でもいいです。「変な感じ」でも「ただ疑問」とかでも。

人によっては「緑色を感じた」とか「倦怠を感じた」とか具体的に感じる人もあるでしょう。

脳は外界の刺激に様々な反応を返します。あなたはそれを受け取り、表現すれば良いだけです。

音楽だけでなく、綺麗な人を見たとき、美味しい食事を食べたとき、美しい風景を見たとき、頑張って仕事が完成したとき、強烈な感情の変化があります。

日頃人を批判したい人は批判したくなる情報を、助けたい人は応援したくなる情報を受け取ります。RASシステムの機能ですね。

潜在的にその人が何を考えているか、何をしたいか、は日頃の言動をみれば意外と分かります。その人がTwitterで何を多く発信しているか、などですね。

一般には音楽と感情想起の論文も多数出ています

感情や思考は表現活動に欠かせません。

 

逆にこれらの印象論を、誰が見ても明らかなものとして、統一を試みたのが機能和声論でしょう。V7→I、ドミナントモーションには解決感がある、と決めて啓蒙してきた考え方であり商業的音楽の発展に寄与した成果はノーベル平和賞者です。人と共有し、共感できる音楽文化の形成は奇跡と言えます。メタファーの最大活用ですね。何が『美』か、というのはある程度同じ文化圏に住めば、ある程度類似します。

 

しかし同じ文化圏に住んでいるから、思考も似てしかるべきで、似ていない奴を排除すべし、という発想は文化的というよりは獣の縄張り争いになります。「感性」より本能に従っていると言えます。

 

私自身、感情や思いを、機能和声論と提携して見つけていくことができず、自分のやり方を見つけるまで20年以上掛かってしまいました。

そのためには当然いったん信じようとしたV7→Iを否定する、などの洗脳の解放もしなければなりませんでした。

そして見事出世街道から外れました(笑)。でも歩きたい道を進めることはなんとも言えない安心感があります。そしてあとは全て自己責任。誰にも「私は正しい」と言えない生活です。誰にも教わっていない、誰もやらない方法(もしくは少数の人が過去に行い廃れた方法)をやっているからです。

人を批判している余裕はありません。進むべき道の、道すらないのですから。

 

 

たとえばある和音から次の和音に流れた感じを「緑色な感じ」と感じてあなたが演奏できる、とします。拙論はそれを感じたらそれで音楽をつくる、と決める行為です。

そうした制作法では調性が不明瞭になるためにこう名付けました。

そしてそれをどう音に翻訳するか、という脳回路の作成こそが訓練すべきことでした。

 

当ブログ記事で紹介されているような音楽家、ビートルズ、ユーミン、スティービー・ワンダー、スティーリー・ダン、チック・コリア、パット・メセニー、その他ジャズ、プログレ、フュージョンミュージックが持つ自在な和声において、小刻みに転調解釈できる和声進行全般を「不定調性的な進行」と言います。
「Bメロの転調が不定調性的で、いっちゃってるね」
「この曲のイントロはちょっと変わった不定調性的なブルース7thだね」
とか、非機能的な進行についての表現で自由に使ってください。

ブルース進行も不定調性的な進行、といえますです。はい。

 

しかし。本来バッハやモーツァルトなども優れた独自性を持っています。バッハを機能和声音楽に押し込めてもバッハはバッハ。あなたもあなた。

また近代音楽や現代音楽も印象で表現することが可能です。

無調=無表情・無意味ではありません。

ジョン・ケージの作品「4:33」だって、それそのものは「印象」を与えます。つまり不定調性論で応えられるわけです笑。


人の口調がイライラしているか、ウキウキしているのかを聴き分けるのと同じです。口調には「機能」がないのに、感情的な要素をくみとれるのはなぜですか?

それはあなたの中に入ってきたそれらの音情報に対してあなた自身の解釈がされているからです。役者がイラついているようにしゃべれるのは「どのようにしゃべればイラついているように聞こえるか」を知っているからです。そして「イラつき方」もその人独特です。

 

「勇気をもって自身の解釈を信じよう」

ということにしました。

一人一人「運命の人」が違うように、思想も本来あなただけのものです。

恋人は共有しようとしないのに、音楽は共有できると思うの?おかしくない笑?

冗談です。

 

意味のないものに意味を与える

のが音楽の楽しみです。

たとえばあなたの子供が、超ヘッタクソな歌や演奏を披露したとしましょう。あなたは「下手だな」と一瞬思っても、それを吹き飛ばしてつい笑顔になってしまうでしょう。

そのときあなたはその「下手さ」を正直に伝えますか?

それとも表情がいい、とか、元気がいい、とか良いところの印象を述べますか?

厳密な自然科学ではありません。

その感情は音楽の良し悪しが生み出したのではなく、相手の行為全体が、あなたに与えた印象からあなたが感じたい感情が作り出した結果です。

あなた自身の表現活動でも、それをそのまま表現する訳です。そして、それは最初だけとても難しいので、ちょっとした訓練が必要です。

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波の音、風の音、虫の音、猫の声などにあなたが感情豊かに反応するなら、これもまた音に対する"印象"を持った、ということです。

 

非機能進行という用語からの脱却
「機能していない進行」が機能して音楽になるのは変だ、と感じました。
それは「従来であれば機能しないとされた進行が持つ、新たな機能感による進行」です。
そもそも和音の機能も実際に「機能している」のではなく、聴き手の頭の中で機能しているだけであり、教育の賜物です。音楽は人の頭の中に入った時、その人だけのものになっています。

意味不明なノイズでも、現代絵画と一緒に流したら、それは意味を持ちます。

テンポ120の曲を1/4のスピードで聴いたら全く違う音現象になります。その曲を早回しして聴いても、オーディオのデータを眺めて「聴いた」と言ってもいいんです。あなたがそれを望めば。そしてそれを表現として確立してください。

遠慮していた自分の思考を解放せよ。

そうして生まれた邪の欲求は社会に与えず、自身の表現活動に芸術として展開させよ。

です。

 

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こうしたことをなんとなくご理解いただき、あとは自由に「不定調性」という用語を使っていただいて構いません。

 

また、巷間で起こる不定調性論に対する齟齬は、私の紹介営業活動不足によるものですので、このブログを通して私の責任で可能な限り解決してまいります。

結論を探すのではなく問題意識の提案です。まだまだ全くの未熟者だ、と感じます。

 

自分のやり方を自分のやり方で極めましょう。

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www.terrax.site

 

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